網干商工会館、以前から外観は何度も紹介していましたが、
このたび管理団体のご厚意により念願の内部撮影をさせていただきました。
そのときに聞いた話によると、現在空き家になっており
解体資金が工面でき次第取壊したいとのことでした。
決して少なくない金額が調達出来た時点で解体されてしまう、という現実に複雑な気持ちになりました。
現状ではいづれ取壊すしかないという事は明らかな事実ですが、
姫路市や網干地区においては近代建築や町家等の歴史的建造物に対して
文化財的な価値認識と保全再利用への理解が希薄なのだとも感じます。
【網干関連の過去記事】(古い順です)
『姫路市網干区の近代建築(EBONY SW45で撮影)』
『網干の近代建築』
『網干の近代建築と町家』
『昔の航空写真(姫路・網干)』
『『歴史と景観のまち 網干を歩く』発売』
『【速報】旧網干銀行本店 前のアーケードが撤去!』
『旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(ダイセル異人館)』
『網干の近代建築 2017』
『網干の町家と街並 2017』
『旧山本家住宅 2017』
『旧水井家住宅(姫路市網干区)』
『網干の近代建築と町家 2018【旧網干銀行本店が!!】』
『旧網干銀行本店・旧N金物店 ほか』
『旧龍野藩南組大庄屋 片岡家』
使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount
網干商工会館
(不詳/昭和15(1940)年/木2(半地下あり)/文化財指定なし)
まず、2019年2月撮影の蔦が枯れた状態で外観デザインをを確認しましょう。
【正面】
一見左右対称ですが丸窓は三つ見え、左には丸窓が有りません。
1階下部に帯巻き状に緑のタイル張り。スクラッチ状の縦筋が入ったタイルですが、引っかいたものではなく型押しで作られたものです。
その他の壁面はドイツ壁仕上げになっていましたが、2階右上の黄色い部分以外はモルタル仕上げに改変されています。
【玄関ポーチ】
柱には細かい化粧タイルが貼られています。
【右側面】
丸窓が一つ。前面と合わせて4っつの丸窓が確認できます。
丸窓は船窓とも言い、神戸など港町の建築に比較的多くみられます。
瓦はおそらくスペイン瓦という洋瓦で、洋風建築としてしっかりとした設計と屋根材が選ばれていると想像できます。
【左側面】
2階窓上に通気口と思われる半円の鎧戸があります。半円形で等間隔のリズミカルな繰り返しに高いデザイン性を感じます。
2019年6月現在、蔦の絡まる状態の右側面
右側面は全く外観が確認できません。
2019年6月撮影の正面
そして、竣工時(落成式)の写真がこちらです。
(「網干地方史談会」所蔵写真より)
外壁がドイツ壁仕上げであることが確認できます。今でもタイルと花壇の一部が残っています。
竣工時の窓枠は木製ですが、現状殆ど全ての窓がサッシに取り替えられています。
それでは、いよいよ内部に!
玄関
左に事務室、右にも同じような部屋があります。
右の部屋
事務室
玄関正面から奥に続く廊下
廊下右扉内の部屋
廊下の左には比較的高級な造りの部屋
三部屋をぶち抜いた広い部屋で、元は応接室や会長室だったのだろうと思います。この画像は奥の二部屋分。
こちらは玄関側の一部屋分
天井の四隅通気口?
旧網干銀行や旧山本家住宅の天井にも、このような通気口と思われる開口部があります。
洋服掛け
デザインと材質から見て、竣工時からあるものだと思われます。ハンガーには旧網干銀行で営業していた「タケダ」のロゴが。
1階右奥に宿直室らしき畳の部屋、土間になった台所、更に浴室まであります。
かなり荒れているのでそれらの掲載は控えます。
宿直室への通路上の配電盤
台所のカマド
昭和15年の網干ではガスはまだ普及していなかったようですね。
玄関中央廊下突き当たりから玄関側を見る
廊下突当りの右側は洗面所
洗面所に掛かる「御料理 やっこ」の銘が入った大鏡
「やっこ」は本町通を南に入ったところにあった料理屋「魚勝」と同じ建物で営業していました。そこも今では空き地です。
廊下突当りの左に便所
ボール型のランプシェードが時代を感じさせます。
便所の洗面台も「たんつぼ」が付いた古いタイプ
小便器もパイプまで陶器でできた古いタイプ
便所側から洗面所を見る
漆喰?仕上げの壁と天井が美しい!
1階床下の半地下
物置きになっています。
では、2階へ!
大会議室
舞台まであって、会議室というよりはホールといった方がしっくり来ます。
天井中央は格天井になっており、格式を感じます。
更に天井の左右には段差が。音響効果にまで配慮されているのだろうか?
明治末期の日本セルロイド人造絹糸工場建設以来、網干と設楽貞雄は繋がりがあったと思われ、設楽の子弟等が設計に関与している可能性も考えられる。そもそも、旧山本家住宅など網干の主な建築を手掛けた玉貫氏は伊勢出身で日本セルロイド人造絹糸工場建設時に設楽貞雄が送り込んだと言われています。
舞台
演台のマーク
笑い顔にも見え、網干町のマークにも似ています。
外観左側面の半円鎧戸の内側
舞台横の小さな部屋
傷んでいますが、竣工時の床が残っているようです。
舞台裏通路
正面バルコニーの丸窓部分の内側です。
丸窓内側を拡大
大会議室横の廊下
蔦が内部まで侵食しつつあります。
舞台脇の扉
漆喰?仕上げの壁と天井との境目の左官仕事による処理が美しい。
廊下を進むと丸抜きがある階段室
外観右側角の丸窓、内側階段に丸抜き
美しい4っつの丸を同時に見ることが出来ます。
階段側から見ると・・
シンプルな直線で構成された漆喰?の壁面が美しい。
階段丸抜きを拡大
洋館でありながら井桁のような和のデザインが粋で、よく見るとデコボコの名栗加工もあります。
階段下から見上げる
やっぱり美しい!
階段を降りると玄関脇に出て、見学は終わりです。
外観からしっかりした洋風建築だと思っていましたが、内部は想像以上に素晴らしい造りでした。
大会議室のデザイン、階段室のデザイン、漆喰かどうかは分かりませんが内壁の左官仕上げの美しさ・・・
戦時中である昭和15年の建築だという事を考えると、他に類を見ないほど上質な建築であると言えます。
この建築の歴史的価値・質的価値に気づいている人は少なく、今のところ単純に古くなって使わなくなった建物は壊す、
という当たり前の考えしか無いのだろうと思います。
老朽化や利用法が無いなど仕方のない理由は有るとは思いますが、
壊す前に今一度建築の価値を明らかにして再認識することと、
本当に壊すしかないのか?残せる可能性は無いのか?という事も一考する余地が欲しいと思います。