3月11日14時42分です。
数日前の過去記事の『小さな小さなローカルニュース』予約公開ですが東北地方太平洋沖地震の発生した日、時間に 『こんな人たちも居るんだ』 ということを忘れないためにもう一度公開したいと思います。
まもなく 2011年(平成23年)3月11日に発生した
東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災) から9年めになります
目立たないけど役に立っている人たち の報道がありました
9年間で99.9%を家族のもとへ 宮城県警 震災身元不明捜査班の努力
仙台放送 3/8(日) 7:02配信
東日本大震災で亡くなり、宮城県警が身元特定のため検視を行った人数は合わせて9541人。
これまでに99%以上の身元が判明し、現在は8人まで減りました。この8人を、何とか家族のもとに帰そうと、今も奮闘しているのが、宮城県警の特別捜査班です。彼らの“執念”とも言える活動に密着しました。
宮城県警察本部 仙台市青葉区 宮城県警察本部。その地下にある部屋。
ここに、東日本大震災で亡くなった人たちと、今も向き合い続ける警察官たちがいます。
ここに、東日本大震災で亡くなった人たちと、今も向き合い続ける警察官たちがいます。
震災身元不明・行方不明者捜査班 菅原信一 検視官
「きょうまでに、9541体の記録が全てここに置いてある」
「きょうまでに、9541体の記録が全てここに置いてある」
「9541人」。震災によって亡くなり、県警が身元を特定するために検視した遺体の数です。
身元の特定に特別捜査班の努力によって、県内では、これまでに全体の99.9%に当たる「9533人」の身元が特定され、家族の元へ帰りました。
残るは「8人」。
しかし…。
震災身元不明・行方不明者捜査班 菅原信一 検視官
「年数が経過するとご遺体も腐敗し死後、変化していく。その身元を特定するには本人のDNAがあればすぐに特定となるが、そういう方はほとんどいない」
身元の特定に特別捜査班の努力によって、県内では、これまでに全体の99.9%に当たる「9533人」の身元が特定され、家族の元へ帰りました。
残るは「8人」。
しかし…。
震災身元不明・行方不明者捜査班 菅原信一 検視官
「年数が経過するとご遺体も腐敗し死後、変化していく。その身元を特定するには本人のDNAがあればすぐに特定となるが、そういう方はほとんどいない」
県警による捜索 気仙沼市 2014年
【ここに潜水服を着て遺体を探す機動隊員の姿の画像】
身元を特定する捜査では、「DNA鑑定」が主流です。
しかし、海の中に長い間さらされるなど遺体の損傷が激しい場合、DNAが検出されない場合もあります。
また、遺体からDNAが検出されたとしても、適合する相手となる家族も亡くなっている場合があり、親族を探すのも時間がかかるといいます。
震災から9年が経った今も、遺体に残されたわずかな手がかりを探し身元を割り出すという地道な捜査が、今もなお、続けられているのです。
しかし、海の中に長い間さらされるなど遺体の損傷が激しい場合、DNAが検出されない場合もあります。
また、遺体からDNAが検出されたとしても、適合する相手となる家族も亡くなっている場合があり、親族を探すのも時間がかかるといいます。
震災から9年が経った今も、遺体に残されたわずかな手がかりを探し身元を割り出すという地道な捜査が、今もなお、続けられているのです。
気仙沼市 2月10日
災身元不明・行方不明者捜査班 京野祐也 検視係長
「きょうは、これから気仙沼市の鹿折にある公営墓地に向かいます」
「きょうは、これから気仙沼市の鹿折にある公営墓地に向かいます」
気仙沼市鹿折公営墓地 2月
今も身元が分からない8人の遺体は、見つかった場所の自治体が、それぞれ安置しています。
2月、そのうちの1人の遺体を京野検視係長が引き取りに向かいました。
気仙沼市内の漁港で見つかったという遺体。
身に着けていた衣服から、女性とみられています。
しかし、これまで様々な捜査が行われたものの、身元の特定に至る手がかりは見つかっていません。
2月、そのうちの1人の遺体を京野検視係長が引き取りに向かいました。
