ー 車内で化粧する脳 ー
蝶 の さ な ぎ
最近、電車の中で化粧をする女についての投稿を拝見した。
そういえば私もそういう光景を何回か見たことがある。最初は仰天した。女には男の前では化粧しないというたしなみがあるものだと思っていた。それがあろうことか公衆の面前でする。
仰天ついでに、以前、確か文庫本を買ったはずだと書棚を探した。こういう種というかヒトがどこから出てくるのだろうという思いが再燃したのである。
あった。タイトルは「平然と車内で化粧する脳」(澤口俊之 南伸坊著 扶桑社文庫)。
原因は脳が成熟していないところにあるらしい。おでこの奥あたりには前頭連合野(ゼントウレンゴウヤ)という部分がある。ここがヒトを人間にしてくれる。そのためには赤ん坊の頃から親とかかわり、成長するにつれ、家族、仲間とかかわる。社会とかかわる。そういう「普通の環境」があれば人間らしさは身につく。その時々にちゃんとしたしつけや教育を受けることのできる環境である。
「普通の環境」にいることができず、その結果ここが成熟しないと、周りを気にできない人間になるという。気にしないのではなく、「気にできない」のである。だから「便所のそばの地ベタに座って、菓子パン食べてる・・・よっかかってるのがゴミ箱」(同書)ということになる。
極端な例であるが、同書は親とのかかわりを断ったサルのを実験を紹介している。
ー サルの赤ん坊を、母親がお乳をやる時期に親から離して、代わりに針金で作った人形にほ乳ビンをセットして飲ませる。
そうすると、子ザルは攻撃的で手におえなくなる。群れに嫌われる。追い出されることもある。精神的に成熟しないので、性行為さえできない。たまたま妊娠して子どもを産んでも子育てができない。子どもが寄ってきても親はかわいがるどころか逃げてしまう。ー
「今どきの若い者は・・・」という振る舞いがそこここで目につく。こういう本を読むと、そういえばあれもそのせいかもしれない、これもそのせいかもしれないと思ってしまう。年配者に席を譲るという態度もそうだろうか。以前台湾で電車に乗っていた時、立っている年寄りが自分の前に座っている若い男を大きな声で叱っているのを見かけた。
人間らしさは成人以降もしばらくは発達する可能性がある(同書)というから救いはある。叱る大人がいればの話であるが。
異説もある。たとえば、「複合汚染」(有吉佐和子著 新潮文庫)は汚染物質が犯人だという。同書には「低毒性有機リン剤、塩素系農薬には・・・急性毒性はないが、食べ続ければ・・・まず脳神経を冒す」というくだりがある。(309ページ)
前者、「平然と・・・」は未だ脳神経のネットワークそのものが完全に張りめぐらされない状態、後者、「複合汚染」は張りめぐらされ、完成した脳神経がダメージを受ける事態と理解すればいいのだろうか。
子供は大事にしたいもの。子供の数は減るわ、質は悪くなるわでは日本が立ち行かなくなる。5月4日、総務省が公表した数字によると、14歳以下の子供の数は前年より19万人少ない1493万人。40年連続で減少したという。
(次回は ー 山の神 ー )