世界中でナショナリズムが台頭している。そして、この潮流は間もなく日本にも押し寄せてくる。
強欲な資本主義経済システムの下で、国家は「国際競争に打ち勝つため」と称して、国民を犠牲にしてでも企業を優遇する。
為政者が、企業こそが国家繁栄の原動力だと考えているからだろう。
これでは、絶対主義の時代の「重商主義」に逆戻りだ。
一方、当の企業はと言うと、国家による優遇制度の下で溜め込んだ潤沢な利益を、国家や国民には還元せず、海外でのM&Aや投資、自分たち経営陣への高額な報酬につぎ込むだけ。
国家や国民など、所詮、二の次三の次。
大体、国家が大切にする自国企業と言っても、それらは自国の法律に準拠して設立されたというだけ。
その所有者である「株主」の過半数は外国人であったり、あるいは外国人の「CEO」が君臨していたりする。
そんなもの、自国企業でも何でも無いだろう。
私たちにとって、昔からなじみのある企業でも、もはや日本企業と呼べないものばかり。
最近では、日本企業が、国内に新たに工場を建設するなどという景気のいい話は聞かれない。
私たち日本人のリストラを進めると言う話はあっても、雇用を拡大するなどという話はない。
それどころか、グローバリズムの名の下に国際競争力の強化と称して、日本よりコストの安い国に工場を建設し、その国の国民を採用する。
企業にとっては、少子高齢化で魅力を失った日本市場や日本人の将来など、どうでもよいのかもしれない。
もはや日本企業とは到底呼べなくなった企業による、日本や日本人を顧みないグローバルモンスターの大暴走。
それを看過するばかりか、かえって、そうした日本企業の国際化を後押しする日本政府。
私たち日本人が、弛まぬ努力で営々と築き上げてきた国富を「グローバル化」の名の下に、海外に気前よくばらまくだけの売国国家に成り下がってしまった。
こうした日本の現実に気付きはじめた国民が、日本人としてのアイデンティティに目覚め、自らを守るために「ナショナリズムの原動力」となっていく日が来るかもしれない。
「自由と民主主義」を至高のイデオロギーとする欧米から始まったナショナリズムの波、それが世界を飲み込む大津波にならないことを願うばかりだ。