近代建築撮影日記

日本全国の近代建築を
大判カメラ、一眼レフ、デジカメなどで
撮影した写真で紹介していきます

最新情報

2201-10-10 00:00:00 | 最新情報
※インスタグラム、はじめました※

近代建築撮影日記@Instagram

気軽に1枚づつ投稿できるので、頻繁に投稿しています。
ブログに紹介していない物件も投稿していますので、是非ご覧ください。


※更新情報※
 
2023/4/5更新
『鍛冶六(旧永尾金物店)開店写真を追加しました。
 
2023/4/4更新
『鍛冶六(旧永尾金物店)開店』新規投稿しました。

2022/11/22更新
『田淵氏庭園一般公開2022.11.19』新規投稿しました。

2022/6/18更新
『Voigtländer HYPER WIDE-HELIAR 10mm F5.6 ASPHERICAL E-Mount新規投稿しました。

2022/5/23更新
『林田大庄屋 旧三木家住宅と林田藩藩校 敬業館講堂』新規投稿しました。

2021/3/4更新
『山陽道(西国街道)・青山の街並み散策(姫路市)』新規投稿しました。

2021/2/26更新(2/27追記あり)
『室津道・才の街並み散策(姫路市広畑区)』新規投稿しました。




・ブログ未出のストック写真もありますので、取り上げてほしい街や物件がありましたら、コメントからリクエストください。

・画像の著作権は『近代建築撮影日記』のブログ主に帰属します。無断使用はご遠慮ください。 


・画像使用ご希望の場合は左バーの メッセージメッセージを送る よりご連絡ください。




※BASEにブースを開設し、これまでに撮りためた近代建築写真をストック・フォトとしてダウンロード販売します※

アナログ堂

販売中のカテゴリー【失われた建築】につきましては順次販売数を充実させていく予定ですが、
販売リストに無い物件も【CONTACT】よりお問い合わせいただき在庫がございましたら、ネガからデジタル化のうえ販売いたします。
(日本国内に存在した明治以降昭和20年以前竣工で1995年頃以降解体の建築物)

よろしくお願いいたします。



白水社の連載・エッセイ 今尾恵介『日本を定点観測する』
「第11回 大正時代に出現した田園の遊廓 ─ 名古屋・中村」
で当ブログが参照されました。
今尾恵介先生の目に止まるとは光栄です。

そして、この連載が
地図で読む昭和の日本 定点観測でたどる街の風景
という題名で単行本化されました。


はじめに

2199-10-09 00:00:00 | はじめに

※このページが常にトップとなります。本文は下にスクロールしてご覧ください。

ご覧いただきありがとうございます。

このブログは、私が1992年頃から撮り集めた写真で、近代建築を紹介していくものです。

基本的に最近撮影した物件を紹介しますが、過去撮影写真、コレクションの古絵葉書や古写真があれば同時掲載します。

カメラ・レンズなど、撮影機材についての記述もしていますので、カメラに興味のある方もご覧になってください。

それなりに資料として使えるように建築データ、撮影データを記しています。

【データの見方】

1.物件名
創建時の名称が基本ですが、不明な場合は確認できた範囲内で最も古いと思われる名称で表示しています。現在名と異なる場合は頭に旧をつけています。

2.物件データ
(設計者/竣工年/建築構造/備考;文化財指定など)
竣工年略号;明治(M)、大正(T)、昭和(S)
建築構造略号;鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)、鉄筋コンクリート(RC)

※物件データの後に写真が入ります。

3.撮影データ
a.大判カメラの場合
(撮影データ;カメラ名・レンズ名・フォーマット・シャッタースピード・絞り・アオリの種類)
b.大判以外のカメラ
(カメラ;カメラ名)

4.撮影日
日記の最初に表示しますが、過去の写真に関してはカメラ名の後に撮影日を表記します。
投稿後に撮影した写真を追加した場合も、カメラ名の後に撮影日を表記します。

尚、2010/5/23以降はすべての写真の撮影データに、撮影日を入れるようにしました。


※表題写真は愛機「EBONY SW45」の初撮影時の写真です。
(カメラ;PENTAX KX・SMCタクマー28mm F3.5+マウントアダプター・2008/12/7撮影)


では、本文をごゆっくりご覧ください。


鍛冶六(旧永尾金物店)開店

2023-04-04 04:23:42 | 近畿

2023年4月2日「鍛冶六」が開店しました。
元金物店でしばらく空家でしたがこの度リノベーションされました。
書店であり、パン屋であり、酒屋でもあるちょっと変わった形態の店。
旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか
で紹介した物件です。

まず、以前の状態

2018年4月21日


2018年12月31日


 

リノベ直前

2022年11月13日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リノベ完了。
2023年1月28日










2023年4月2日 開店当日
「カジロクパン舗」










「鍛冶六書店」棚貸のシェア型書店






地下は「鍛冶六酒店」


二階へ




わずか3畳の座敷






洋室はシェアスペースのようです


このライトは、私が提供したものです!




回廊












龍野の伏見屋商店という書店にも回廊があり、本屋として再生したら良いと思っていましたが望みが叶いました

↓これが伏見屋(2022年3月撮影)


田淵氏庭園一般公開 2022.11.19

2022-11-22 05:29:37 | 近畿

田淵氏庭園

 製塩業を中心に、赤穂の資産家として財を成した田淵氏の住宅庭園である。赤穂御崎に位置する三崎山の傾斜面に当たり、麓部に位置する居宅の周辺から背後に続く傾斜面の中腹にかけて、石組の池や茶庭から成る庭園が展開する。
 表門から主屋及び書院の玄関へと至る導入部には、飛石沿いに露地庭又は坪庭風の庭園が展開し、書院の背面には岩盤を穿って造られた池がある。書院は寛政2年(1790)以前に造営されたもので、書院から池に向かって左側の傾斜面には高さ約4mの滝石組があり、池の右側に架かる石橋を渡ると、飛石づたいに傾斜面の上方へと登ることができる。勾配が緩やかになり飛石が延段に変化した頃、右手に腰掛待合とともに2階建の明遠楼が現れ、さらに飛石に沿って歩を進めれば、左の蹲踞を経て明遠楼階下の寄付へと到着する。
 明遠楼は宝暦年間に藩主森忠洪のお成りに合わせて建てられたとされ、もとは赤松滄州が「嘯風楼」と命名したが、明治6年(1873)に伊藤東涯の扁額を入手したことから「明遠楼」と改称したとされる。その意匠は簡素で優美であり、階上から塩田の眺望を意図した作意は傑出している。
 また、明遠楼に対面して巡らされた木塀には中潜りが設けられ、その内側には茶室である春隠齋を中心に待合い・蹲踞などから成る内露地が展開する。
このように、山裾の書院と斜面上方の明遠楼や春隠齋などの建築群は茶の湯の儀礼を通じて一つの庭へと溶け合い、それらが持つ芸術上・観賞上の価値は極めて高いことから、名勝に指定した。
(上記説明は『文化遺産オンライン』より)


受付は赤穂市立美術工芸館 田淵記念館

(この写真は2021.6.25撮影分)
で、1100円を払って受付完了。少し値が張りますが、以下の写真を見ていただくと納得できると思います。

田淵家全景



(この2枚も2021.6.25撮影分)
万里の長城みたいに塀が続く大邸宅です。

外から書院と茶室「春隠齋」が見える




門だけでなく塀の板が全て一枚板!!


