「幕藩禍根の清算」アマゾン電子書籍紹介。角川・BOOK★WALKER
江戸時代に美濃国郡上藩で発生した大規模な郡上一揆と石徹白騒動である。
郡上藩は延宝年間に年貢の引き上げから、藩内部で藩政の方針に対立が生じ一揆が発生した。 郡上藩主金森氏は改易され、老中、若年寄といった幕閣中枢部の失脚という異例の事態を招いた宝暦騒動(ほうれきそうどう)を言う。
郡上一揆の発端は、年貢徴収法で定免法から検見法(けんみほう)に改められ、更に農民らが新田開発していた切添田畑を洗い出して課税を行うものであった。
従来の年貢徴収法は、年毎に収穫を見てその課税の量を決めるものから、定免法では、過去五年間、一〇軒の収穫高の平均から年貢率を定めるもので、享保の改革で導入されたものである。 郡上藩の財政も苦しく財政難に陥っていた。財政難に解消に、一揆が生きる前から徐々に賦課が増大していった。
一揆は当初は豪農層や庄屋などの富農民や、郡上で比較的豊かな農民が主導で起こった。郡上八幡中心より長良川の下流域の村々が一揆を主導していた。郡上藩は激しい農民らの激しい抵抗に藩側は、一旦検見法採用を取り下げた。
ところが藩主金森頼錦(かねもりよりかね)の縁戚関係からの支援を得て、幕領である美濃郡の代官から改めて郡上藩の検見法の採用を持ち出し、一揆が再燃した。
しかし藩側の激しい弾圧や懐柔などで庄屋など豊かな農民層から一揆のから脱落者が続出した。その後は中農、貧農層が一揆運動の主体となり、一揆勢は藩主への請願を行い、更に藩主の弟に取り成しを依頼するが、藩側は一揆農民の切り崩し図り、弱体化した一揆側に、強硬な弾圧がなされた。
郡内では、寝者と呼ばれ、一揆を止めて藩側の言う事聞き、立者といった一揆強硬派が情勢困難の中、老中への駕籠訴を決行するに至った。
老中への駕籠訴が受理されたことによって、郡上一揆は幕府の法廷で審議されることになった。一揆勢は再び勢いを盛り返した。
一揆の団結と連帯化を示すために「傘連判状」が各村々の決起する農民らの連判状が作られていった。
しかし当初は進めらえていた審議中断し、問題は解決の方法を見いだせないまま長期化した。そのような中、一揆勢は組織を固めて、犯の弾圧を避けるために郡上以外に関にに拠点を設け、闘争用費用を地域ごとに分担して献金していった。
献金によって賄う制度を作り上げるなど、優れた組織に構築していった。郡上一揆と同時期に郡上藩の領地である越前国大野石徹白で、野心家の神主の石徹白豊前が郡上藩役人と結託して石徹白の支配権を確立しようとしたことが主因である石徹白騒動が発生し、郡上藩政は大混乱に陥った。
最終的に郡上一揆と石徹白騒動は共に目安箱への箱訴が行われ、時の将軍徳川家重が 幕府中枢部関与の疑いを抱いて、老中の指揮下、寺社奉行を筆頭とする五名の御前議懸かりりによって幕府評定所で裁可が下された。
裁可の結果、郡上一揆の首謀者とされた農民から厳罰が下されが、一方領主であった郡上藩主の金森頼錦は改易となり、幕府高官であたt老中、若年寄り、大目付、勘定奉行らが免職となった。
江戸時代を通じて百姓一揆の結果、他に類を見ない領主、幕府高官らの大量処罰は行われた例はない。 また将軍家の意を受けて郡上宝暦騒動の活躍した田沼意次が台頭する要因となり、年貢増収により幕府財政の健全化を図ろうとする勢力が後退し、商業資本の利益への課税が推進されるようになった。
最新の画像[もっと見る]
- 「政僧・天海と崇伝」オンデマンド・アマゾン。@880円 3年前
- 歴史の回想「古事記が紡ぐ一ノ宮の神々」オンデマンド・アマゾン。@1320円203ページ 3年前
- 歴史の回想・「重源」オンデマンド・アマゾン。@1100円124ページ 3年前
- 「芭蕉紀行漂泊の憧憬」オンデマンド・アマゾン。@1540円 3年前
- 「日本仏教十三宗・諸派総覧」オンデマンド・アマゾン。@1540円 3年前
- 「太閤の夢の夢」オンデマンド・アマゾン。@1760円302ページ 3年前
- 歴史の回想「日本神道の神々」アマゾン・オンデマンド@1210円 3年前
- 歴史の回想「野田城・福島城の戦い」アマゾン電子書籍紹介・角川・グーグル・楽天ブックス。 4年前
- 歴史の回想「徳川四天王・榊原康政」電子書籍紹介・アマゾン・グーグル・角川・楽天ブックス。 4年前
- 歴史の回想「徳川四天王・本多忠勝」電子書籍紹介」・アマゾン・グーグル・楽天ブックス。 4年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます