「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

歴史の回想「真田幸村の群像」アマゾン・グーグル・楽天・角川・電子書籍紹介。BOOK★WALKER電子書

2020-03-11 09:28:27 | 温故知新


「真田幸村の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電子書
真田幸村(1567年~1615年)安土時代から江戸初期の武将。真田昌幸の次男。幼名御弁丸、後に源次郎。左衛門佐を名乗る。名は信繁、後年幸村の名で知られる。1587年(天正15年)父昌行が豊臣秀吉に属するに及んで幸村も出仕し、秀吉の配下の大谷吉継の娘を妻として豊臣家と縁故を深めた。1600年(慶長5年)上杉討伐のために会津に向かった徳川軍に父や兄に従ったが、途中石田三成の挙兵を知って父とともに引き返し、上田城に籠って反徳川の旗を挙げ、徳川秀忠の率いる大軍を引き付けて関ヶ原の戦いに参加させず、三成方(西軍)を助けた。西軍の敗北により命が危うくなったが、妻が本多忠勝の娘だったために東軍に味方した兄信之の戦功に免じて死は逃れ、父とともに高野山麓の九度山村に蟄居させられた。1614年大坂城で挙兵した豊臣秀頼の招きに応じて、最も危険な城南天王寺口に出城を築いて徳川方をしばしば悩ませたが、幸村らの主戦論を押し切って淀君らによっり不利な条件の講和を結ばれた(大阪冬の陣)。翌年の夏の陣では幸村は道明寺、天王寺と転戦、一時は徳川本陣にまで迫って家康本人に狼狽させたが、越前松平忠直の家臣西尾仁左衛門の槍に討たれて戦死した。





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