![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/8b/8928d5fd7e13fdb5cf1ca90d6d4fe8d2.jpg)
初歩から13年お世話になった教室を離れた私は、まず高校3年の夏休みに先生とおねえさんたちが海外公演で留守の間のドサクサに紛れて行きはじめた別の教室に移りました。
今でこそ教室の掛け持ちOKの先生も増えましたが
当時は非国民扱いされましたから![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
先生と代講の出来るおねえさんたちがお留守の間レッスンに行きたいと言って許可をもらって通い始めて
自宅から1時間半くらいかかりましたが、その後も月2回ほどレッスンに行っていました。
その教室でも私が求めているような指導は受けられず
次は地元の別の教室に行くことになりました。
ここの先生は有名バレエ団出身の先生で、足の甲がすっごく綺麗で長身でスタイル抜群でした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
すぐに私の基礎がなっていないことを見抜かれ
小学生の生徒と比較されて、とことん出来ていないことを思い知らされ泣きながら家で復習することもしょっちゅうでした。
しかし、この先生は教室のレッスンだけでは足りないからとオープンクラスへ行くことを勧めてくれたり、外部の舞台に出る機会もくれたし、発表会では生え抜きの生徒さんと差別したくないと言ってパ・ド・ドゥもやらせていただきました。
そして…
先生の代講を任されることになり
ついに教師としてのキャリアがスタートしました。
その後
先生が教えを続けられなくなり、生え抜きの歳下のコが後を継ぐことになり
私はお教室を離れフリーになる道を選びました。
オープンクラスに通いながら、少しずつ仕事としてバレエを教えはじめましたが
基礎がないということがコンプレックスで自分に自信がなかったので
勉強出来る機会はできるだけ逃さないように講習会も積極的に受けてロシアへの短期留学ツアーにも参加しました。
毎年夏休みに日本各地でワガノワバレエ学校の講習会がありますが、教師のための講習会が地元で開催されたときに素敵な出会いがあり、そのご縁でついに理論的にバレエを学ぶことになるのです。
つづく
バレエ理論講座↓
LINE公式アカウントお友達登録お願いします↓