若いうちは こんな考えは邪魔になるだけだが
じじいになった今 必要な考えだと思う
USAの精神医学の学者の中には
奇妙な研究対象を選ぶ人もいる
幸せ感というものは 期待値で決まると言う
自分自身に対して期待値が高いと
不幸せ度が高くなるらしい・・・?
こうあらねばならない
よく人様がゆうように
例えば
高所得 名誉尊敬 大事に扱って欲しい
社会的成功しないのは 金を稼げないのは 努力が足りない
例えば
こんなに苦労して子育て 愛情を一杯注いだのだから
子供が 親の面倒をみるのは当然の常識
何故 こちらを向いてくれない
例えば
こんなに愛してるのに 仕事にかまけて
触りもしない
家族を構ってくれない
家族が大事であれば 家族だけに目を注ぐべき
例えば
冠婚葬祭 交際 友好 昔からのしきたりだから
お金がかかっても 義理を欠いてはいけない
それが 社会人として当然の義務
など
期待値が高いという事だろう
自分は
その人がそう思えばそのように生きればいいと思う
自分はその人じゃないから
その人に意見を押し付けられない限り
犯罪でない限り 人様がどう考えようと
それはその人の自由だと思う
幸せ感は 他人との比較によって決まる
相手が
自分よりいい物を持ってたり
幸せそうだったり
豊かだったり
能力があったり
人から好かれる人だったり
そうすれば その人は不幸までとは思わなくても
心安らかな状態ではいられないと言う
全ての人が貧しければ 貧しさは不幸と感じない
全ての人が不幸な境遇であれば 人は自分が不幸とは思わない
そうかもしれないが
自分は子供の頃から人と自分を比較した事はない
人は人 自分は自分
比べようがない
トマトと玉ねぎとキャベツ
どれが 一番素晴らしくて立派か
そんな事聞かれても
それぞれ個性があるとしか言えない
そんな事当たり前すぎて疑問に思った事さへない
自分はどうする
期待値
誰でもない
自分自身への期待値を下げる
期待値
今 この瞬間 生存している
それを 期待値にする
だから 生存するため 体が動く限り働き稼ぐ
食って 寝て 働く
一人この世に生存するため 疑問の余地は無い
生存するための全ての事は自分で処理する
それを期待値にする
だから 人を必要としない
だから 人からの手助け助言に感謝できる
本来 自分ですべき事だから
あえて 自分の為に他者がやってくれるのだから
感謝などと 薄っぺらく 年寄りのたわごと
などと 若い頃うそぶいていた自分だったが
年齢というものは 沢山の事を教えてくれる
今 こうやって日記なぞを書いていられる自分に
感謝
誰にだろう?
神仏にではない
宗教なぞたかが数千年の歴史しかない
神仏なぞ人間が創造したものにしか過ぎない
神仏は尊ぶ
宗教の創立者達は偉大な人間とは思う
歴史上の偉人達のように
勿論自分に対してではない
社会に対してではない
天地に
大地にと言ってもいいだろう
石器時代の人々の自然信仰
アニミズム
自分はやはり現代に適応できない原始人なのだと思う
カトリックから禅宗そして無神論
行きついた先がアニミズム
空気の海の底
塩水の海の上
その狭間に生命を与えられ
生命を維持する為の全てを大地から与えられ
とりあえず生活を送っている
この考えが大仰な表現で無くなって来た
不思議だな
自分の変化に少し驚きながら
自分の生命の続いてる事に
やはり
不思議だ
もっと昔とっくに死んでてよかったはず
命なぞ 運命の風の吹きようでどうにでもなる
数秒ずれたら いなかった
こうして・・・
ま 誰でも長く生きてれば同じような沢山の体験をするもんだ
ちょっと 生存がかったるいと 頭をかすめるが
こんな世の中でも
いい人はいるんだなぁ
ここ1年
鳥のさえずりが
今の自分の和みだ
この日
日の丸写真が好みで
鳩がいる
仲良くな