「本多氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。
本多氏の出自は、三河国の国人、江戸時代譜代大名・旗本家。左大臣藤原顕光11代目の助秀が豊後国本多に住してより本多を称し、12代助定の時足利尊氏に仕えたという。13代助政のあと定通家と定正家に分かれ、それぞれ三河で松平宗家に仕えた。歴史上著名な人物としては、定通家からは本多正信・本多忠勝が、定正家からは「徳川四天王」の一人とされた父子が出ている。
正信の家は、元和8年(1622)正純の改易で絶えたが、本多氏全体としては、江戸時代には多くの大名・旗本の家に分かれた。大名として明治に至ったのは、定通家からは、三河国岡崎藩本多氏、正信を祖とする播磨国山崎藩本多氏、忠以を祖とする陸奥国泉藩本多氏、正時を祖とする近江国膳所藩本多氏、忠恒を祖とする伊勢国神戸藩本多氏、忠相を祖とする三河国西端藩本多氏の大名家6家が、定正家からは、正重を祖とする信濃国飯山藩本多氏の大名家二家が成立した。また、定正家には加賀藩家老本多氏、福井藩家老の本多氏がいる。
本多氏の出自は、三河国の国人、江戸時代譜代大名・旗本家。左大臣藤原顕光11代目の助秀が豊後国本多に住してより本多を称し、12代助定の時足利尊氏に仕えたという。13代助政のあと定通家と定正家に分かれ、それぞれ三河で松平宗家に仕えた。歴史上著名な人物としては、定通家からは本多正信・本多忠勝が、定正家からは「徳川四天王」の一人とされた父子が出ている。
正信の家は、元和8年(1622)正純の改易で絶えたが、本多氏全体としては、江戸時代には多くの大名・旗本の家に分かれた。大名として明治に至ったのは、定通家からは、三河国岡崎藩本多氏、正信を祖とする播磨国山崎藩本多氏、忠以を祖とする陸奥国泉藩本多氏、正時を祖とする近江国膳所藩本多氏、忠恒を祖とする伊勢国神戸藩本多氏、忠相を祖とする三河国西端藩本多氏の大名家6家が、定正家からは、正重を祖とする信濃国飯山藩本多氏の大名家二家が成立した。また、定正家には加賀藩家老本多氏、福井藩家老の本多氏がいる。