「歴史の回想・月山富田城の戦い」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電子書
「月山富田城の戦いとは」(がっさんとだじょうのたたかい)は、1542年から1543年・1565年から1566年に尼子氏の本拠である出雲国の月山富田城(現:島根県安来市)を巡って発生した合戦である。
この合戦は、大内義隆が毛利氏などの諸勢力を引き連れて攻め込んだ第一次月山富田城の戦いと、大内氏滅亡後に毛利元就が行った第二次月山富田城の戦いに分けることができる。
尼子 晴久(あまご はるひさ)は、戦国時代、出雲国の戦国大名、出雲・隠岐・備前・備中・備後・美作・因幡・伯耆の守護大名。尼子経久の嫡孫に当たる。山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任し中国地方一の大大名となった。また大内、毛利両軍をよく制した。八カ国守護とも言われる。
家督相続
永正11年(1514年)、尼子経久の嫡男・政久の次男として生まれる。幼名が、父祖たちも用いた又四郎でなく三郎四郎であったのは政久の長男にあたる兄がいたからである(ちなみに晴久の子の義久も同様である)。
しかし、政久の嫡男(跡取り)となる筈であった兄(名乗りは又四郎か)は夭折。これに伴い次男の三郎四郎が代わって政久の跡目と成る。さらに本来なら尼子氏の家督を継いでいたはずの父・政久も、永正15年(1518年)の出雲阿用城攻めで陣没。このため祖父・経久の世子(直接の跡取り)に繰り上がった。元服後の初名は詮久(あきひさ)と称した。
大永年間には祖父の命を受け、伯耆守護代として伯耆守護の山名澄之を監視する任に付く。
この頃、尼子氏は重臣・亀井秀綱の主導による毛利氏の家督相続への介入に失敗した事で、毛利氏の大内氏への転属を許し、備後国や安芸国への支配力低下を招いていた。
享禄3年(1531年)、叔父・塩冶興久が謀反を起こす。同年5月28日付の大内氏家臣・陶興房の書状には大内氏が塩冶興久・尼子経久の両者から支援を求められ、最終的には経久を支持していることから、経久の代には大内氏と和睦していたことが判る。
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