気仙沼市内の漁港で見つかったという遺体。
身に着けていた衣服から、女性とみられています。
しかし、これまで様々な捜査が行われたものの、身元の特定に至る手がかりは見つかっていません。
京野検視係長は「骨の状態から体の特徴を推測する手法」を専門家に依頼すると言います。
遺体が見つかった場所 気仙沼市 金取漁港
その後の専門家の鑑定で、この遺体は「女性」で「背骨に加齢による骨折があることから、高齢であることが推測される」ということが新たに判明。
現在、この2つの情報を元に、発見現場の周辺でこの女性に合致する行方不明の高齢女性がいなかったか、捜査が続けられています。
身元判明が難しい遺体もある一方で…。
現在、この2つの情報を元に、発見現場の周辺でこの女性に合致する行方不明の高齢女性がいなかったか、捜査が続けられています。
身元判明が難しい遺体もある一方で…。
気仙沼市 長磯七半沢 2月26日
ほとんどの遺体は捜査班の努力によって家族の元に帰されています。
気仙沼市の佐藤信行さんも、震災から7年9ヵ月を経て、妻・才子さん(当時60)の遺骨と再会できました。
佐藤信行さん
「変わり果てた姿なんだけど、やっぱり妻。待ちに待っていた」
気仙沼市の佐藤信行さんも、震災から7年9ヵ月を経て、妻・才子さん(当時60)の遺骨と再会できました。
佐藤信行さん
「変わり果てた姿なんだけど、やっぱり妻。待ちに待っていた」
気仙沼警察署 2018年
才子さんの遺骨は、おととし10月、気仙沼市内の自宅近くの防潮堤の工事現場で見つかりました。
見つかったのは全身の骨と、震災当時に身に着けていた衣類の一部だけ。
DNA鑑定の結果、才子さんと判明し、震災から7年9ヵ月ぶりに、夫・信行さんの元に帰ってきました。
見つかったのは全身の骨と、震災当時に身に着けていた衣類の一部だけ。
DNA鑑定の結果、才子さんと判明し、震災から7年9ヵ月ぶりに、夫・信行さんの元に帰ってきました。
気仙沼市 2月26日
佐藤信行さん
「本当に頭が下がる思い。寒い中、暑い中でも一生懸命捜索してもらって。昼夜問わず鑑識を一生懸命やってもらって、間違いないように家族に引き渡してもらって…本当に感謝しています」
「本当に頭が下がる思い。寒い中、暑い中でも一生懸命捜索してもらって。昼夜問わず鑑識を一生懸命やってもらって、間違いないように家族に引き渡してもらって…本当に感謝しています」
県警は、いまだ身元が分からない人について、似顔絵や遺留品などをホームページ上で公開し、身元特定のための情報提供を呼び掛けています。
震災身元不明・行方不明者捜査班 菅原信一 検視官
「身元を明らかにすれば、その方が生きた証になる。そのままでは何もない。世の中に生を受けて懸命に生きた証を探してあげる。『最後の1人まで』に尽きます」
最後の一人まで、帰るべき場所を探し続ける。
捜査班たちは執念を燃やし続けています。
最後の一人まで、帰るべき場所を探し続ける。
捜査班たちは執念を燃やし続けています。
ただ、こんな捜査員にでも
仕事を離れて 育休取得しろ
年次休暇を取得しないと労働基準法違反だ
奥さんに家事や育児を任せ放しの無責任夫とかきちんと家事分担をしろ!
部下職員が真剣に勤務に取り組まない場合や遺体措置などに致命的なミスをしたときにでも厳しく叱責し、対象職員本人がだらしない資質であったとしてもその部下職員が 『パワハラ』 と捉えて訴え出れば今回法改正があったので今後は免職を含む処分が待っています。
勤務一筋に努力していた職員は過去の功績は一切関係なく処分され、路頭に迷うことになります。
それでも
死体を返すためだけに 9年も税金でお巡りに無駄メシ喰わす必要があるのかっ!! という意見も多いそうですから意見が分かれるところです。
でも、何も世の中の役には立たなくて、却って害毒を流しているような企業の創業者や大金を持っていて、無意味な贅沢をひけらかしたり。
世界長者番付に載るような数兆円の個人資産を持ちながら自分の創業した「超」大企業は国に税金を1円も納めない。などよりは立派なことだとかんじるのですが。。。
こんな日本人が増えてきました。