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田舎ぐらし(215)

 ー 今どきの子  今どきの孫 ー
 
 

   「間違いだらけの家族観」
      加地 伸行 (株)産経新聞出版

 正月気分が抜けた頃、近所に住む知人がやってきた。
田舎へ来てから知り合った男で同い年、一人暮らし。ウォーキングの途中時々立ち寄ってくれる。

 正月に息子が嫁と孫ふたりを連れて帰ってきたという。
「どうだった?」と聞いた。黙っている。「あれこれ話すことがいっぱいあったんじゃないの?」と水を向けるが口が重い。

 やっとのことでぼそぼそ話を始めた。
それを聞いて驚いた。子どもと孫は家に入って座卓を囲むや否や、スマホを取り出してゲームを始め、帰るまでゲームに興じていたという。子どもはもう50歳に近いだろう。

 あきれた。久しぶりに子は親に、孫は爺ちゃんに会ったというのに。
そばでつくねんとその様子を眺めている知人を思って可哀そうになった。

 昔はこうではなかった。
帰ると、囲炉裏の炭火の上に金網を置き、あんこが入った丸い餅が焼けるのを今や遅しとながめながら、親戚のこと、仕事のことなど話が尽きなかった。

 一体、家族とはなんだろう。
昔はまず家があって、女は嫁として家に入った。家には爺さん、婆さん、それに夫の兄弟姉妹もいた。大家族である。子どもが生まれると産婆がやってきたし、不幸があると近隣の住人が手分けして親戚や坊さんに連絡し、埋葬まですませてくれた。

 半人前だった嫁もいろいろな人と交流するうちに自然と部落の人や親戚との付き合い方を覚え、諸事万端、そつなくこなせるようになった。

 時を経て現在、家族は夫婦ふたりから始まる。
挨拶の仕方を教えてやる爺さん、婆さんもいない。だから義父の家を訪ねてもロクに挨拶もできない。まして孫ができるはずがない。

 ただ、子どもや孫のこんな態度をスマホ のせいにするのは早計ではないだろうか。別の知り合いの家では正月は家族が座敷に集まり、「今年もよろしく」ときちんと挨拶をしてから、雑煮を食べるのが常だったと聞いている。
 赤子の魂、百まで、要はしつけの問題だと思う。


 

 

 

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