人と人とが殺し合いをする必要など無くなっているはずなのに、身の安全が保障されている権力者たちは、戦争をゲームのようにしか考えていないのだろうか。
そんなことを考えていて思った。
一番いいのは、権力者同士で決闘してもらうことだろう。
国連がコロッセオを作って、各国の元首が戦争の代わりに決闘をする、そんな世界が来れば間違いなく戦争は無くなるだろう。
戦争をやめられないなら、戦争に代わる方法を考えるしかない。
AIやITの力で、何もかもがバーチャル化していく時代、戦争だってバーチャル化できるはず。
現実の戦争の代わりに、「バーチャル戦争」で決着をつける時代。
ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻、アメリカと中国、ロシアとの緊張関係を見ていると、そのような時代が来て欲しいと願わずにはいられない。
そのようなことは無理だと、誰もが思うだろう。
しかし、世の中を見渡してみれば、100年前には誰も想像すらしていなかったものばかり。
バーチャル戦争だって可能かもしれない。
ただ、もしバーチャル戦争で負けたために、日本という国が消えて、どこかの国の支配下に置かれるなどという現実を甘受できるだろうか。
バーチャル戦争なんて空想の話としか受け止められないだろう。
確かに現在の私たちの感性では、そんなことは無理となるのは間違いない。
しかし、人間の感性などというものは、時代とともに大きく変わるもの。
バーチャル戦争が登場する未来の人間にとっては、至極当たり前のことになっているかもしれない。
とにかく、話し合いで解決できなくなった国際紛争を、誰も傷つけず、何も破壊せずに決着できる時代が到来するとしたら素晴らしいことだろう。
全ての兵器を無力化するプログラム。
兵器をコントロールするAIやITを、レーザー光線や電磁パルスでシャットダウンする。
バーチャル戦争なん言う前に、先ず期待すべきは、戦争などできなくなる技術革新だ。
とは言うものの、そんな時代になっても、AIやITとは無縁な、銃や大砲や爆弾のような、アナログな武器は使える、昔から人間は何だって武器にしてきたのだから。
ただ、そんなものは警察活動や治安維持には使えても、未来の国家間の戦争では、無力な過去の遺物となっていて欲しい。
ところで、戦争ができなくなった未来とは、どんな未来なのだろう。
驚くなかれ、既にそれは、日本国憲法第9条第1項「戦争の放棄」に書かれている。
「国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」というユートピアの世界だ。
しかし、戦争ができなくなったからといって、国際紛争が無くなるわけではない。
憲法第9条第1項も、よく読めば、「国際紛争は永久に無くならない」という前提で、「紛争解決の手段としての戦争を放棄しよう」と言っているに過ぎない。
昔から、権力者というのは、紛争解決の手段としての戦争が大好き。
そんな戦争好きの権力者のために必要なのが、誰も殺さず、何も破壊しない「バーチャル戦争」ということになる。
おそらく、この「バーチャル戦争」という新しい紛争解決手段の、コンセプトや仕組み作りについては、ルールやスタンダードを作るのが得意なアメリカ人が、知恵を絞ってくれるだろう。
後は、中国人とロシア人が、素直に、この新しいコンセプトを受け入れてくれれば、お膳立ては万全。
と思ったが、これでは、武力による戦争がなくなるだけで、今と何も変わらないではないか。
しかし、少なくとも、これで国際紛争を、誰も傷つけず、何も破壊せずに決着させることができるなら、喜ぶべきことだろう。
ITやAIの進化が怖いなんて言っていないで、たまには「バーチャル戦争の時代」を想像してみるのもいいのではないか。
ただ、ここまで書いてきて気がついた。
今は沈静化したコロナのような「生物化学兵器」は、無力化できそうにもないだろう。
やはり「バーチャル戦争」なんて無理なのかと思うと悲し過ぎる。