今日は、亡父の命日だ。
没後17年が経つ。
今まで、命日 当日にお墓参りに
行けたのは数回程度。
家族や自分やお天気の都合で
日にちをずらして行く事が多い。
今年はその都合を全部クリア。
上手いことやったね、
“お父さん”。
婿養子で跡取り娘と結婚したので
お墓の中には、祖父母も一緒。
なんなら、(その墓地は実家の
近所だから)
祖父の兄や妹たち家族の入ってる
お墓もあって、
ついで参りは“いかん”
と知ってるけど、絶対ついでに
拝んで帰る(だって通り道にあるし
生前、遠回しにお世話になっている)
父が亡くなった頃、
私はパート看護師・子供はだいぶ
手間が掛からなくなった頃
(下の子が小6だった)
だけど、
体調不良の箇所が増えていた時
でもあり、
“ジレンマの渦中”にあった。
その頃の心境が次のようなもの
「仏教やら神党やら外国の宗教も
み~んな引っくるめて、
世の中
何でこんなに決め事が多いん?
誰が始めたん?
元を辿ればみんな一緒やん。
決め事を守る事にパワー使いすぎ
じゃないん?
大事なんは、生きとる人に
どれだけの事ができるかやないん?
亡くなったら、みんな一緒やん。」
というもの。
一時期、私だけ
無宗教になろうか?
お墓なんか入りたくない。
海に散骨がいい!(それにも
決まりがあると・・・後で知る)
しょうがないよね、
現世に生まれて来たんやもん。
ファンタジーの世界じゃない。
『私のご先祖さん達が
決めて来た色んな事、
今の時代にあってない、
とか
決め事に縛られて
誰かが不幸になった
とか、そんなの不公平だ。
私もご先祖様も同じ一個人よ。
だったら、私にもやめたり
断ったりする権利がある!』
と心の奥底で反抗していた
あの頃。
そうかぁ、あれから17年か~。
人生いろいろ、ある。
けど今の私にわかっているのは、
その時々で何らかの
『お助け』
が来る・・・ということ。
それは、誰かの声かけ
かもしれんし、
テレビや街中で見掛けた物かも
しれんし、
自然界や動物
だっりするかも。
特に命がけで辛い時に
何かの『サイン』がくる・・・
来てる筈。
自分が少しでも楽になるような
コトが。
これを聞いて
不思議すぎて気味が悪いとか
私のアタマおかしいん違う?
と思う人もおるかもしれんけど
実際、私が経験した事です。
“お助け”に気付けたおかげで
『私を助けてくれる仕組み』
があるんだ・・・と思った。
だから
現世で納得がいかない事でも
自分の生い立ちや境遇や
立場を受け入れられる。
本当に自分がしんどい時には
『自分から行動して変えていけるんだ』
ってわかった・・・から。
何か、偉そうなこと
書いちゃったんだろうか?
父親の命日にちょっと
感傷的になった
変人が書いた
変人日記でした・・・チャンチャン。
今日の雲 綺麗かったー。