こちらは主屋










門の右手に土蔵がある





土蔵の入り口に金庫の扉を付けているのは初めて見ました


旭金庫工業製。

書院と蔵の間にこのようなしつらえが!









蔵の裏には普通の出入り口がある。



書院




















書院の縁側から庭園と茶室「春隠齋」が見える












橋を渡り、斜面を登る


茶室「春隠齋」と2階建の「明遠楼」に向かう飛石

樹齢数百年と言われる大銀杏がある



茶室「春隠齋」は塀に囲まれている




左は「春隠齋」の待合、右上に「明遠楼」が見える


「春隠齋」














「春隠齋」から「明遠楼」に向かう途中に主屋が見える


主屋に隣接する巨大な蔵


「明遠楼」に向かう門


登っていくと「明遠楼」の上にも庭がある


「明遠楼」




























「明遠楼」から見た「春隠齋」と主屋、かつては塩田を見渡せたという






「明遠楼」を出て「春隠齋」の塀脇を下って


「明遠楼」の一階に出る








最後に明遠楼階下の腰掛待合


Voigtländer HYPER WIDE-HELIAR 10mm F5.6 ASPHERICAL E-Mount

2022-06-18 04:04:39 | カメラ

常用している12mmでは画角が足りないことが時々あり、購入を検討していた
「Voigtländer HYPER WIDE-HELIAR 10mm F5.6 ASPHERICAL E-Mount」を
ヤフオクで比較的安価な中古の出物があったので購入した。
ヤフオクの平均相場価格だったが、専門店の中古相場よりかなり安い。
需要が少ないレンズなので競りあいにならないからだ。

12mmを買ったときにも同じようなことを書いたが、
12mmでも画角が足りないシチュエーションが出て、
結局ヘリアー三兄弟をコンプリートしてしまったのである。
では、15mmと12mmそして10mmの画角の違いを見てみよう。

15mmレンズの対角線画角は110 °、
水平画角(左右の画角) 100 °、垂直画角 (天地の画角)77  °

12mmレンズの対角線画角は121 °、
水平画角(左右の画角) 112 °、垂直画角 (天地の画角)90°

10mmレンズの対角線画角は130 °、
水平画角(左右の画角) 122 °、垂直画角 (天地の画角)100°

10mmの垂直画角は15mmの水平画角と同じか!凄いねぇ・・


【作例】

・12mmと比較
12mm


10mm

正確に違いを比べたいので、立ち位置を変えずに撮影している。

・半逆光でも太陽が画角に入ってくる。
酷いフレアが出ることがあるので・・・



ファインダーを覗きながら、綺麗な光線になるよう構図を決めた


・旧網干銀行、同じ立ち位置から撮影して比較。
15mm


12mm


10mm

立ち位置が同じなら、広く写るだけで建物自体のの遠近感は変わらない。

しかし、立ち位置を前進して10mmで15mmと同じ画角で撮ると・・・

遠近感が誇張され、細長く写る。

10mm、晴れた日に撮影して電線消し加工。


トリミングすると・・・
15mmや12mmに比べてトリミングの面積が小さくなり、画質的に不利になる。


・特に室内はストレスなく広く写せる




・もう一点、12mmと比較
12mm試写の時掲載した写真


10mm

少し引いた位置から写しているので正確な比較にならないが、画角の広さに驚く。そして、建物が無くなって景色が変わったことにも驚く。

・揖保川

上下に要らないものが沢山写っているので、パノラマにトリミング。

・山本家



画角が広過ぎるため寄って撮ると遠近が極端に誇張されるので、少し下がって撮ってトリミングしている。
そうすると、トリミングの面積が小さくなり画質的に不利になる。引きがなく、どうしても10mmが必要という場面以外では使いづらいレンズといえる。
12mmを購入して常用レンズが15mmから12mmにシフトしたが、今回、10mmにシフトすることは無いだろう。
しかし、荷物になるほどのレンズではないので、引きがない時のために常にカメラバックに入れておこうと思う。


林田大庄屋 旧三木家住宅と林田藩藩校 敬業館講堂

2022-05-23 01:00:00 | 近畿

林田大庄屋 旧三木家住宅(兵庫県指定重要有形文化財)

長屋門・長屋(建築年代:寛政8年(1796))
道路から見た外観


長屋門(左)と長屋はL字型に配置されている

内から見る

左に長屋、中央が長屋門、右は屋外便所

内から見た長屋門


長屋門内部(左の戸口の中)


長屋門内部(右の戸口の中)




長屋の厩部分


その内部


長屋の端、パンフレットには「積物置」とある


主屋(建築年代:17世紀)
右に厩、左は屋外便所





多数の持送りが付く


式台玄関


庭園から見た主屋


裏面




右の蔵は新蔵


内部







長屋や倉庫ではなく主屋内に足踏みの臼がある


圧巻の梁。












井戸も主屋の内に。






風呂場


『河野鐵兜展と林田焼』という企画展が開催されていた(5/16で会期終了)

この軸は河野鐵兜(秀野)と東馬(香邨)兄弟の合作

庭園


米蔵(建築年代:19世紀前期)

内蔵(建築年代:19世紀前期)

新蔵(建築年代:19世紀中期)

左は風呂場、右に米蔵


林田藩藩校 敬業館講堂
お休みだったので、外観のみ











カメラ:SONY α7
レンズ:Voigtländer ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 Aspherical II

(掛け軸のみ)
カメラ:SONY α7RII
レンズ:Voigtländer MACRO APO-LANTHAR 65mm F2 Aspherical


山陽道(西国街道)・青山の街並み散策(姫路市)

2021-03-04 00:06:32 | 近畿

去年の9月なので半年近く前。山陽道(西国街道)の青山を散策した。
宿場町だと思っていたが、調べてみると姫路の次は正條(たつの市)となっている。
因幡街道との分岐点で河岸という立地で栄えたのだろうか?


2020年9月撮影
使用カメラ:SONY α7
使用レンズ:Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III


町の西にある薬師堂を起点に歩く。

薬師堂の脇に「史蹟 宗全寺跡」の石碑。
一応「姫路市Webマップ」に説明があったのでリンクを貼っておこう。
https://www.sonicweb-asp.jp/himeji/feature/600/239780:27176?theme=th_23&layer=600

しかし、個人的には石碑(文字)よりも形あるモノを見る方が愉しい。
という訳で、薬師堂。

右に古い五輪塔が見えるが「姫路市Webマップ」に「嘉吉の乱(1441)のとき、播磨国守護となった山名宗全(持豊)が戦死した一族や家臣の菩薩を弔うため建立した寺」という説明が納得できる。



街道を東へ

傷みが激しいが、明治くらいに遡れそうな虫籠窓の入母屋造の町家。

その隣も本瓦葺き入母屋造の町家。これは先程の町家より2階が低く、ほぼ確実に明治以前だろうと思う。

前栽に立派な松の木、蔵も隣接した上質な建築だ。

明治くらいに遡れそうな町家が多数残る。町家と言っても前栽があって母屋は道から少し引いて建てられたものも多い。

暗渠になっているが道沿いに水路がある。元はもう少し広くて小舟で物を運んでいたのだろうか。それとも生活用水のみの用途か。

これも明治くらいか?2階が低いつし二階建ての町家が多く現存している。

姫路市内ではよく見かける、2階が虫籠窓と出格子になった町家だ。

国史見在社射目埼神社の碑

何か良く解らなかったが、調べてみると稲岡神社に合祀された神社らしい。
国史見在とは『日本書紀』など古代の六国史書「六国史」に記載のある神社という事らしい。
石碑が主張しているのは歴史が古く由緒正しいという事だ。

神社に向かう参道に入ると小さい祠が。


祠の横の町家。

これも、二階が低い。

稲岡神社


蘊蓄を語るのは説明板に任せよう。




鳥居が・・・

国史見在社射目埼神社の碑の後ろ、灯篭の左に鳥居の台座がある。
まさか倒壊したわけでもあるまいが、倒壊の恐れありで撤去されたのかな?

