スマホで簡単にいろんなブログを読めるようになっている現代。
5年前に肺癌でなくなった父が
残した幼い日の記録を
私たち家族だけではなく
どこかの誰かにも読んで欲しいと
ふと 思いついて書きます。
父の満州の思い出を。
小学校
わたしが入学したのは、満州国奉天市深海在満小学校で、大きな川を越えた随分遠くにあったように思う。
わたしが小さかったから そう感じたのかも知れない。
冬にはその川に氷が張り、木材を積んだ荷馬車が、近道をするために川の上を渡っていた。
下校時に野犬に襲われた時のために、木に登って逃げる訓練を上級生にさせられていた。
うちの官舎から通っていた女の先生が、ひとりで帰宅中、たくさんの野犬に取り巻かれ、長時間たちすくんでいたら、人に助けられた という話を聞いた。
母がいろんな注意をしてくれていたので、覚えている。
野犬は人間の肉を食べているせいか、とても大きくて、目が赤く、いつも群れていたので大変に怖かった。
便所
冬には便所の大便が、逆つららのようになって尻に届いてしまう。
父が戸外の汲み取り口から便所に入り、金づちでカンカンと叩き折り、袋に入れて持ち出していた。臭いもなくきれいなものだ。
戸外で立ちションをしても、あまり流れないうちに凍っていた。
ペーチカ
家の中はどの部屋も、ペーチカの一部である壁が出ていて、石炭を焚いていたので暖かかったが、
戸外は-35℃ぐらいになることもあったようだ。
だから町の家の軒下に、裸でコチコチに凍った満人の死骸があちこちに転がっていた。
行き倒れになって、凍え死んだ人の服を剥ぎ取って転がしているんだ、と聞いた。
また日本人の姉妹が肉を買いに行って、ひとりが外で待っている間に、中に入ったひとりが肉にされた、という噂も聞いた。