今でこそ、出産は病院。亡くなるのも病院。という時代ですが。
昔は、家の中で出産して、年老いたものが亡くなって、、、というのが当たり前。
生や死が、いまよりもっと身近にあったんでしょうね。
赤ちゃんから年寄りまで、一緒に暮らす中でそれぞれの役割や親から子。孫へ自然と受け継がれるもの、感謝や尊敬、そういったものは生まれやすかったんじゃないかなあと思います。尊敬って自然とわいて出る感情だと思うんですよね、しろって言われて出来るもんじゃないんじゃないかと(笑)
うちは、祖母の介護をずっとしていて、他界するまで、ほぼ在宅で見ていました。
私がかかわったのは、亡くなる前の3年間。祖母が完全寝たきりになころ、偶然実家に戻るはめになり、
在宅介護を母としました。
いまでこそ笑って話せますが、当時は
も の す ご く 大変でした。ものすごく。
まず、おばあちゃん用の食事を作らないといけない。食べれないんですよ。固いもの。やわらかく煮て、ミキサーにかけないと飲み込めない。もう、離乳食です、離乳食。
たまたま残ってた離乳食を冷凍保存するパックは大活躍しましたね。
で、自分で食べれないから3食食事介助。おむつ交換。話し相手。
やってみるとわかるんですが、2週間が限界。介護してる方が倒れます。で、2週間経ったら施設へ。で、2週間したら自宅へ。そのローテーションを組んでもらっていました。
でも、施設って、老衰の病状が進むとみてくれないんですよね。医療行為が入るとアウトで、そこからは病院になってしまう。
うちはぎりぎりラインで、私もいることだし、母と二人、、頑張るかって、在宅看護の道を選びました。
おばあちゃんが家にいたいって言うから。で、たまたま、出来る手があったんです。
幸い私も弟も医療関係。母も父の介護をしてたから経験あり。
病院にも知り合いが多く、融通がきいたというのもあります。借りる人の手があったんです。
でも、人には在宅看護は勧められません。
本当に大変だから。
ほんとうに大変だから。
情や正義感じゃできません。
たくさんの人の手を借りて、奇跡的にうまくまわった。本当に奇跡的に。
おばあちゃん子だったんですね。私。だから、頑張れた。
そんなおばあちゃんを3年見ていく中で、本当にたくさんのことを知りました。
人は、こんな風に年老いていくんだ。ということ。
たしかに、看護学校では習います。人の老化。でも見ると聞くとは全然違う。目の前で「老い」を見る。
だんだん歩けなくなる。だんだん性格がきつくなる。どなり散らす、喚き散らす。
だんだん固いものが食べれなくなる。のみこみが悪くなる。
そのうち、子供みたいになる。
あの、90歳の子供のような笑顔は忘れられないですね。にこおって笑う。
昔の話をする。庭に梨の樹があった。○ちゃんと遊んだ。リンゴ頂戴。ねえちゃんはどこ。
だんだん私がだれだかわからなくなる。
だんだんたべれなくなる。
そして、眠るように亡くなりました。
人はこうやって死んで行くんだなと。
私は死ぬことは怖くありません。怖いものと思えなかった。
死ぬと抜け殻になるんですね。魂の抜けた体は、本当にただのがらんどう。
本当に大変だったけど、ものすごい感謝をしています。
おばあちゃんからたくさんのことを最後に私は教えてもらった。
嬉しかった~。
仏壇に飾ってある、おばあちゃんの笑顔を毎日見て、幸せな気分になる。
子供も一緒におばあちゃんの介護をしました。
それはきっと、この先、この子の成長に大きく役立つと信じている。
おばあちゃんありがとう。
そんな、おばあちゃんの3回忌を秋にやって、家を建て替えます。
おじいちゃんとおばあちゃんが建ててくれた家。
たくさんの思い出は心の中に。孫は新しい道を行くよ~!!