播磨の神社拝殿は千鳥破風と唐破風が重なるものが多い


彫物も精緻で立派だ


説明板にあった絵馬はここには無いらしい




左隣には金比羅神社
海辺ではないが、ここは夢前川の河岸。廻船業など水運関連の生業がさかんだったのだろうか?

古い絵馬も多くある。沢山掛かった小さいやつは干支っぽい


神社の近くに・・

この洋館、外壁はモルタルか洗い出しだろうか。瓦も洋瓦だ。大正か昭和一桁頃だろう。上質な建築だ。

細路地に面している


いや、こっちが表か?

やや簡略化されているが、洋風の意匠がある。

洋館の真横に水路が通る

これは、船着き場ではないか?ここからでは良く見えないが、建築の後部は和風のしつらえのようだ。

庄屋屋敷


蔵の横には洗い出しの縁にドイツ壁の塀がある


母屋も相当古い


少し歩くと、これもかなり古い蔵だと思う。


街道に戻り、東向きに歩き始める
形は町家なのでおそらく改装だと思うが、新築の可能性もある。


街並みが続かず、ポツンと一軒家になってしまった町家が・・・


水路がここかしこにあるが、この石垣はかなり古そうだ。


ここからは、街並みといって差し支えない家並みがある


これも2階が虫籠窓と出格子になった町家


2階の高さだけ見ると大正くらいか。黒漆喰の外壁に細かい格子が美しい。

かなり大きい。改変無くほぼ創建時の姿を留めていると思われる、大変貴重な町家だ。

これは!

舟板壁!!船の廃材を転用したもので見かけは汚いが、貴重な壁材だ。

横庭がある。屋号もあり、母屋は見世として使われていたゆえに前栽ではないのだろう。

やはり、青山は水運の拠点だったのだろうか?

いつまでも残ってほしい風景だ。


次も部分的に改修されているが、上質な町家だ。


虫籠窓は江戸~明治以前というイメージがあるが、二階の高さを考えると大正以降の可能性が高いと思う。

格子が美しい。

2軒並べて見ると、ほぼ同じ時期の建築という印象だ。


向かい合わせの町家は、前栽があり2階の高さが低い。

かなり多きい。

本瓦葺き虫籠窓で2階も低い。

江戸まで遡るかもしれない。しかも、舟板壁。

正面から見ると、2階の低さが良く分かる。


こちらも前栽ではなく横庭


船板に格子。格子は細かくて美しい。


町の東、教専寺山門


木彫が細かい。


寺の北に水路


寺の東を南北にも水路が。

結構太いので、小舟を通すための水路だったのではないか。


室津道・才の街並み散策(姫路市広畑区)

2021-02-26 23:21:05 | 近畿

通りがかりに立派な町家を見付けて散策した「才」という少し変わった名前の集落。聞いたことはあったが全く初めての散策。

【追記】
2月27日再訪時の写真を追加。27日分の写真は☆印付き。
再訪はスマホ撮影です。


2021年2月23日撮影
使用カメラ:SONY α7RII
使用レンズ:Voigtländer ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 ASPHERICAL III



才郵便局辺りの室津道沿いに東を見る。

大きな町家、屋敷、元商店。大変栄えた村だったのだろう。近くに山が見え、どちらかというと農村だろうか。
集落は左だが、まずは室津道沿いに右(東)に見える町家に向かった。

本瓦葺きの立派な町家。

黒漆喰に虫籠窓。明治末くらいまで遡るであろう、上質な町家である。玄関部分は桟瓦で昭和初期くらいの後補のように見える。

隣の町家。

軒の高さから考えると、大正か昭和初期だろうか。蔵もあって、外壁に銅板が張られた上質な町家。

近くには、大きな一枚板の戸がある門もあった。

尋常ではない上質なものだ。

西に戻り、村に入る。
その前に、才天満神社にあった才村についての解説を。後ほど神社にも行くので神社の説明もお読みいただきたい。

網干と同じく相給の地。後ほど分割統治されていたことの証しも出てきます。

集落の東端に位置する蔵。標柱には「旧室津街道 札場跡」とある。

神社のような彫物に大きい戸。屋台蔵だろうか。


側面を見ると、立派な土蔵造り。屋台に土蔵造りは必要ないと思うが。屋台蔵ではないのかな。


裏に回ると、隣接の古民家と一体化している。蔵の素性がよく分からない。

最初の写真の左に見えていた屋敷の左にも立派な屋敷がある。

本瓦葺き。

屋敷右の倉庫棟?

屋敷前に水路があり、かつては舟で荷物が運ばれていたのだろうか。路地の奥には寺もある。

徳圓寺(浄土真宗本願寺派)








裏に回ってみる

今は溝だが、元は小舟くらいは通る水路だったのかもしれない。

寺には蔵もある

銅板張りの土蔵。

足元の石垣も気になる。

切り込みハギ。ブロック状に加工するより手間が掛かっていると思う。石も建築散策の見どころの一つだ。

振り返ると、昭和初期くらいの古民家の塀に擬木がある。

こういう物は、左官の仕事。散策の目を楽しませてくれる。


土台がコンクリートなので古い物ではないと思うが、面白い造作だと思う。
写真には写っていないが、母屋の屋根には鍾馗さんが居る。

これも、立派。

見た目だけの判断だが、明治の母屋に昭和初期の二階建て増築という感じ。


粋な窓のある土塀も雰囲気があって良い。

短い長屋門?の屋敷

まるで京都府内のような良い雰囲気がある。

これも凄い!

母屋も蔵も軒下が段蛇腹で銅板張り、更には門の戸板が一枚板。よく見ると門の樋は竹を模した銅製のもので、造形が目を楽しませてくれる。上質な材をふんだんに使った素晴らしい建物だ。



先に見たコンクリートの擬木や金属の擬竹も建築散策の愉しみの一つ。

茅葺トタンハウスもある

農村らしい雰囲気も残っている。

こんな風に街並み散策をしていると、犬の散歩途中の方に声をかけられ
あっちに行ったらもっといい屋敷があるとか神社があるとか、色々教えていただいた。
その中に分割統治の話があって、集落には郷蔵が二つあるという。

その一つがこの「才緑蘇会館」



外は直しているが、江戸時代の建物だという。
事実なら貴重な文化財だが、姫路城のある姫路市ではこのような小粒の建築はほとんど見向きもされない。
この良い雰囲気の街並みも埋もれたままひっそりとしている。
もう一つの蔵は札場跡の蔵という事だが、もし江戸時代の姫路藩領のものなら固寧倉の遺構の可能性があるのではないか?

