「歴史の回想・疫病の襲来」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電書籍
「古代日本に天然痘の襲来」人類誕生後、弛まない進化によって、この地球上に高度な文明を構築し地球上の征服者として君臨してきたが、その文明科学に立ちはだかる三大脅威・苦難が「天災と戦争と疫病」がある。日本史上を見ても、平城京に襲った天然痘の大流行があって、政治の政権中枢にあって権勢を誇った「藤原四兄弟」は次々に天然痘(疱瘡)に亡くなった。一時は政治も朝廷の儀式・行事も機能しなくなったという。また民百姓まで伝染し、一説に日本の人口の4分のⅠが失われたという。
今日では放送は根絶されたというが、我々子どもの子供頃は学校で疱瘡の予防接種が腕に傷つけ菌を植え付け抗体をつけたものである。「東アジアから日本に来襲した天然痘」
中国では、南北朝時代の斉が495年に北魏と交戦して流入し、流行したとするのが最初の記録である。頭や顔に発疹ができて全身に広がり、多くの者が死亡し、生き残った者は瘢痕を残すというもので、明らかに天然痘である。その後短期間に中国全土で流行し、6世紀前半には朝鮮半島でも流行を見た。
日本には元々存在せず、中国・朝鮮半島からの渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初のエピデミックが見られたと考えられている。折しも新羅から弥勒菩薩像が送られ、敏達天皇が仏教の普及を認めた時期と重なったため、日本古来の神をないがしろにした神罰という見方が広がり、仏教を支持していた蘇我氏の影響力が低下するなどの影響が見られた。
『日本書紀』には「瘡(かさ)発(い)でて死(みまか)る者――身焼かれ、打たれ、摧(砕)かるるが如し」とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の初めての記録と考えられる(麻疹などの説もある)。585年の敏達天皇の崩御も天然痘の可能性が指摘されている。
735年から738年にかけては西日本から畿内にかけて大流行し、「豌豆瘡(「わんずかさ」もしくは「えんどうそう」とも)」と称され、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が相次いで死去した(天平の疫病大流行)。天平の疫病大流行(てんぴょうのえきびょうだいりゅうこう)は、735年から737年にかけて奈良時代の日本で発生した天然痘の流行。ある推計によれば、当時の日本の総人口の25–35パーセントにあたる、100万–150万人が感染により死亡したとされている。
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