スマホで簡単にいろんなブログを読めるようになっている現代。
5年前に肺癌でなくなった父が
残した幼い日の記録を
私たち家族だけではなく
どこかの誰かにも読んで欲しいと
ふと 思いついて書きます。
父の満州の思い出を。
他の記録サイトより引用写真
他の記録サイトより引用写真
日本が敗けた
大人たちが 日本は敗けたと話をしていたが、
わたしには意味がわからなかった。
それ以来、あきらさんや峰さん、その他の大人が鉄砲を持って、高い乾燥場にあがり警戒をする日が続いていたが、
ある日、『武器を納めよ』と命令がきたらしい。
武装解除は心配だ と、言ってはいたが、
命令だからと、それぞれ家にある武器を開拓団本部に持っていく話、誰が持っていくのかという話をしていた。
たくさんの38式歩兵銃や、性能のいい銃、弾薬を馬車に積んでいる姿を覚えている。
それまでは 家で大人たちが、よく銃の手入れをしていた。
満人が襲ってきたら、と 家の開口部には全部トタンを張り、大切なものは瓶に入れて、家の中の土間やオンドルの中に入れて隠した。
おそらく 日本が敗けたら”満人の襲撃があるかもしれない“という噂が あったのだと思う。
大切なお金は、ひとりひとりに分けて、胴巻きにして腹に巻きつけた。
わたしも持たされていた。