教えてもらった神社に向かう

長~い長屋門のある屋敷。向こうに見える山のふもとに神社がある。
母屋は本瓦葺きの古いものが残っている。古い建物の現存率も凄く高い。

才天満神社



播磨地方は力石がある神社が多い。播州龍野が相撲取りの元祖、野見宿禰の死没地とされ野見宿禰神社に祀られており、相撲になじみ深い土地柄だ。

由緒

焼失後、昭和58年再建。新しい。

拝殿に対して石柱と灯籠が斜めに配置されているのは何故だろうか。


拝殿の鬼瓦は獅子頭

下から見上げると目が合うように下向きに取付けてある。古びた彫物の造形も素晴らしい。これは昭和58年よりもっと古ように見える。


絵馬も古いようなので、拝殿は焼けなかったのであろう。

神社に立ち寄ると、狛犬ウォッチングも愉しみの一つ。
時代による材質や姿形の違いがあって見比べると面白い。
作者の力量やクセもあって千差万別だ。

阿形

前は45度の角度で撮影すると顔が正面を向き、前身の様子も大体わかる。


後部は真直ぐ後ろから写すとしっぽが正面になる。45度で写しても良いだろう。

吽形



製作は文政4(1821)年。古い!
材質は砂岩系で、明治頃までは墓石にも多用される高級石材だったようだ。

右に小さな祠

何の神様か、扁額などの表示が無く不明。

灯籠を見ると文政6(1823)年と読める。

古くから祀られた祠のようだ。
この色は竜山石だろうか。
高砂市原産の石材で、古墳時代には石棺に、江戸時代には姫路城の石垣、昭和初期まで建築石材として人気が高かった。

しかし何故、牛か馬を繋ぐ金具がこんな所にあるのだろうか?


左にも祠がある

ここにも牛繋ぎが・・あぁそうか、旗竿差し。成程ね。

こちらの狛犬は明治40年代の製作。先程のものと造形の違いを楽しんでみてください。

阿形




吽形




境内にはこんなモノも・・

立派な台座に鳥居?

台座の銘に昭和9年とある。銅像でも作ったのではないか。そしてすぐに戦時供出されて、再建ではないけど何か造ろうかと・・・
あくまで想像だが。
※コメントでご指摘いただきました。伊勢神宮への「遥拝壇」の可能性もあるそうです。

七ツ石


蘊蓄は説明板で。


天神さん定番の牛の像



大正5年建造。造形が精緻で素晴らしい。大正時代は建築や工芸の材質も職人技も史上最高に達した時期だ。

牛の後ろにある、これは何だろう?



木製のようだが、切り株をくりぬいて甕のようなものを造ったのか??壊れているが、これを造るのはものすごく大変だったと思う。

そんなこんなで、これで散策は終わり。後で地図を確認するともう一つ寺がある。もう一度踏査したいと思う。


【追記】
早速再訪し、もう一つの寺「随應寺」へ。
随應寺は山裾にあり、才天満神社からの経路上には・・・


竹林があり、山里の雰囲気もある。

そして、山門


小さいけど、これが山門だろう。

本堂





こじんまりとした建物だが、山を背景にした落ち着いた雰囲気が良いと思う。

境内には再建の、お稲荷さんがある。

神仏習合の名残りだろうか。

播磨では神仏分離令は緩やかにしか守られず、廃仏毀釈の話も殆ど聞かないように思う。
網干の話ではあるが、
魚吹八幡神社の神宮寺は明治の末まで神社境内にあり、破却されずにすぐ隣に移築されて今なお現存している。
大覚寺の境内には寛永12(1635)年に建てられた荒神社がある。

墓地に古い墓石があった





漢文の解読は出来ないので内容はよく解らないが、文政12(1829)年の銘があり、お寺の歴史も才天満神社同様に古いと思われる。


永富家住宅(国指定重要文化財)

2020-11-15 00:04:11 | 近畿

Voigtländer ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 ASPHERICAL IIIに続き、中古価格が下がったSONY α7RIIをやっとの思いで入手し、カメラ・レンズ共に機材が揃った。快晴なので、国指定重要文化財の永富家住宅でその実力を試そうと思い立って、二度目の訪問。1992年以来だから、なんと28年ぶりだ。

2020年11月14日撮影
使用カメラ:SONY α7RII
使用レンズ:Voigtländer ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 ASPHERICAL III

☆印は1992年10月11日撮影
使用カメラ:Nikon F
使用レンズ:記録は無いが Ai Nikkor 50mm F1.4s だったと記憶している

長屋門

凄く長いように見えるが、左半分には籾納屋が接続されている。









主屋






























主屋内部
















































1992年に訪れたときには「大・小」の看板があった。





これは今、大の月か小の月かを示すカレンダーのようなもの。大・小に変化するギミックが面白い。

籾納屋




籾納屋~大蔵


大蔵




乾蔵


内蔵


味噌蔵


料理部屋~井戸~漬物部屋


全て12mmレンズで撮影してトリミングしている。ブログの小さい画像では高画素機の実力は実感できないかもしれないが、明らかにα7とは違う。画角が足りない時だけのつもりで買った12mmレンズだが、使い始めると畳用レンズになってしまった。


Voigtländer ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 ASPHERICAL III E-Mount

2020-03-27 04:46:25 | カメラ

常用している15mmでは画角が足りないことが時々あり、購入を検討していた
「Voigtländer ULTRA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 ASPHERICAL III E-Mount」
生産終了後は品薄でやや価格が上昇する中、ヤフオクで比較的安価な中古の出物があったので購入した。
更に、8%オフ・クーポンがあったので願ってもない低価格で購入できたのである。

では、15mmと12mmの画角の違いを見てみよう。

15mmレンズの対角線画角は110 °、
水平画角(左右の画角) 100 °、垂直画角 (天地の画角)77  °

12mmレンズの対角線画角は121 °、
水平画角(左右の画角) 112 °、垂直画角 (天地の画角)90°

焦点距離はたった3mmの違いでも、随分と画角が広い。

以前紹介した下のような方法でリミングして使う場合、

(トリミング前)
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/80/21409f7942f621dbf4115fcbe9d3beb2.jpg?1585247127

(トリミング後)
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b1/07fdc524f470e7d144b8e49f98b51cc9.jpg?1585247370

垂直画角を水平画角として使うことになるので、
15mmレンズは23mm相当、12mmレンズは18mm相当の画角になる。
18mmというと PC Nikkor の最広角レンズより広い。

しかし、このレンズには保護フィルターを付けることが出来ない。
それが難点であり、常用するのをためらう理由でもある。
更に、明るさが5.6というのもちょっと暗い。
コンパクトなレンズなので常備して必要な時だけ、という使い方になるだろう。


カメラにSONYの銘板というのには抵抗があるので「MINOLTA」シールを貼っている。

金属製カブセキャップの造りと質感は良いのだが、それはフィルターを付けられないことの証しだ。


では、旧網干銀行湊倶楽部を撮影して15mmとの画角の違いを見てみよう。
使用カメラは SONY α7 。

15mm

水平垂直を出して塔屋を真正面に見て撮影すると、避雷針が途中で切れてしまう。

12mm

15mmより一歩前に出て撮影してもご覧の通り、避雷針のてっぺんまで余裕でとらえている。
一歩前に出たことと15mmより広角になったことで遠近感が強調され、やや形が変わって見える。

