風も強いorz
そんな土曜日ですが、上野の国立西洋美術館で行われている、
スケーエン:デンマークの芸術家村展の講演会に行ってみました。
今日は、第二土曜日と言う事で、常設展は観覧無料。
講演会は、常設展や、特別展のチケットがあれば、
聴講券をもらえるので、実質、無料で講演が聴講できるという
とってもお得な講演会です。
こりゃぁ、行きますよね。
今日の講師は、山口県立美術館専門学芸員の萬屋健司さんで、
大学の時にデンマーク語を学び、デンマークに留学もしたという方。
日本国内を見渡しても、デンマークの美術に詳しい、
ほとんど唯一の方見たいです。
凄いな。
今日の講演テーマは、「デンマーク近代絵画とスケーエン派」
デンマーク絵画自体が、日本でほとんど知られていないと言う事もあるので、
基礎レベルからの講演になりそうです。
- 「画家であるならこちらにいらっしゃい。ここには描くべき多くにモチーフがあります。このデンマークの村は、アフリカの砂漠やポンペイの灰の丘、鳥が舞う海辺の砂浜を描くための景観を与えてくれるでしょう。スケーエンは確かに訪れる価値があります。」H.C.アンデルセン(1859年「スケーエン」)
- スケーエン派と呼ばれるのは、19世紀末から20世紀初頭の画家たち
- スケーエンで、アンナ・アンカーの家で代々やっていたのがブロンドゥム・ホテル。ここが、スケーエン派のたまり場にもなった
- 日本での、デンマーク美術を紹介した展覧会としては、ヴィルヘルム・ハンマースホイ展が2008年に国立西洋美術館で行われているが、今回のスケーエン展は、それ以来のデンマークの絵画展
- デンマークの美術史を紐解くと、王立美術アカデミーが設立されたのは1754年。これは、ドイツやフランスより約100年後で、イギリスよりちょっと早い。初期のころは、デンマークに美術を教えられる人物がおらず、進んでいたパリやオランダから優れた美術家を招聘していた。その後、デンマークの芸術家で、新古典主義に分類されるアビルゴーが出てきた。しかし、アビルゴーは、近代デンマーク美術には古かった。
- その後、デンマーク近代絵画の父と言われているC.W.エガスベアが出てきて、近代デンマークの芸術を引っ張る事になる。彼の歴史画として《バルドルの死》《紅海を閉じるモーセ》があるが、エガスベアが後の画家に影響を与えたのは《アックア・アチェトーザ》《ウィア・サクラの一隅》《中庭の眺め(フォロロマーノを描いたもの)》の様な、風景を切り取ったようなスナップショット的な作品。これらは画面のサイズが小さく、屋外で描いたと考えられる。その背景として、国からの奨学金をもらってローマに留学していたエガスベアだが、当時デンマークは国自体が貧しく、十分な費用を得られていなかった。
- アングル、グラネ、エガスベアの絵画に、似ているものがあるが、この三人の関係性は不明
- ローマ時代のエガスベアが得たものは、(1)外国人芸術家との交流、(2)戸外製作の実践(自然(風景)に対する意識の変化)
- エガスベアの弟子達が、デンマーク絵画の黄金期を担ったので、デンマーク絵画の父と言われる
- 1820~1840頃が、デンマーク絵画の黄金期。エガスベアの弟子達が活躍
- 時代背景的には、ナポレオン戦争後~三年戦争(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)の時代。1848年3月には、デンマークの絶体王政が崩壊した。アンデルセン、キルケゴールが活躍した年代でもある
- “黄金期”とは元々はデンマークの文学を差して使われた言葉だった。
- クレステン・クプゲ《要塞北壁の一隅》《ソウデダムスーウン湖の秋の朝》《アトリエからの眺望》《フレズレクスボー城の棟と風景》。スナップ、スケッチ的な作品が多い。実は、《フレズレクスボー城の棟と風景》の作画サイズは大きい。長辺が180cmもあるが、展覧会には出さず、クプゲの自宅を飾っていた
- デンマークの特徴に、(1)山がない、(2)自然の風景がなく人手が入っていると言う事がある。
- F.フェアミーン、C.ダルスゴー、J.エクスナは、デンマークらしい風景を描くと言うより、デンマークのユトランドの人々を美化して描くことをしていた
- ニルス・ラウリツ・ホイイン。デンマーク最初の美術史家、画家の助言者、批評家、購入者。画家達に影響力が有ったが、ナショナリストであったので、デンマークの国威発揚を求めることがあった。
- 1840年代以降、絶体王政の崩壊から、三年戦争(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争を経て、デンマークの国土が小さくなる。デンマークの人々には危機的な状況。“デンマーク的なもの”を求める時代だった。
- H.ドラックマン、C.ロッカーM.アンカー、V.ヨハンセン、P.S.クロヤーなどの画家のうち、クロヤー以外は、スケーエンに来た時点では無名だったが、クロヤーはスケーエンに来た時点で既に有名な画家だった。
- アンナとマイケルのアンカー夫妻は、昔の最高額の紙幣の肖像に使われていた。それほどデンマークでは敬愛されている。ちなみに、現行紙幣は建物になってしまっている。
- 1870年代半ば~1880年代前半のスケーエン。デンマーク全体として、国土の縮小、都市化が進んでいたが、スケーエンには、物理的・時間的に失われた「古きよきデンマーク」が見られた。しかし、時間を経て、美しい光りが見られる土地としてのスケーエンの価値に画家達は気が付く。
- 19世紀末のスケーエン。地理的・時間的な象徴性を持っていた場所。芸術的に自由な環境であった場所。親密なコミュニティであった。
- それは、ヒュゲ[(hygge)居心地の良い時間と空間、穏やかな寛ぎの温かさ]と表現される。ヒュゲは、光りが重要(抑えられた淡い光り)で、静かにゆっくりと過ごす時間・空間である。元々はノルウェー語で、デンマーク的には外来語。英語のcosyともちょっと違う。ちなみに、ノルウェーでは、今はヒュゲは使わず、cosyから来たkoselgと言う言葉を使うようになっている
- アンナ・アンカーの作品には、ヒュゲが数多く見られる
こんな感じでしょうか。
最初にも記したように、基礎からお話ししてくれたので、
非常にわかりやすかったです。