ー 宥 座 の 器 ー
最近、街で妙なものを見つけた。
銅か真鍮で作ったと思われる丸いバケツである。その両側、中ほどに鎖をつけてぶら下げ、傍には柄杓が置いてある。
案内板に、これは宥座の器(ゆうざのうつわ)といい、「水が入っていない時は傾く。」「ほどよく入れると水平を保つ。」「いっぱい入れるとひっくり返る。」とある。
昔、孔子が弟子に命じてこの器を満杯にしたところ、見事にひっくり返った。孔子は「この世に満ち満ちて覆らないものがあるだろうか」と嘆いたという。
お察しのとおり、これは人を戒める器である。
だれが作ったかわからない。ただ孔子の言うように昔も大金を手にして、あるいは権力を得て失敗した者が絶えなかったということだろう。
器は中庸を教えているのであり中庸を心がければいいという人がいる。しかし、中庸がどの辺か凡人にはわからない。中庸など知らないうちに通り過ぎてしまう。
満ち満ちた結果多くの者が覆っているとすれば、どうしたら覆らないですむか考えなければならない。
孔子は満ちながらそれを維持する方法はあるかという弟子の問いにこう答えている。例えば富について、「天下を保有する富者は、この富を守るために謙遜にふるまえ」(「新読荀子」 宥座偏第二十八(1))。
なお、孔子が水をいれた器はもう中国のそこにはないらしい。写真の器は銅司(あかがねし)針生清司氏の13年を費やした労作である。