実は15mmで撮影した場合、避雷針と青空を入れるため見上げて撮影したものを・・


トリミングして、使いたくは無いが「ShiftN」で垂直補正し・・


フォトショップで電線消し加工して仕上げる。

というようなことをやっていた。

12mmだと、「ShiftN」を使わなくても済むようになる。

【2020.5.24追記】
塔屋の真正面から水平垂直を正確に出して撮影。
この建築で一番魅せたい部分は塔屋。それを最も美しく左右対称にとらえるのが全景写真のキモ。
そして完全順光で建築全体に光が差している。
記事投稿した時点の3月にはこの光線状態で撮影することは不可能で、今回の撮影は、最も良い季節の良い時間帯である。
少し雲がかぶっているのも、建築写真のアクセントとして申し分ない。

しかし、ゴジラが爪で引っかいたみたいに電線の影が入ってしまうのもこの光線状態の時。

ちょっと手間だが、電線の影も含めてPhotoshopで消去処理をした。

雲のことについて更に言うと、右上の電線消去作業に雲が絡んでいないのも幸運といえる。

要らない部分をトリミングすると出来上がり!

【追記ここまで】


旧金井時計店
15mm

上部中央が・・・

12mm

一歩前から撮影してもご覧の通り。

トリミングして出来上がり



12mmの作例をいろいろ。トリミング前提で撮影しているのでノートリ画像は殆どありませんが。

正方形にトリミングしても

こんなにワイド!

2:1の横長にトリミングしたら

パノンカメラで写したパノラマ写真のような広画角!左に旧長久医院まで写っている。

PC NIKKORや「ShiftN」を使わなくても、



縦のラインを真っ直ぐに写せる! この2棟は15mmでは全景が入らなかった。

一見何を写したか分からない写真も撮れてしまう

超広角12mmゆえの描写だろう。15mmだと、こうは撮れないと思う。

旧山本家住宅



左右に写り込む物の多さに驚く。

まるまん

左に陣屋門まで写っている。

同じ写真を更にトリミング。

大きく伸ばさないのであれば、中央に小さく写した被写体をトリミングして遠近感を押さえた画像を得ることも出来る。



旧水井家住宅


これはノートリ


結納品店と丸ポスト

右に大覚寺の山門が。遠くに見えるがそれほど遠くない。

大覚寺山門

遠近感が凄い。カッコいいのか歪んでいるのか、よく分らない形に写る。

鐘楼

基壇は平行だが、屋根が傾いている。手持ちながら、かなり気を付けて水平垂直を出したつもりだが・・・
12mmのような超広角レンズは三脚で厳密に水平垂直を出さないと駄目なのかもしれない。

ノートリ

下の写真の池の向こうの建物が鐘楼だが、違う建物に見える。15mmではこうは写らない。

ノートリ


観音堂


ノートリ


ノートリ

遠近感が強調されて、面白い形に写る!

これもノートリ。左右の灯篭と鐘楼の歪みが凄い。


本堂


ノートリ


ほぼノートリ


ノートリ


本堂と観音堂の渡り廊下。


本堂側面






釈迦堂


逆光で描写テスト(2枚ともノートリ)



フレア、ゴーストは少ない。絞りは10枚羽根なので、10本の光条が綺麗に出る。

ボディ側のレンズ補正設定「周辺光量補正」「倍率色収差補正」「歪曲収差補正」を
オートにしているので、心配していた樽型の歪曲収差と周辺光量減少は気にならないレベルだった。

建築をスッキリと綺麗に写すには水平垂直を正確に出し、フレーミングも厳格に調整する必要がありそうだ。
使いこなすには手間が掛かるということか。

ミラーレスカメラの高画素化、ファインダーの拡大表示で厳密なピント合わせが出来る、
という利点を生かせば、かなり小さくトリミングしても鑑賞に堪える画像が得られる。
例えば面積比で1/4にトリミング(水平・垂直を半分のサイズにトリミング)すると、
35mmレンズと同じくらいの画角で切り取ることになり、遠近感も抑えられる。
もちろんトリミングすると画素数が減り、大伸ばしの対応は出来なくなるが、
12mm1本で12-35mmまでをカバーすることも可能ということになる。


旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(ダイセル異人館)とiPark(2019-2020)

2020-02-12 01:59:25 | 近畿

『旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(ダイセル異人館)』で一度ご紹介したダイセル異人館ですが、2019年に改修工事が行われリニューアルオープンしました。iParkという公園に整備された周辺部も含めて再掲いたしします。

※使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount
※()は撮影日、記載無きものは前の写真と同日撮影。



公園案内版(2020.2.4)


融合の軸(ダイセルの事業変遷)


ダイセルの歴史は1919年の大日本セルロイドの設立から100年となっていますが、


網干工場の歴史は1908年の日本セルロイド人造絹糸の設立に遡ります。110年以上前のことです。


上の写真は、設楽貞雄設計で1909(明治42)年建造の1号石炭ボイラーで、現存しています。(2020.2.8)


(2019.6.6)




ダイセル構内には戦前築と思われる鉄筋コンクリート5~6階建ての建築もあったようです。(2020.2.4)

戦前の網干には鉄筋コンクリートの建築は小学校の講堂しかありませんので、網干工場がいかに大きい工場であったか伺い知ることが出来ます。

融合の軸(ダイセルの事業変遷)と異人館の夜景(2019.11.11)


100周年記念モニュメントの夜景(2019.12.5)


iCube(2019.9.25)

最近のネーミングは良く分かりませんね。○○研究所という風なシンプルなネーミングの方がわかり易いと思いますが。

(2020.2.4)


(2019.9.14)


同 夜景(2019.12.5)


ダイセル異人館説明版(2020.2.4)


旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(クラブハウス)

姫路市都市景観重要建築物等指定第3号のピンクの洋館は、賓客の宿泊などに使われていますので非公開です。緑の洋館と同形ですが、2階正面窓に鎧戸があり煙突は撤去されています。設楽貞雄設計で1910(明治43)年建造です。

(2019.11.2)


(2020.2.4)




旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(旧図書館)夜景(2019.11.11)

公園のモニュメントが明るく照らされているのに対し、玄関灯のみでいささか寂しく感じます。
姫路市都市景観重要建築物等指定第2号の緑の洋館は、セルロイド資料館として平日のみですが無料で内覧可能です。こちらも設楽貞雄設計で1910(明治43)年建造です。

建物の中央に煙突があります。側面の窓回りなどに幾何学的な意匠があり、旧網干銀行との共通性を感じます。(2020.2.4)


下見板張りと縦板張りが適度に交錯し、小気味よいパターンを生み出しています。


屋根のパターンが以前とは違っていますので、吹き替えられたようです。


(2019.11.17)


一階玄関周りにバルコニーがあるのは、長崎グラバー邸などで知られるコロニアルスタイルとの共通点です。


バルコニーにはサンルーフがあり、室内にも明かりが差し込むようになっています。




(2019.11.17)


