「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

歴史の回想・「池田氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。グーグル・楽天・角川・BOOK★WAL」

2020-03-16 07:30:17 | 温故知新

「池田氏一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。角川・BOOK★WAL」
近世の大名家。出自に諸説があるが近世の家譜では、清和源氏頼光流、楠胤説、摂津国を本貫地とする。始祖の池田恒利の妻養徳院派織田信長の乳母、恒利の子池田恒興(信輝)は織田信秀・信長、更に豊臣秀吉に仕え、美濃国大垣城主となったが、天正12年(1584)長久手の戦で嫡子之助とともに討死。信輝の次男池田輝政は岐阜城主三河国吉田城主、ついに関ヶ原の功で播磨国一国を領し、姫路城守。輝政の次男忠継は備前国、三男忠雄は淡路国を領し、輝政は西国の重鎮になった。慶長18年(1613)の輝政の死後、遺領は、長男利隆に西3郡を除く播磨国が、忠継に備前に加えて播磨西3郡が伝えらえた。しかし、元和元年(1615)に忠継が、その翌年に利隆が相次いで死亡し、忠継の遺領は4人の弟、忠雄、(備前国・備中国の一部)輝澄(播磨国宍粟郡)、政綱に(同赤穂郡)輝興に(佐用郡)が継ぎ,利隆の遺領は嫡子光政が継いだ。1617年光政は因幡・伯耆に国替えとなって、さらに1632年に池田光仲が継ぐと、同族同士で国替えとなり、光政を藩祖する岡山藩31万石余、光仲が藩祖とする鳥取藩32万石が確定した。岡山藩支藩では、光政の次男政言・三男光録を藩祖し、備中国鴨方藩・生坂藩、鳥取藩支藩では、光仲の次男仲澄・四男清定を藩祖とする因幡国鹿野藩・若桜藩が置かれ、また輝澄の子孫から維新時に福本藩が創設された。本・支藩とも廃藩置県まで存続した。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