益田玉城 『羽子板』
鬱の方は時々並みが有りますが、何も出来ない状態ではありませんので、大丈夫です。スッキリとした気分が長く続いて欲しいものです。
新年明けましておめでとう御座います。
松本一洋 『鶴亀』
新年の皇室は昨年と変わりなく、両陛下の国民に向けてのメッセージと、謎のティアラ外しの新年祝賀の儀でした。
ティアラは贅沢品。でも真珠は贅沢品ではない・・・・御木本幸吉翁は草葉の影でどう思っているのでしょう。贅沢品のレッテルを貼られたティアラが可哀想です。ティアラというのは宝石職人が手間暇かけて、手作業で作り出された、立派な美しき美術工芸品です。
菊のティアラ(国産品)に大礼服姿の香淳皇后
いくらコロナ化とはいえ、美術館が、国民が苦労しているからと、価値ある高価な絵画を外す何てするでしょうか??そうゆう事です。
皇后陛下の御思し召しでしたら、ティアラというのを甘く見ております。ましてや皇后陛下のティアラは御世襲品。
国賓として来日したドイツ連邦共和国大統領夫妻をおもてなしされる昭和天皇と香淳皇后(昭和38年・11月)
この時に香淳皇后が身に付けてらっしゃる星のティアラはドイツ・ベルリン製で、昭憲皇太后以来の御世襲品です。香淳皇后のお心遣いが分かります。
この時に香淳皇后が身に付けてらっしゃる星のティアラはドイツ・ベルリン製で、昭憲皇太后以来の御世襲品です。香淳皇后のお心遣いが分かります。
大統領夫妻の招きで、ベルリンオペラをご鑑賞になられる為に日生劇場にお出ましになられた、昭和天皇ご夫妻。
香淳皇后の超レアなバンドー型ティアラ(恐らくネックレスをご使用)姿
アフガニスタン国王と握手される香淳皇后
現在のコロナとは御世襲品のティアラは関係もないのです。控えるべきは、現在のご時世に高額なティアラをお求めになられることです。
昭和の頃も新年祝賀の儀はある時期よりティアラを身に付けてはおられませんでした。
昭和の新年祝賀の儀です
エンプレス・スマイルの香淳皇后。皇后をお支えしているのは北白川女官長です。そして夢の国の衣装を身にまとっていらっしゃる美智子東宮妃殿下
後ろに続かれる、常陸宮華子妃殿下・秩父宮勢津子妃殿下・高松宮喜久子妃殿下・三笠宮百合子妃殿下・寛仁親王妃信子殿下です。
令和3年の新年祝賀の儀に、ご出席されたのはこの方々のなかでは、信子妃殿下お一人です。
香淳皇后はその頃、認知症が大分進んでおられたとの事てすが、例え腰を痛めておられても、認知症でもでもご自分が出来る背一杯の事をなさって、皇后の務めを果たされました。ご立派としか言いようも有りません。
皇嗣妃殿下と眞子夫人がいらっしゃらないのは矢張寂しく思いますが、致し方ないことです。妃殿下は喪に服され、夫人は自由を求めて、
栗原玉葉 『お夏の思い』
オミクロン株が蔓延している、国へいかれるという、思慮の浅い行動をとられました。
鏑木清方 『緑のショール』
早くお一人で帰国されることを願っております。夫人の夫とは、リモートで、夫婦生活を送れば良いのです。
石井健之 『うりこ姫』
輝くばかりの両陛下です。
両陛下の次に秋篠宮皇嗣殿下が続いてお入りになった場面です。敬宮殿下を天皇にと騒いでいる人達は何故か?大騒ぎです。皇嗣殿下の後に敬宮殿下です。
皇嗣妃殿下がいらっしゃらなければ、敬宮殿下がその後に続くのは当然です。シロガネ的には佳子内親王殿下の次が敬宮殿下というのが良いと思っていました。
現在は皇嗣両殿下の次でも、将来若宮殿下が皇位を継がれれば、下に下がられるのは必然なのですから。天皇の姉と天皇の従姉妹では立場が違いますから。
字幕が邪魔。
矢張ティアラがないと、味気ないものです。新しい年の始めには輝やきが必要デスネ。
折角、叔母様から素敵なティアラを貸して戴いたのに。余りに気の毒な敬宮様です。
お隣の三笠宮信子妃殿下の方が耀いていらっしゃる・・・・ように見えます。
敬宮殿下はまだ長手袋が慣れていらっしゃらないのでしょう。シワシワ具合が何とも初々しくも可愛らしいです。
敬宮殿下はまだ長手袋が慣れていらっしゃらないのでしょう。シワシワ具合が何とも初々しくも可愛らしいです。
上村松園 『ふり袖』
三笠宮彬子女王殿下と瑶子女王殿下
真珠?のネックレスを付けていらっしゃる久子妃殿下。
その後、
天皇陛下が信子妃殿下の方をご覧になり、目配せを・・・・
それを合図に、信子妃殿下始め女王殿下方はお辞儀をされます。