2階にベランダがあります(2020.2.4)


空中に向かって開く無用扉があります。ベランダに通じるようになっていたのか?下に下りる階段があったのか?改修前も同様に無用扉でしたので、その昔はどうだったのか分かりません。(2020.2.8)


外観を一回り見ましたので、玄関から入ります(2020.2.4)

扉枠のデザインもやや幾何学的でシンプルです。

まるで新築のように綺麗になっていますが・・

古い部分は再塗装していますが、壊さずに残しています。

古い建物のキズやシミ、汚れなどは刻まれた歴史の証しとして残すという考えもあり、
修復のやり方にも賛否両論あります。
最近では、この両論に対応しようとして、修復時に綺麗に塗り直しているのに、ほんの一部だけ汚れたまま残している。
というちぐはぐな方法も見かけるようになりました。



ひょうご住宅百選、姫路市都市景観重要建築物等、近代化産業遺産の認定書




トイレ内部

再塗装していますが、古い部分はきっちり残しています。
小便器やタイルは竣工当時の物ではなかったので、最新の物に取り替えたようです。

一階の三部屋を時計回りに回っていきます


扉を抜けて黒キューピーのある部屋に入って振り返りました・・

各部屋に暖炉がありますが、建築の中央に集中しています。
一か所で火を焚けばすべての部屋で暖が取れ、煙突も一本で済む。
効率的な設計です。

暖炉が使われなくなり、煉瓦で塞がれたのだろうと思います。






セルロイドの黒キューピーは貴重だといいます


階段を登って二階へ


八角形の親柱など、幾何学的な意匠が見られます。


半螺旋の階段と「幅木」部分の曲線のリズムが小気味よく感じられます。


トイレと共通のランプシェードは古い物です。セルロイドのステンドグラスは交換されました。


もしかしたら、セルロイドではないのかも。見た目では判断できないので確認しなくては!




書斎






化学遺産認定書。4件の指定があります。


子ども部屋


トイレの真上です。

かなり狭いので、本当に子ども部屋だったのかな?と思いました

寝室

左の窓は、ベランダへの出口です。








旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(従業員コミュニケーション・スペース KUSU)(2020.2.4)

この建築は、何の指定もありませんが『姫路市史』には外国人技師住宅Aとして掲載されています。
正面にバルコニーがあり、他二棟と同じコロニアルスタイルの特徴を有していますので
同時期に設楽貞雄設計で建てられた可能性も考えられます。







(2020.2.8)


こちらはクラブハウスに泊まる賓客にふるまわれるという大吟醸酒。

非売品ですが、昨年11月のイベントで限定販売されました。



ダイセル異人館のように、網干に残る貴重な建築群の保存再生が促進されることを願って止みません。

以下は過去投稿記事のリンクです。網干は建築遺産の宝庫ですので是非ご覧ください。

【網干関連の過去投稿記事】(古い順です)

姫路市網干区の近代建築(EBONY SW45で撮影)
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網干の近代建築と町家
昔の航空写真(姫路・網干)
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【速報】旧網干銀行本店 前のアーケードが撤去!
旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(ダイセル異人館)
網干の近代建築 2017
網干の町家と街並 2017
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旧水井家住宅(姫路市網干区)
『網干の近代建築と町家 2018【旧網干銀行本店が!!】』
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
『旧龍野藩南組大庄屋 片岡家
『網干商工会館
『旧網干銀行(2019年4月-7月の状況)』
『旧赤穂塩務局網干出張所(現東京電機工業株式会社)』
『旧網干銀行(2019年10月)』
『旧網干銀行 湊倶楽部開店~(2019年11月~2020年2月)』


旧網干銀行 湊倶楽部開店~(2019年11月~2020年2月)

2020-02-08 01:20:31 | 近畿

さて、これまで何度も取り上げてきた旧網干銀行の開店直前から2020年2月までのレポートです。

※使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount
ほか

※()は撮影日、記載無きものは前の写真と同日撮影。

以前投稿した
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
『旧網干銀行(2019年10月)』
に改修前~改修中の写真を紹介していますので、あわせてご覧ください。


外観(2020.11.10開店当日)

電線はデジタル加工で消しました。

新たに鉄格子の扉と鐘が付きました。





(20200211)


増築のトイレ(2019.11.4)

本体に合わせた幾何学装飾が入っています。モルタル壁ですが、違和感の無い色目で塗られています。

神戸の「Familiar」から譲り受けた扉は・・

旧網干銀行とFamiliarのダブルネームになっており、受け継がれたストーリーが紡がれています。

正面入り口内部(2019.11.10)

2019年10月にはペディメント(三角の破風)の跡が見えていましたが、見事に復元されました。
旧状を知る写真などは残っていませんので推定ですが、違和感の無い形に纏めていると思います。

一階客席(2019.11.4)

一般に、銀行員が業務する営業室には仕切りがあり一段高くなっています。
レストランなので銀行と同じ形にはなりませんでしたが、それをイメージした復元になっています。

南の窓(2019.11.10)

全て綺麗にするのではなく、ある程度元の状態を残して刻まれた時を感じることが出来るようになっています。

旧網干銀行湊倶楽部時空金庫

朝日放送の『ココイロ』でも紹介されました。
関係者やお客さんがメッセージや写真を金庫に収めています。
タイムカプセルとして、この建物のどこかに埋蔵されるそうです。

北側窓(2019.11.4)

建物に合わせて、本物のアンティーク小物が置かれています。

金庫室

こちらも本物のアンティーク、電気蓄音機です。

一階東側

このシャンデリアは、元々吹き抜けの天井にあったオリジナル。

一階個室

一階東の元支店長室だったと思われる部屋。少人数のグループ向け。

入り口付近から吹き抜け天井を見上げる(2019.11.10)

シャンデリアは新調。一部残っていた回廊はそのまま残されました。

吹き抜け天井(2019.11.4)

天井は元のまま残されました。

階段室天井(2019.11.10)

明り取りの天窓にステンドグラスが入りました。

二階個室

元は、部屋の半分に宿直室らしき畳の間がしつらえられていました。

二階広間(2019.11.4)

この季節(11月)は西日が真っ直ぐ差し込んできます。

レンズの絞りを操作すると・・

このように光の表情をコントロールできます。

シャンデリア(2019.11.2)

特注で、既成のランプを組み合わせて作成したそうです。違和感なく上手く仕上がっていますね。

二階から見る(2019.11.10)


演劇『泡沫の記憶』舞台セッティング(2019.11.16)





トルソは三浦悦子さんの作品。


機材などは、かなり本格的ですね。
私は11月17日に観劇しましたが、網干でこんな都会的な演劇が観れること自体驚きでした。
ちょっと難解でしたが、緻密に組み立てられたストーリーと芝居、演出は素晴らしいものでした。

そして、今(2019.2.9)



二階にお雛様が。



ではここで、食事について紹介いたしましょう。

メニュー




お店より手書きのメッセージ


私は黒毛和牛のシチューランチをいただきました。

この丸いパンが柔らかくて美味。オリーブオイルを付けていただきます。ポテトポタージュにもオリーブオイルが。

メインディッシュはビーフシチューの他にメンチカツ、タラのすり身フライ、ほうれん草をペースト状にしたものなど盛りだくさん。

タラのすり身はほぼ蒲鉾で、弾力ある食感が私好みで美味でした。ほうれん草はお隣の御津町産。
もちろんビーフシチューも美味でした。

デザートは自家製パンナコッタでした。そして珈琲or紅茶が付きます。


ちなみに、こちらは 湊倶楽部限定グランシェフランチコースのメインディッシュです。

一度に黒毛和牛のシチュー、播州百日鶏のシチューの双方を愉しめるのでお値打ちです。

記念にオリジナルコースターをいただきました。

こういうロゴ入りアイテム、好きなんですよ。


そして、謹製食パン


湊マークの焼き印

1.5斤丸ごとなので私の好物「ヘタ」の部分も賞味できます!