ちょっと思い出したのでつらつらと。
昔は、家の中で出産して、年老いたものが亡くなって、、、というのが当たり前。
生や死が、いまよりもっと身近にあったんでしょうね。
赤ちゃんから年寄りまで、一緒に暮らす中でそれぞれの役割や親から子。孫へ自然と受け継がれるもの、感謝や尊敬、そういったものは生まれやすかったんじゃないかなあと思います。尊敬って自然とわいて出る感情だと思うんですよね、しろって言われて出来るもんじゃないんじゃないかと(笑)
うちは、祖母の介護をずっとしていて、他界するまで、ほぼ在宅で見ていました。
私がかかわったのは、亡くなる前の3年間。祖母が完全寝たきりになころ、偶然実家に戻るはめになり、
在宅介護を母としました。
いまでこそ笑って話せますが、当時は
も の す ご く 大変でした。ものすごく。
まず、おばあちゃん用の食事を作らないといけない。食べれないんですよ。固いもの。やわらかく煮て、ミキサーにかけないと飲み込めない。もう、離乳食です、離乳食。
たまたま残ってた離乳食を冷凍保存するパックは大活躍しましたね。
で、自分で食べれないから3食食事介助。おむつ交換。話し相手。
やってみるとわかるんですが、2週間が限界。介護してる方が倒れます。で、2週間経ったら施設へ。で、2週間したら自宅へ。そのローテーションを組んでもらっていました。
でも、施設って、老衰の病状が進むとみてくれないんですよね。医療行為が入るとアウトで、そこからは病院になってしまう。
うちはぎりぎりラインで、私もいることだし、母と二人、、頑張るかって、在宅看護の道を選びました。
おばあちゃんが家にいたいって言うから。で、たまたま、出来る手があったんです。
幸い私も弟も医療関係。母も父の介護をしてたから経験あり。
病院にも知り合いが多く、融通がきいたというのもあります。借りる人の手があったんです。
でも、人には在宅看護は勧められません。
本当に大変だから。
ほんとうに大変だから。
情や正義感じゃできません。
たくさんの人の手を借りて、奇跡的にうまくまわった。本当に奇跡的に。
おばあちゃん子だったんですね。私。だから、頑張れた。
そんなおばあちゃんを3年見ていく中で、本当にたくさんのことを知りました。
人は、こんな風に年老いていくんだ。ということ。
たしかに、看護学校では習います。人の老化。でも見ると聞くとは全然違う。目の前で「老い」を見る。
だんだん歩けなくなる。だんだん性格がきつくなる。どなり散らす、喚き散らす。
だんだん固いものが食べれなくなる。のみこみが悪くなる。
そのうち、子供みたいになる。
あの、90歳の子供のような笑顔は忘れられないですね。にこおって笑う。
昔の話をする。庭に梨の樹があった。○ちゃんと遊んだ。リンゴ頂戴。ねえちゃんはどこ。
だんだん私がだれだかわからなくなる。
だんだんたべれなくなる。
そして、眠るように亡くなりました。
人はこうやって死んで行くんだなと。
私は死ぬことは怖くありません。怖いものと思えなかった。
死ぬと抜け殻になるんですね。魂の抜けた体は、本当にただのがらんどう。
本当に大変だったけど、ものすごい感謝をしています。
おばあちゃんからたくさんのことを最後に私は教えてもらった。
嬉しかった~。
仏壇に飾ってある、おばあちゃんの笑顔を毎日見て、幸せな気分になる。
子供も一緒におばあちゃんの介護をしました。
それはきっと、この先、この子の成長に大きく役立つと信じている。
おばあちゃんありがとう。
そんな、おばあちゃんの3回忌を秋にやって、家を建て替えます。
おじいちゃんとおばあちゃんが建ててくれた家。
たくさんの思い出は心の中に。孫は新しい道を行くよ~!!
ちょっと思い出したのでつらつらと。