吉原細見(よしわらさいけん)
江戸の吉原遊廓についての案内書で、一般的な体裁は店ごとに遊女の名を記し、細見売りが遊廓内で売り歩いていたパンフみたいなもの。
17世紀からあるが、1732年ごろから年2回の定期刊行となり、1880年代まで約160年間にわたって出版されつづけ、『役者評判記』に次いで、日本史上最も長期にわたる定期刊行物とWikipediaにありました
この冊子の「序」を平賀源内が書いたと聞いて内容をみると
序の内容は「女衒(ぜげん:女郎を遊郭に斡旋する仲介業者)、女を見るには法あり」の口上から始まっています
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吉原は 女を そりゃあ念入りに選びます
女衒が女を見るには法あり
一に眼 二に鼻筋 三に口 四に生え際 ついで肌 歯は・・・となるそうで
とは言え
牙あるものは角なく 柳の緑に花はなく
知恵のあるは醜く 美しいのに馬鹿あり
静かな者は張りがなく 賑やかな者はおきゃんだ
※ 若い女性が活発で,やや軽はずみな・こと(さま)。
そのような娘をもいう。おてんば。
何もかも揃った女なんて ま いない
それどころか とんでもねぇのもいやがんだ
骨太に毛むくじゃら 猪首 獅子鼻
棚尻 (たなっちり) の虫喰栗
※ 円く肥えたる大きな尻、棚の如く突き出たる、でッ尻
※ 虫喰いの栗
ところがよ 引け四つ木戸の閉まるころ これがみな 誰かのいい人ってな摩訶不思議 ※ 非常に不思議で、常識では考えられないこと
世間ってなぁ まぁ広い 商売繁盛 ああ お江戸
平賀源内の書いた「細見嗚呼御江戸」の序では、女郎達を厳しく評価しながら、吉原で懸命に生きる女郎達に対する尊敬の念をも感じる文章で、吉原に通う人々はもちろん、まだ訪れたことがない人達にも届くような正直な言葉を書いて誰もが吉原に心惹かれるようにしたという名文とされています。
伊勢佐木町で私にあめ玉をくれたハマのメリー、 ドヤのアッコ、餡パンをくれたザキの山下も居ましたが皆が自分の境遇を惨めだとは感じていませんでした。
【飢えに苦しみ、寒さに震え、雨に打たれて死んでも スズメたちは自分が惨めだとか親が悪いとか思わないという名言もありました。何でも誰かに責任転嫁する現代人に思い出して欲しいことばでした】