新潟福島には洪水注意報が出ている
今年は荒れる定まらぬ年なのかな
息つく暇もなく 次々と
こんな日々は じっと我慢して耐えるしかない
の かな
海底を這う日々だった
時折射す薄日が微かな安らぎでもある
休日 散歩の 浦和の調神社の池のほとりで
これだけが日を受けて
写真にしてみたが
ギラギラして
違うな
違う
アスぺとして
長年生きてきたが
自分がそうである事は全く知らなかったが 発達障害の1ジャンルだ
無事にじじいになれた事に感謝する
ミラーニューロンと小脳の一部の遺伝的未発達
振り返ってみれば 球技が全く駄目だった
見て覚える事が出来ない
自転車は人の倍以上の時間がかかった
水泳も先輩にプールに放り投げられて覚えた
個人競技は楽で中距離徒競争では1番だった事もある リレーはアンカーになった
だが ドッジボールはまったくの苦手で球をぶつけられていた
柔道も相撲もそれなりだったが 野球はまったく駄目だった
考える余地がある競技は何とかなるが 瞬間の対応が必要な競技は苦手だった
ミラーニューロンは 物まね神経
相手のしぐさ 動きを 無意識にそっくり真似 学習する
それによって相手と同じ状況を自分に作り出し
相手の細かな感情 動作 微妙な雰囲気を学習する能力を獲得する
その能力が自分は普通以下であった
今ならわかる
幸いに 知能は遺伝として与えられたらしい
子供の頃IQは150だった
親からもらった遺伝子のおかげだ
自分の努力で得たものではない
だから自分の能力ではない
学校では役にたったが 社会においては
沢山必要とされる能力の一つにしか過ぎない
普通の子供が何の努力もなく獲得できるコミュニケーション能力が欠けていた
人を理解するには 普通の人には苦もなく出来る事を
自分は 観察し 分析し パターンわけして 大脳で理解しようと努めた
この場合 人はこうゆう反応する事が多い
こう言えば 人は そのような反応をする
そうゆう事例を 自分でも嫌になるくらい記憶した
学習したおかげで
いろんな事はあったが何とか世間様を渡る事が出来たように思える
一見 世渡りが対人関係が 少し自信がついたのと
もう一度 仕事と無関係な人とのつながりをもてると自惚れて
7年前 ネットと言う便利なものがあったので
素の自分をさらけ出し 沢山の人と繋がりを持とうと思った
子育ても終わり 最後の自分への挑戦体験でもあった
得た事は多い
そうだったか
え なんでこんな反応をする
出た結論は
今までどおりの事を確認しただけであった
7年間通した試行錯誤で
心から人と交わるのは無理なのかもしれない
残念な結論ではあるが
自分からこんなに人に積極的に近づいたのは初めてであるし
長い間 不可解なまま心にわだかまっていた事が晴れたような気がする
不要な不快や 違和感を感じさせたかもしれない
出会ったネットやオフやいろんな集まりの方々にお詫びしたい
やはり
人を理解できない
予想外の反応が多すぎる
想定外というが 想定外が多すぎる
人は数種類の反応パターンに分類する事が出来るが
同じ顔の人がいないように まったく同じ反応をする人はいない
人はこの複雑な認識を まるで 車の運転しながら隣の人と会話するみたいに
やすやすと 上手に
無意識に 意識して考えることなく
この世間様の 人々の間を 軽々と運転して行く
凄いなと思う
人は自分にとっては難しすぎる
人といると考えすぎて 疲れきってしまう
よく言う 自意識過剰とか 人を意識しすぎてとか よく思われたいとかあるが
自分はそれ以前
知らない人に会うのは 常に未知との遭遇の状態だから
自分を意識なんてしている暇はない
対応に必死になるだけだ
必死さを見せまいと 自然 ポーカーフェイスになってしまった
当たり前の事をあらためて確認する
大地や 月や 海や 山や 鳥や 草木や
大地そのものは すんなりと自分に入って来る
多分 意志を持ってないからだろう
善意も 悪意もない
ただ 素直にあるがままだ
だから ゆったりと 心を委ねられる
人には意志がある
それはいい
だが 自分に対して
それが 善意であるか 悪意であるか 自分に意図があるのかないのか
わからない 推測するのみ
自分は言葉を言葉通りに受け取る癖がある
言外の含み
本やドラマではなんとなくわかるが
いざ自分の実生活で直面すると
その場ではわからず 寝る前に あ!そう意味だったのか
あの人は ほんとはこう言いたかったんだな
なんて事は ざらにある
発達障害の中で
高機能性アスぺだけが人を求めない
人を諦めているからだ
孤独を知らないのではなく
孤独だけが唯一の友人であり 安らぎなのだ
やむを得ず孤独になるのではなく
一人でいる事が この世での唯一の安らぐ時間であり場所でもある
世捨て人ではないし 世間に絶望し 隠者を気取るわけじゃない
ただ 人を理解できないため
人と離れて 人を見つめていたいだけだ
こうやって 人と交わり仕事をして
それは 人を学習したから
苦もなく社会生活を送れる
深く交わらない限り 破たんは起きない
手慣れた日常である
自分には普通の人の感情が無いのではないか?
心のかたわではないか?
ふと そう 思う
見た目は普通の人間であるが
普通の人々との共通ベースに欠けている
一見普通の人間ではあるが
近づけば 違和感
でも それでいいと思っている
それが自分だから
子供たちにはこの遺伝子は伝わっているだろうが発現はしていない
ごく普通の子たちである
自分は運のいい人間だ
追記
こうやって同じような事を日記に書く
自分を分析するのは習慣になっている
自分自身も 観察の対象
ある日 視点の座標が変われば
何か 新しい発見があるかもしれない
事もなく今日の1日が終わる
ようやく解決の方法を見つけたらしい
今回の材料においての 限定付きだが
繊維は生き物である
人と同じように難しい 千変万化が常である
でも 人から離れる事は出来ても
仕事から離れるわけにはゆかない
自分だけではなく 他の人の生活もかかってる
逃げるわけにはゆかない
出来ないと諦めて楽する事は出来ない
こうゆう縛りが自分には必要だな
縛りがあるから 自由がおいしい
さて 明日は埼玉知事選の選挙日
毎日 いろんな事がある
諸行無常がこの世であれば
安ずる事が不可能なこの世であれば
首まで浸り 楽しむ
せっかく親から生命を貰ったのだから
思い残すことなく死にたいものだ
それはさておき
こないだから アリナミンを朝飲んでるせいか
仕事中体が楽だった
昔 栄養剤など何の効果も無かった
こんなものが効くと言うのは
年を取って体が衰えたせいだ
又一つ 新しい事を覚えた
そうか じじいぶりっ子から 本当のじじいへ
本物の老人を目指して 頑張るべ
今夜も エアコンいらず 助かる 体が楽だ