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国立西洋美術館 「ミケランジェロ展」記念講演会『ルネサンス期のローマ:古代彫刻の街』

涼しくなったかと思ったら、なぜだかめっちゃ暑い土曜日の今日は、
上野の国立西洋美術館で行われている『ミケランジェロと理想の身体』の
記念講演会に行って見ました。

最近、この手の講演会は、結構混む事が多いのですが、
今日もその様でした。
講演会の整理券配布が12時からなのですが、
「まだ大丈夫だろう。並び始めたら並ぼう」と思って、
11時頃に国立西洋美術館に行ったところ、
既に並び始めている人が!
「ヤバイ!」と思い、並んでいる間にトイレに行かなくても済む様に、
トイレに行ってから、列ができているところに行って見ると、
その前に目撃した時よりも、並んでいる人が増えていました!
と言う事で、今日は、1時間前から行列です。
1時間も並ぶことは、予定してなかったよ(苦笑)

ちなみに今日の講演会は、全部で3回予定されている講演会の3回目。
展覧会自体も、9月24日までで、あと2週間くらいですからね。

と言う事で、その最終回の講演会は、
「ルネサンス期のローマ:古代彫刻の街」と言うタイトルで、
講師は、この展覧会の監修をした、国立西洋美術館主任研究員
飯塚隆さん。
期待が持てます。

1時間並んで、整理券を入手!
並んだ甲斐ありました。

講演会は、以下の様な感じです。

  • まず、「講演会は別にして、展覧会素晴らしかった」と宣伝してほしい(笑)。
  • 簡単に、講演に出てくるところを確認。カンピドーリオは、パンテオンとコロッセオの間位に位置。バチカンは、テヴェレ川の向こう。ただ、意外に広い範囲ではなく、歩こうと思えば歩ける範囲
  • 16世紀前半。既に、カンピドーリオとヴァチカンには古代彫刻があった。カンピドーリオには、《マルクスアウレリウスの騎馬像》、《とげを抜く少年》、《コンスタンティヌスの座像》など。ヴァチカンには、《ラオコーン》、《ベルヴェデーレのアポロン》、《ベルヴェデーレのトルソ》など。これらは、いまでも見られる。これらの古代彫刻が、ルネサンスなどに大きな影響を与えた。

  • 1530年代のヴァチカンについて
  • オランダの画家マールテン・ファン・ヘームスケルクは、ヴァチカンのスケッチを残している。書かれた場所と時代がわかると言う意味で、非常に貴重。
  • 一つは、いまはヴァチカン美術館となっている建物。この建物は、教皇インノケンティウス8世が1487年ごろに建てた小宮殿(ベルヴェデーレの別荘)。
  • ヘルムスケークのスケッチだと、いまのヴァチカン美術館の建物は、建物が丘の上にある様に見えている。しかし、今現在現地に行っても、建物が丘の上にあると言うことは中々実感できない。しかし、螺旋階段を見ると、建物が意外に高いところにあると言う事が近い出来る。いま使われている螺旋階段は1934年に造られたものだが、実は、スケッチが書かれたころにも既に螺旋階段があった。その螺旋階段は、今は立ち入り禁止になっているが、使われていた当時は馬車で上がる事ができる様になっていて、実はベルヴェデーレの別荘の中庭「彫刻の中庭」に行くために、教皇ユリウス2世がブラマンテに作らせた。
  • 古代彫刻のコレクションの始まりは、教皇ユリウス2世。ヘームスケルクの別のスケッチには、《ラオコーン》がしっかりと描かれている。ヴァチカン美術館のコレクションは、この《ラオコーン》から始まると言ってよい。

  • カンピドーリオについて。
  • ここもスケッチが残されている。1550年代を描いたスケッチと今を比べると、広場に面している左側の建物がなかった。
  • 1470年以前、カピトリーノの丘で見るべき古代彫刻は1点だけ。教皇シクストゥス4世が、1471年、ラテラーノ宮のコレクションを「ローマ市民に寄贈する」と言ってカピトリーノの丘に置いたのが、カンピドーリオの始まり。
  • 教皇シクストゥス4世の方が世代が先。教皇シクストゥス4世の行動が教皇ユリウス2世に影響を与えた事は想像に難く無い。
  • 15世紀、カピトリーノの丘は荒れ果てていた。教皇シクストゥス4世以前、《馬を襲う獅子》だけがカピトリーノにあった。この彫刻は、ミケランジェロが絶賛していたことが知られている。カンピドーリオの広場に面している中央の建物をパラッツォ・セナトーリオと言うが、そこから広場に真っすぐ向かう階段に彫刻はあった。
  • しかし1536年以前、ヘームスケルクのスケッチによれば、《馬を襲う獅子》は、同じくパラッツォ・セナトーリオの階段にあったが、階段の形状が異なっている。
  • 同じくヘームスケルクのスケッチによれば、ロムルスとレムスが描かれている《カピトリヌスの雌狼》や《コンスタンティヌスの頭像》、《ナイル川の擬人像》、《テヴェレ川の擬人像》などがカンピドーリオのどこに置かれていたかがわかる。
  • 1530年代と1550年代のスケッチを比べると、パラッツォ・セナトーリオの中央階段の改築された事がわかる。そのカンピドーリオの丘の整備計画は、ミケランジェロが、パウルス3世の依頼を受けて計画を立てた。その改修は、1538年マルクス・アウレリウス騎馬像を移設したことがわかっている。また、サンタ・マリア・イン・アラ・コエリ教会の前にパラッツォ・ヌオーヴォを建て、広場の形を対照的な配置にした。そして、広場の中心には《マルクスアウレリウス騎馬像》が位置している。