皇后陛下が天皇陛下に一礼なさっても、そのまま立ち尽くされる敬宮様。緊張なさっておられたのでしょう。シロガネがこういう事があるかも知れないと、危惧していたことが起きてしまいました。
皇嗣妃殿下の後ろにおられたら・・・・
佳子内親王殿下の後ろにおられたら・・・・きっとこんな事にはならなかったでしょう。
敬宮殿下を天皇にと頑張っていらっしゃる人達はスルーしていらっしゃるようですが・・・・この人達は本当に、本当に、
◆映画・細雪◆より
鶴子
◆映画・細雪◆より
鶴子
「幸子ちゃんは優しいな~~」
幸子
「おおきに💢」
内心はきっと・・・・
「あああ・・・・ヽ(´Д`;)ノ」
「ううう・・・・(゜゜;)」
もし悠仁親王殿下が同じ事をされたら、それはもう罵詈雑言の嵐でしょう。
『シャキン』
「この◯◯害虫が💢」
「◯◯するぞ💢」
あぁ目に浮かぶようです。
実の御両親でも公の場では、天皇皇后両陛下です。敬宮殿下は公と私をしっかりと学んでゆきましょう。若い頃の失敗は何事も後々の力になるのです。
石井朋晶 『孝子・萬寿姫』
さすが両陛下の愛娘よ、と人から言われるような、ご立派な内親王様になられる事を願っております。
昨年の新年祝賀の儀
眞子夫人は昨年、皇嗣になられた父宮とその妃になられた母宮にキチンと一礼をなさいました。
松本一洋 『瀧津瀬』
~♪君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巖をとなりて 苔のむすまで~♪
山田喜作 『月琴』
その日の夕方に両陛下と敬宮殿下は高輪の仙頭仮御所へ行幸啓。その光景をテレビで見た時、シロガネは・・・・
鏑木清方 『花見幕』
「えーーー?!」
となってしまいました。
注・実際のシロガネはこんな姿デス。
正式な御料車に例え愛娘といえども、仮にも成人を迎えられた、
敬宮様を真ん中に両陛下は三位一体
なんという事でしょう!浅はかな!!高輪まで窓を開けられていたのでしょうか?天皇陛下が御風邪を召されたらどうするのですか!!
ましてや・・・・
こういうご時世です。東京ではオミクロン株の感染者が確実に増えております。こういう時だからこそ、密は避けるという模範を両陛下は示すというのが、正しいなさり様ではないのでしょうか?
伊藤小波 『もも咲く頃』
追記 ヘカテーさんのブログを見ましたら、大人三人という例は有りました。これはシロガネの知識不足でした。
お恥ずかしい事です。
ただローブ・モンタントを御召しになられる位の正式な行幸啓の場合は、やはり、御料車は両陛下御二人で、敬宮殿下は後ろのお車に乗られる方が正しいとシロガネは思います。上皇両陛下譲りのマイホーム主義(私)も大切ですが、天皇皇后両陛下としての威厳(公)も大切です。
・・・・必要なティアラは身に付けず、密は避けなければならないのに、両陛下はそれを無視なさっておられた。
北野恒富 『五月雨』
「東京と地方の意識の差でしょうか?」
高輪仙洞仮御所へ参内される悠仁親王殿下。若宮殿下のこのお姿をみたときに救われた思いでした。素晴らしい✨✨
山田喜作
「良かったです」
あっ!羽織袴は武家だけの衣装ではありません。又外野がとても騒いでおりますので説明します。
鏑木清方 『春雪』
羽織袴は普通に皇族や公家の子供も着ておりました。
幼少の閑院宮載仁親王の羽織袴姿(明治5年頃の撮影)
この時に撮影された閑院宮邸で家臣一同と載仁親王
幼少時の梨本宮守正王の羽織袴
五摂家の筆頭である近衛家の若君、近衛家篤麿の羽織袴姿(明治8年撮影)
橋本家(皇女・和宮の母方の実家)の若君、橋本実頴の羽織袴姿。(明治10年頃)
同じ時に撮影された橋本家の侍女たち。公家風の装いです。掻取を着用しておりますから、若君の羽織袴が私的なものではなく、ある程度の正装というのが、分かります。
照宮様と東久邇宮盛厚王のご婚儀の写真
戦時下の昭和18年の時の際の装いですから、大分違うかと思いますが、羽織袴が決して宮中で正装として着用されなかったものではないと分かる筈です。
その9年前の皇族の披露宴の時には、こうでした。
竹田宮恒徳王と三條光子姫との披露宴の際の写真(昭和9年)
時代や時局により皇族の装いは変わるものなのです。
竹田宮両殿下はご存知、竹田氏のお祖父様とお祖母様です。
以前も羽織袴の事は書きましたが、又改めて書きます。
武家の未成年の正装は裃(かみしも)に振袖です。裃は皇族や公家は着用しませんでした。
安田靫彦 『森蘭丸』
この頃は肩衣と呼ばれておりました。
高畠華宵 『万寿姫』