ブログの自己紹介やコメント欄もなく、リアクションボタンもフォローボタンもない『今日の出来事』という慎ましやかなブログ。
一旦閉じてしまうと二度と辿り着けないかもしれないので失礼を承知で無断で載せました。
現代は3組の夫婦がいたら1組は離婚するようなご時世ですが、子供が小さい時には決して離婚してはいけないと気付かせてくれる記事でした。
2010年11月13日 | 幼少時代
最近、よく主人に聞かれる
「お前はお母さんに逢わなくて良いの?」
気にかけているのだと。とても感謝してるのだけど
時が来たら・・・かな?
許せないのではなく、許したくないのでもなく
まだ、引っかかってるのか?
遠慮してるのか・・・・
誰にだろう?・・・・
ただ言えるのは
昔の私と、まだ向き合えないでいる
もう40年も前の話なのに、父が驚くほど
あの時の出来事は鮮明に覚えていて、今でも目に焼き付いている
引っ越しが多かった我が家は、「あの時」も、また遠くへ引っ越すのだろうと思っていた
トラックに荷物が積みこまれ、今度は何処へ行くのかとワクワクしてた
でも、トラックに乗ったのは「母」だけだった
まだ5歳だった私と、1つ下の妹を抱きしめ
「ごめんね」と耳元でささやいた言葉が、今でも忘れられない
母はトラックに乗り込むと、車の窓から顔をだし、大きく手を振り泣いていた
ようやくここで、状況を呑み込めた私は、人目はばからず
道端で「ママ!!」と何度も叫び、号泣し、トラックを追いかけようとした
妹もわけわからず、私につられて泣き出した
のたうち回り、泣き叫ぶ私を父が抱きしめ
「大丈夫だよ、すぐに会えるから。『新しいママ』のいるところへ行こうね」
まだ5歳だった私は、父の言う『新しいママ』の意味がわからず
父の言葉を信じて、泣くのを止めたのに・・・
私は「黄色」
妹は「ピンク」
それぞれ花柄の付いた、色違いでお揃いのワンピースを父に着せてもらい
「母」の待つアパートへ、父の運転する車で向かった
「ママ」がいるというアパートへ
まさか、こんな日が来るなんて想像もつかなかった
「離婚」の意味も言葉さえも解らなかった
アパートに到着し、急いで車から降り
ドアを開ける
「ママ!!」
出てきたのは、「ママ」ではなく『知らないおばさん』だった
「今日からこの人が、お前たちの『新しいママ』になる人だよ」と
パパは、私に嘘をついた
私はまた泣き出した
「違う!!ママじゃない!!」
部屋の中に入ることを拒絶し、外で妹と大声を張り上げて泣く
ママに逢いたい、『本当のママに逢いたい』
家に入りなさいと言われても「絶対に嫌だ」と泣きながら、拒絶する
そして車の後部座席に乗り込む、私と妹
あれやこれやと、私が喜びそうなものを出しては家に入れようとする父
首を横に大きく振って、車の中で泣きじゃくる私
「バナナがあるか?」と父が、知らないおばさんに聞く
すぐ隣にあるお店屋さんで、『おばさん』がバナナを買ってくると、それを父にわたす
「お前の大好きなバナナだよ」とチラつかせる
それでも私は首を縦に振らない
縦に振ったのは妹だった
どれだけ泣いただろう?
あたりは真っ暗だった
泣き疲れ、車の中で眠ってしまった
気が付くと、ベットの上だった
朝食の準備が出来ていた
ようやく冷静を取り戻したのか、それとも諦めたのか
昨日はあれだけ沢山泣いて、大暴れしたはずなのに
ケロッとしていた
おなか一杯ご飯も食べた
父と『おばさん』は、ホッとした顔をしていた
だけどまた
私が泣いたのは
それから何日か経ってからのことだったよね?
妹とベランダ越しから
『おばさん』が、用意してくれたシャボン玉を飛ばして遊んでいると
遠くから、手を振る女性の姿が見えた
反対側を振り向く
誰もいない
再び、手を振る女性のほうへ振り返る
手招きをしている
「ママだ!!」
靴も履かず、裸足でベランダから飛び降り「ママ!!」と叫びながら
砂利道を走った
妹も泣きながら、私を追うように走る
そして、母に抱きつく
妹も抱きつく
「ごめんね。ママと一緒に帰ろう」
また『ママ』と一緒に暮らせると、喜んだのに
『おばさん』が余計なことをした。
『おばさん』から連絡を貰った父が、職場を抜け出し
路上で母を罵倒した
『ママ』といる!!