  • 《ラオコーン》について
  • 1506年1月にラオコーンは発見された。発掘にはミケランジェロが立ち会った?とも言われている。
  • 実際の発掘は、ジュリアーノ・ダ・サンガッロが行っていた。《ラオコーン》が出てきた際、プリニウスの『博物誌』に記述されているものとすぐに理解された。《ラオコーン》のある場所は“Domus Titi”と『博物誌』に書かれているが、“Domus Titi”の場所は特定できていなかった。
  • ラオコーンが発掘されたのは、「コロッセオの近く?」、「サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会の近く?」、「サンタ・マリア・マッジョーレ教会の近く?」など、いろいろな言われ方をしている。それらのランドマークの近くにはオッピオの丘がある。オッピオの丘には、ローマ時代の遺構が残っていて、トラヤヌス浴場とか、ティトゥス浴場とか、ネロの黄金宮、ティトゥス宮殿があった。
  • 《ラオコーン》は1506年1月の発見され、1506年3月には、ユリウス2世が購入している。その際、《ラオコーン》はフレディスの葡萄畑で発見されたとされているが、その葡萄畑はどこか?1557年のローマの地図によれば、Domus Titiと描かれているところがある。1527年3月の公証人の記録によれば、Sette Saleという水槽の近く、家屋(フレディスの家屋)が含まれるなどという記述がある。また《ラオコーン》は、4mの深さから発見されている事が分かっている。葡萄の畑仕事では4mも掘る事はない。それらのことから、ラオコーンの発見場所は、Sette Sale付近と特定されている。フレディスの家屋は現存している

  • 《ラオコーン》は、当時の芸術家に非常に大きい影響を与えた。
  • マルコ・ダ・ラヴェンナの版画や、バッチョ・バンディネッリの彫刻、ヴィンツェンツォ・デ・ロッシの彫刻。
  • 《ラオコーン》に触発されて作られたロッシのラオコーン彫刻と、本物の《ラオコーン》には、違いがある。ツッコミどころ満載。

  • 今回の展覧会は、男性の彫刻像が多い。ルネサンス期のもとは、古代ローマで、古代ローマのギリシア彫刻を丁寧に模している。《ベルヴェデーレのアポロン》。
  • 古代ローマは、アルカイック、クラシック、ヘレニズム、ローマと分けることが出来る。
  • ギリシア彫刻は、繰り返して男性の裸体を作ることで、理想の身体を求めていた。理想像は、BC440のポリュクレイトスの《ドリュフォロス》に見られる
  • BC490の《アリストディコス》と《ドリュフォロス》は違う。後者は、片足に重心を置いている(=コントラポスト)が、前者は直線的である
  • コントラポストは、肩、腹筋、腰のラインが斜めになっている。これは、身体が機能しているから、こういう姿を示す。人が生きているかのような表現になっている。生身の肉体として見える。
  • それ以前は、肩、腹筋、腰のラインは平行で、身体が機能していない表現。石の塊としてしか見えない。
  • 理想の身体を通じて、ルネサンスに至る。
  • 《アメルングの運動選手》。一部欠けているが、全体像が何となくわかる。ギリシア彫刻という基となる作品があって、それの複製がローマン・コピー。ローマン・コピーは、精度が高いので、オリジナルがなるがなくても、ギリシア彫刻がわかる。
  • ミュロンの《円盤投げ》。
    ・《アリストディコス》(左右対称)と《クリティオスの少年》(左右非対称)。後者が、コントラポスト。

  • 《ダヴィデ=アポロ》。既に、1500年代に、どちらであるかという事がわからなくなっていて、《ダヴィデ》とも《アポロ》とも言われている。
  • 《若き洗礼者ヨハネ》。スペインのウベダと言う街にある。コンディーヴィの記録によれば、1495から1496年に、ミケランジェロはヨハネ像を作ったとされているが、ヨハネ像のその後がわからなかった。1930年、ウベダでヨハネ像が発見されるが、スペイン内戦で破壊。破壊された状態のまま保存され、1994年にフィレンツェに運ばれる。2013年、IT技術を駆使して修復完了。全体の40%がオリジナルで、残りは修復部分。ウベダのエル・サルバドル大聖堂の写真に破壊前の姿があり、その他様々な資料で全体像がわかり復元できた。修復後、スペインとイタリアで公開された他は非公開だった。日本で久しぶりに公開された。
  • 《ダヴィデ=アポロ》と《若き洗礼者ヨハネ》は、かつて、同じ所有者に所有されていたが、のちにバラバラに。今回、約500年ぶりくらいに一緒に会堂している事も注目

こんな感じでしょうか。
写真が沢山あった講演会で、中々面白かったです。
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