生、焼いて、更にバターをつけてと食べ比べてみました。

生・・もっちりしていて柔らかく、しっとり水分が多いと感じます。自然な甘みがあり、美味しい。
焼いて・・・外はパリッと中はもちもちで更に美味しく感じます。
更にバター・・美味しいのですが、このパン本来の味が後退するように感じました。

個人の感想なので参考にならないかもしれませんが、焼いて何もつけずに食べるのが良さそうです。


ライトアップ夜景(2019.11.4)

デジタル処理で電線を消しています。

ちなみに青空の表題写真は開店日が曇り空だったため、2019.11.4撮影分です。
こちらも、デジタル処理で電線を消しました。


網干銀行湊倶楽部の開店を機に、あぼしまちの活性化と貴重な建築群の保存再生が促進されることを願って止みません。

以下は過去投稿記事のリンクです。網干は建築遺産の宝庫ですので是非ご覧ください。

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『旧網干銀行(2019年10月)』


旧網干銀行(2019年10月)

2019-10-09 00:06:56 | 近畿

もうすぐレストランとして再生する旧網干銀行。
オーナーのご厚意で、急ピッチで進む改修工事の様子を見せていただきました。

以前投稿した
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
に改修前の写真を紹介していますので、比べてみてください。


 【網干関連の過去投稿記事】(古い順です)

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『旧網干銀行(2019年4月-7月の状況)』
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開店するレストランの屋号は『旧網干銀行 湊倶楽部』です。
はじめに、この名称について少し触れておきましょう。

まず「旧網干銀行」について。
私自身この建築の事を「旧網干銀行本店」として紹介してきたのですが、
「旧網干銀行網干町支店」という可能性が高くなってきました。
決定的な証拠は有りませんが、
本店は現在のJR網干駅付近にあったという情報があり、
JR網干駅南口にほど近い「荒神社」の玉垣に「網干銀行本店」とあります。


そして、旧網干銀行の建物にほど近い「船渡八幡神社」の玉垣には「網干銀行網干町支店」とあります。

これらの玉垣の事も含めて考えると「旧網干銀行網干町支店」であったのだろうと思われます。


では、何故「湊倶楽部」なのでしょうか?

揖保川河口に位置する網干はかつて、港町として大変賑わっていた。
揖保川の高瀬舟による舟運が終焉を迎え
運送手段が鉄道、トラックに移るにつれてその賑わいは失われ、
ひっそりと遺った銀行や洋館、町家などの建物が往時の繁華を偲ぶのみとなった・・・

外から網干に入られたオーナーはそんな網干の歴史に思いを寄せ、強い気持を込めて名付けたと聞いています。
更に、店舗スタッフには網干の歴史や旧網干銀行のことを学んでもらい、お客様にそういった発信も出来るようにしたい、
ともおっしゃていました。


そして『旧網干銀行湊倶楽部』のシンボルマークとして、旧網干町の町章が使われます。


この紋章は「干」が3っつかと思ったのですが、調べてみると、
「網」の古字「网」と「干」を組み合わせたものであるとのこと。
近藤春夫 編『都市の紋章 : 一名自治体の徽章』(行水社・大正4)21ページ
に事の詳細があります。
ちなみに、網干小学校の校章はこれに「文」を組み込んだもの。

旧網干町役場の正面玄関に同じマークのエンブレムが見えます。

この写真は昭和33年、姫路市網干支所時代のもの。


それでは改修途上の旧網干銀行を見ていきましょう。

屋根。足場に登らせていただきましたが、最上部は細い手摺りのみで目隠しも無い。結局、怖くて建築の正面まで行くことができませんでした・・

銅板葺きと思っていたのですが、波型スレートですね。後の改修でしょうか?

昭和初期の絵葉書を見ると・・

分かりにくいので、拡大します。

登って撮影したのとは反対の面ですが、屋根がうろこ状に葺かれています。これを見て、ドーム部分と同じく銅板葺きかなと思っていました。
ドーム上には何やら装飾が付いているようですね。残念ながら、この写真だけではデザイン等は全く分かりません。

現状を見ると、該当する位置に釘のようなものが残っています。

雹に打たれたような痕が点々と見えますね。長年の風雨に耐えた証しです。

登った記念に網干パノラマ写真を撮影。(3枚写してフォトショップで合成)

絵葉書では重厚な本瓦葺きの甍が続いていたのですが、その面影は少なくなっています。

二階の壁面。こんな近くで見れるのは、今だけです。







全てを塗り替えるのではなく、傷んだ部分だけをモルタルで補修しています。
古い部分は出来るだけ残す。文化財修復の基本ですね。

では、下から順番に見ていきましょう。


一階外部西面南側、洋服店時代にショーウインドーがあった場所にコンクリートが打たれています。


この建築にはトイレが無いので、ここに増設するそうです。

正面の仕切塀はトイレの内壁になるようです。

姫路市の都市景観重要建築物等のプレートも新しくなりました。

おそらく申請時の登録名が「旧網干銀行本店」となっているのでしょう。前述の通り「本店」ではない可能性もあるのですが。

そしてこちらは、都市景観重要建築物に指定された記念に配られたポケットティッシュ。

おや、古絵葉書に写っている面の屋根も波型スレートですね。ということは、このスレートは後の葺き替えで間違いありません。

それでは内部を見ましょう。まず、少し前の9月末時点の状態。
一階北東向きに撮影

壁が取り除かれ、シャンデリアのある個室になっていた部分が見えるようになりました。

南東向きに撮影

金庫が見えるようになりました。

東向きに撮影


そして、10月6日。
正面入り口内部。

入り口ドア上部にペディメント(三角の破風)が付いていたのでしょうか?
拡大して見ると・・

アーチを積むときのように、煉瓦が斜めに積まれているのが分かります。

そして、入り口の左脇に露出した煉瓦。

左右で煉瓦の大きさが違いますね。見せる面を変えているようです。壁自体の厚さにも差があるのでしょうか?
この建築は煉瓦造ですが、構造体の煉瓦は外壁と内壁に隠れて見えないように造られていました。
今回の改修で構造体の煉瓦を垣間見ることが出来ましたが、レストラン開業時にはその殆どが再び隠されてしまいます。
ちなみに外壁に見える煉瓦部分は化粧煉瓦と云って、タイルのようなものです。東京駅もそうですね。