ダメだ!!
優しい父が、初めて険しい顔で私を叱った
私と妹は泣く
大空を見上げて泣く
「帰れ!!!」と、父が母を追いやった
母は泣きながら、再び私たちの前から姿を消した
私は、父のおなかをパンチした
泣きながら何度もパンチした
何度も何度もパンチして、蹴りもいれた
何度も何度も
気が済むまで
父のおなかをパンチした
何度も何度も
蹴りを入れた
父に宥められたのか、どうだったのか
そのあとのことは良く覚えてないけど
『おばさん』のいるアパートへ
3人で戻った
でも、そこに『おばさん』の姿が無かった
3人で『おばさん』を探した
『おばさん』は公園で、ブランコに座って
泣いていた
私と妹は、公園で無邪気に遊ぶ
泣いている『おばさん』と
それを宥めている父を、時々見ながら
お父さんは知らないけれど、ママは時々私たちの前に姿を現していたんだよ
スーパーで
でも私は一緒に買い物をしていた『おばさん』に気を使って、知らない人みたいな顔をしたんだよ
父と継母が離婚するまで一緒に暮らしていた家の近くで
「チョコレートあげるから、ついておいで」と言われたこともある
「知らない人に付いて言っちゃダメって、お母さんに言われてる」
ママ泣いてたね・・・ごめん・・・
バイト先にも来たんだよ
「幸せ?」「結婚はいつ?」
お父さんが教えたんでしょ?
あとで知ったよ・・・
あれから40年が過ぎて
昔ほど『母を』を想う事は無くなったけど
ただ思うのは、「大人の事情」って言うのは
どれだけ身勝手で、子供を深く傷つけているかと言うこと
主人と出会うまで、本当に波乱に満ちた人生だった
あれだけ継母を嫌っていたのに
育ててもらった恩もある
パパと3人の子供たちは、私の育った環境を知ってはいるけど
あの時の出来事までは話したことがないから
私がどれだけあの時傷ついたかまでは知らないでしょ?
だから、まずは貴方たちに話をしてから
それから・・・・
逢うのは
だからしばらく時間をください
🔶 🔶 🔶 🔶 🔶 🔶
この方のブログにこんな記事も。。。東京オリンピック開催反対を唱える人たちに向けて
【記事要約】確かにオリンピック開催は私も反対なのですが
それを、この日のために準備してきた選手の前で言えるか?と聞かれれば言えないです
ましてや池江選手は、白血病と戦い、死の不安と恐怖と闘っていたはずです
奇跡の復活を遂げても、東京オリンピックは諦めていたに違いありません
その池江選手が奇跡復活を果たしたのですよ?
オリンピックを開催し、彼女の夢を叶えてあげたいし
私も池江選手がメダルを取る瞬間をこの目で見たいし
例えメダルを取れなくても、泳いでいる姿を見たいと思うのです
それを、この日のために準備してきた選手の前で言えるか?と聞かれれば言えないです
ましてや池江選手は、白血病と戦い、死の不安と恐怖と闘っていたはずです
奇跡の復活を遂げても、東京オリンピックは諦めていたに違いありません
その池江選手が奇跡復活を果たしたのですよ?
オリンピックを開催し、彼女の夢を叶えてあげたいし
私も池江選手がメダルを取る瞬間をこの目で見たいし
例えメダルを取れなくても、泳いでいる姿を見たいと思うのです
やるからには、大成功をおさめてもらいたい!!
前回の東京オリンピックは、残念ながら記憶にないので
今回は、しっかり記憶に残して 色んな事 語り部になりたいですね。
これは日本という国が世界に公約したことでサッカーやテニス大会などとは次元が違いますし、
自分の子供や孫が幼い頃からオリンピックを目指して
全てをつぎ込む必死の努力をしてきた事実を見ていたとしたら
きっと反対なんて言葉は出せないと思い直しました。