香淳皇后《紅白梅図》
『人間でありたい。家庭的な生活を』
お昼食がおわると、東宮さまは、ふたたび“表”へ。夕刻まで、摂政宮としての、ご多忙なご政務を熱心におとりになる。
一日おきに３時頃ーー東宮さまが、奥にお戻りになられる。と、侍従の甘露寺受長氏が「妃殿下、ゴルフをなさいませんか」と、良さまをかならずさそいに来たものだった。
東宮さまはがんらいスポーツがあまりお好きでない。健康上の心配から、侍従長は東宮さまを戸外へ連れ出したいのだ。そんなとき、良さまをおさそいすれば、まちがいなく東宮さまも運動なさる。
《将を射んとせば・・・・という、ひとつの謀略であったことを、殿下はご存じだったろうか。いまになって白状する次第である》と、甘露寺氏は、その著書“天皇さま”のなかで書いている。
宮殿につづいて、広々としたテラスがあり、その前に大噴水が白い水を吹き上げていた。その噴水をめぐる道をいくと、地形は南へなだらかに低くなり、美しい曲線を描いた芝生がひろがる。
ゴルフ、テニス。その向こうの池でボートの練習。女官達も、お相手をつとめる。みな、白いスポーツ着に着替え、若い東宮さま、良さまとご一緒に、明るい日差しの下で汗をながした。
明治天皇、大正天皇にお仕えした女官たちは、考えることも出来なかった明るい毎日。かつては、袿袴という、お雛様のような衣装で御所の紅葉山のふもとにある長局の百間廊下を、しずしずと歩むのが女官の姿だった。
それが、キャッキャッと笑い声をたて、侍従たちと競技する女官。ことに未婚で一番若かった油小路女官など、このスポーツのお相手が楽しくてならなかった。だが青山元子女官は、もう３２歳。家には大きな子供が２人もいるお母さんだ。はじめてゴルフのクラブを持たせても上手くいくはずがもない。えい、とやっとクラブをふる。するとボールは思もかけない方向へ飛んで、木の幹に当たって跳ね返ったり、池にドボンと落ちてしまったり、それを、侍従が８ミリの撮影機でフィルムにおさめた。
土曜の夜は、無礼講ご陪食で、宿直の女官、侍従が、両殿下と丸いテーブルを囲んでご夕食をいただく。そんなときに、良さまはいつものようにふり袖の美しい和服をめしていた。
食後、映写室で８ミリを写す。青山女官の失敗が、写し出された。良さまは、そのたび、
「ほら青山、ほら、また球が・・・・」
と、おかしくてたまらないといったように高い声で笑われる。東宮さまも、ご一緒に大笑い。
ご結婚当初は、お口数の少ないほうだった良さまが、ほんとうにあかるく、陽気になられた。それも東宮さまの英断で、女官制度がすっかり改革され、家庭的、人間的な御所に変えられたに違いなかった。少年時代、地を這うアリを眺めて、さみしさをまぎらわしていらしたという東宮さまだからこそ、それまでの御所の制度をどうしても変えなければーーと、決心されたかもしれない。
“天皇は神である”とされた、その事に対する、これは東宮さまの反抗であったかもしれない。
『東宮さまと、愛の二重奏』
久邇家の侍女だった岩端たかさん（現在９１歳）に、駿一さんという息子さんがいる。当時、駿一さんは近衛連隊の将校だった。
近衛兵、一個小隊は、東宮さまと良さまのスート・ホーム赤坂離宮の守護を命じられる。駿一さんにしてみれば、母親がつかえた良さまである。懐かしさをこめて、この任務についた。
東宮さま良さまは、よくお庭を散歩なさった。さまざまの常緑樹や秋はみごとに紅葉するカエデの茂った円山や、夏は睡蓮がさき、冬は野鴨が真っ黒になるほど舞いおりる池のまわりを、お二人は手を取り合ってお歩きになる。
夫婦といっても、手をつなぐどころか、肩を並べて歩くことすらはばかれた当時のことだ。そうしたご親密な様子を見せつけられると、若い兵士たちは、ドキドキした。
だが、役目としてつねにお二人を見守っていかなければならない。
と、そのうち、侍従から、「両殿下のほうを見ないで、護衛をするよう」とのお達しがあった。
さあ、難題だ。お二人の見ずに、どこに、どこを見ていたらいいのだろう？
「夜になって、控え所にいると、御座所のほうから、バイオリンとピアノの二重奏が流れてきましたねぇ。私は音楽が好きだったから、うっとりと聞き惚れましたよ。ほんとうになごやかなご夫妻でしたね。えっ天皇さまは、バイオリンもピアノもダメですって！？私は両陛下が合掌されたのだと、いまでも信じていたのですが・・・・」
と、駿一さんは当時を回想する。
赤坂離宮時代の昭和天皇と香淳皇后