北西向きに撮影


北面

左の窓上部に煙突孔があります。この部分、よく覚えておいてください。二階に関連するものがあります。

北東向きに撮影


南向きに撮影

右(西側)にトイレが出来ます。

この煉瓦は見せるようにするそうです。


二階は西半分を撤去。天井が見えるようになりました。




金庫室扉


一階奥の部屋。前回「位置的に考えると頭取室か?」という事で紹介した部屋です。

この部屋の、腰板と扉は旧赤穂塩務局網干出張所とそっくり同じです。内壁が漆喰というのも同じ。
更に言うと網干商工会館の扉も同じデザインで、内壁も漆喰でした。同じ施工業者である等の関連性があるかもしれません。

天井漆喰が少し落ちています。もろくなっているので、傷んだ壁面を斫る(はつる)など、振動を伴う作業中にパラパラと落ちたりするそうです。


右手の階段を上って二階へ向かいます。


手摺りや階段には養生が。

階段には赤絨毯を敷くそうです。

明り取りがあった階段室天井。

こちらも漆喰が落ちそうなので覆ったそうです。

明り取りの窓が抜けているので、天井裏の小屋組みを見ることが出来ました。

右下に見える天井板はすのこ状になっています。

二階の床が抜けた部分からも、すのこ状の天井板が見えます。

塗った漆喰を固定するためにすのこ状の隙間が造られているとのことです。

二階金庫


二階には、バーカウンターが出来るそうです。


この回廊は分離したまま残すそうです。


床は、旧山本家住宅を思わせる寄木張りです。

元、畳の間が入っていた部屋。


この部屋の半分は元の漆喰壁を残すそうです。

このような個室にも客席が造られ、10人ぐらいまでのグループの貸し切りも可能になるようです。

もろくなった天井の漆喰はパラパラ落ちる可能性があるので、下部に新たな天井を作るそうです。

漆喰鏝絵の技法で塗られた天井は隠れてしまいますが、そのまま後世に遺されます。

二階東端の部屋

少し雨漏り痕も見え、傷んでいます。よく見ると、煉瓦に穴が?
拡大して見ましょう。

煉瓦一個分の穴が開いており、木煉瓦を挿すほぞ穴だという事です。

同じ部屋の中に、

赤矢印のような「幅木」が付いていますが、煉瓦の穴は幅木をしっかり固定するためのほぞ穴です。
そして、黒矢印のものは何だか分かりますか?
そう、一階の窓に煙突孔があった所の取り換えパーツとでもいうのでしょうか、窓ですね。

この部屋の漆喰鏝絵の技法で塗られた天井も覆われ、しばしの眠りにつきます。

※オーナーにお聞きした話を元に、レストラン開業時の店内のことにも触れましたが、古い建物の再生という性質上計画変更の可能性がありますのでご了承ください。


旧赤穂塩務局網干出張所(現東京電機工業株式会社)

2019-09-24 00:53:35 | 近畿

2019年9月、所有者のご厚意で旧赤穂塩務局網干出張所(現東京電機工業株式会社)の内部を撮影させていただきました。
なお、表題写真は、私が撮影した最も古い写真で1996年のものです。


【網干関連の過去記事】(古い順です)

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『網干の近代建築と町家 2018【旧網干銀行本店が!!】』
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
『旧龍野藩南組大庄屋 片岡家
『網干商工会館
『旧網干銀行(2019年4月-7月の状況)』


使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount


旧赤穂塩務局網干出張所
(大蔵省臨時建築部/M末-大正初年頃?/木1/経済産業省近代化産業遺産)

人造石洗い出しの門柱は戦前の物だと思われます。門に右下には境界を示す石柱があります。


人造石洗い出しはコンクリートに小石を混ぜて固めたもの。固まりきる前に表面を洗い出して石の質感を表現する左官の技法です。


境界標には「大蔵省用地」と書かれています。

1949年に日本専売公社が発足するまでは、大蔵省専売局が塩業の管理をしていました。

これが網干出張所の庁舎


玄関軒下の持ち送りや、その上にある通気口の下の装飾に洋風建築の意匠が見られます。


一見、普通の下見板のようですがドイツ下見と呼ばれる手間の掛かる手法の外壁です。

塩務局出張所庁舎は大蔵省臨時建築部による同一の設計で日本各地に建てられました。
旧三田尻塩務局長府出張所(山口県・宇部西町公民館)
味野塩務局山田出張所(岡山県玉野市・登録文化財)
等が現存しています。(クリックするとGoogle ストリートビューに飛びます)
ダイセル異人館のように同一設計の建物がすぐ隣に見られるということはしばしばありますが、遠く離れた所にあるという例は珍しいと思います。

内部は改装されていますが、天井板や扉などは元のまま残っています。


庁舎右側の扉から入ると漆喰壁の廊下があり、渡り廊下に抜け出ることが出来ます。




扉は端正なデザインで統一されています。




渡り廊下の突当りにはトイレがあります。

これらの外壁ペンキや漆喰壁は所有者ご自身の手による補修で美しく保たれています。

敷地裏手に塩倉庫が一棟。

塩倉庫もほぼ同形の建築が赤穂塩務局に現存しており、同一設計で各地に建てられたようです。

今年の初めにはもう一棟ありました。以下2枚は2019.2撮影。

向こうに小さく見える棟が取り壊されました。

裏手から撮影。手前の棟が無くなりました。


そして、2012年に撮影した取り壊された側の塩倉庫。

この時点で、かなりかしいでいます。

そしてこちらも2019.2撮影。左に写っている小さい建築も今は有りません。


この建築を2012年に撮影した写真。

先程の塩倉庫と共に、普通の下見板張りです。

その裏を2019.2に撮影したもの。

北側に大きなガラス窓があり、直射日光でない柔らかい光を多く取り込む必要があったと思われます。
恐らく品質検査室のような用途であったろうと推測しますが、残念ながらそれを証拠付ける資料は有りません。


旧網干銀行(2019年4月-7月の状況)

2019-07-22 22:27:31 | 近畿

旧網干銀行がレストラン「旧網干銀行 湊倶楽部」として開店に向けての改修・増築工事が始まっています。
4月末に幌を被りましたが、少しづつ工事が進みつつあります。

※表題写真は幌をかぶる直前の4/20撮影。


【網干関連の過去記事】(古い順です)

姫路市網干区の近代建築(EBONY SW45で撮影)
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網干の近代建築と町家
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【速報】旧網干銀行本店 前のアーケードが撤去!
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『網干商工会館


使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount、SONY FE 28-70mm F3.5-5.6 OSS


4/30




6/23


6/29


後ろで厨房棟の建設が始まった
6/23


7/7


7/15

現在もう少し進んでいるかもしれないが、厨房棟の基礎が出来ている。

そして7/21、エコパークあぼしの「あぼしまちエコフェスタ」フリマ会場にて、

レストランで併売する食パンのプレ販売。ハンコやロゴが渋くて私好み。筋入りクラフト紙も久しぶりに見たように思う。

説明書き。


賞味期限は短く、保存料は無添加のようだ。

持てばずっしりと重くもっちりとした生地。水分も多いようでトーストしても焦げにくくしっとりと焼き上がり、豆乳のせい?なのか独特の香ばしい香りがする。生よりトーストした方が甘みが増して美味しかった。バターなどは塗らずにパンそのものの味を楽しんだ方が良さそうだ。


網干には数多くの歴史的文化財といえる建築があり、この旧網干銀行に続いて再生される物件が現れることを願って止まない。