清宮様のご婚儀の時の昭和天皇と香淳皇后(昭和35年3月)
香淳皇后 《昭和50年》
~義宮妃選考の主役は、皇后さま~
ここに“義宮妃選考の重要なポイント”にふれた新聞記事がある。
《義宮さまが、ご結婚後、皇室の国際親善の面で、果たさなければならない重要な役割。さらに皇太子妃が一般民間から選ばれたことによって、もたらされた新しい皇室のあり方との調和の二点。これが義宮妃選考の重要なポイントであった》(39年2月21日・読売新聞)
美智子さまが民間の出であるためもたらされた「新しい皇室のあり方との調和」とはいったいどうゆう事か━━
それについて、古賀軍治氏に説明してもらおう古賀氏は、6年前まで学習院の教授を勤め、義宮妃選考委員の東園侍従も津軽義孝氏(華子さまの父)も、また華子さまも教え子。それだけにハッキリとものを言う。
「敗戦の翌年の正月、天皇さまが“人間宣言”をなさった。戦後、皇室は非常に変化したように見える。だが、二千年来の古い伝統が、パッと消えてしまうはずはないでしょう。そう簡単に、人間の感情、考え方、生活態度は、変えられるもんじゃない。
東宮さまのご結婚の時、民間からお妃が上がったということで、世間は大変な騒ぎようでした。私も心から祝福申し上げた。
しかしその笑顔を送る人たちばかりではなかったんだな。東宮さまのお妃候補は非常にたくさんいた。幼い時から、“これは東宮さまのお妃”と札をつけられ、その為に生まれてきたような“しつけ”を受け、育てられた貴族の令嬢もいたわけです。この人たちは、ことばはヘンだが、まあ、裏切られた思いになったでしょう」
それに皇族、華族同士には、口を聞かなくとも通じあう連帯感、同族意識のようなものがある。これは一般民間人にはわからない。感覚的に違うからだ。
「そうした特殊な世界へ、美智子さまが入って来られた。これは大変な事ですよ。
これまでの皇室、華族の保ってきた古いものと、どう“調和”するかですねえ。
美智子さまは皇室に入られる前、あの聡明な頭で、考えぬかれたでしょう。だが、一般市民には考えもおよばなかったような事が、まだまだ、たくさん皇室にはあったわけです。
例えば正田家へご夫妻で里帰りされる。これは従来の皇室には絶対にないこと。
皇室に新風を吹き込んだと拍手する人がいる反面、皇室の威厳が薄れたと考え、非難する人も出てくる・・・・」
ご結婚直後、ご夫妻は“こどもの国”を作る為、いろいろ努力なさった。国民のほとんども拍手を送った。しかし反発もあったという。
「つまり、いままでない事を立て続けにやってのけるものだから、まわりの人たちは戸惑い、冷たい目を向ける。皇室というところは難しく、複雑極まりないところだから・・・・」
やがて旧華族の人びとは、
「義宮様のお妃だけは、民間出の娘さんではなく、しきたりを理解し、守ってゆく旧宮家か、華族の令嬢を・・・・」
と言い出した。
・・・・・省略
「某宮さんが、“今度こそは旧華族から”といって、力を入れておいでのようでしたね」
と、古賀氏も言う。
(シロガネ注・その某宮様というのは・・・・高松宮喜久子妃殿下らしいですよ。いろいろな方の御縁組みの仲立ちをされていらして、晩年は紀宮様のご結婚を最後まで気にかけてらしたのは有名です)
高松宮喜久子妃殿下
そして最後に、こうつぶやいた。
「私は華子さんが妃殿下に決定したあと、華子さんに申し上げたんです。“あまり、必要以上に自己主張をし、改革するような行動は、つつしまれた方が良いでしょう”とね・・・・」
古い伝統と新しいものとを調和される難しさ。これを知ると、義宮妃の候補にあげられた民間出の令嬢の親たちは恐れた。
「美智子さまでさえ、あのように苦労されているのだもの。到底、うちの娘は・・・・」
逃げるように固辞してしまう。━━最初に「民間の令嬢を」と考えていた侍従の村井長正氏が、義宮結婚後に辞職したのは、「選考途中で辞表を出し、“ご結婚まで待て”と言われていた」からだと、ある人は断言する。
ご結婚前、青森にお越しになられた華子さま
《義宮妃選考の主役は、皇后さまだった。
(昭和)36年4月のこと。東京高輪の光輪閣の裏手、高松宮妃が主催されるシルク・ギャラリーで、ファッション・ショーが行われた。(略)だがこのショーこそ、じつは皇后さまの大胆な義宮妃探しの演出だったのである》(昭和39年2月29日・読売新聞)
このショーを垣間見た某氏は、その日の事を回想して、
「予定されていたプロモデルではなく、急に5人の令嬢が呼ばれました。・・・・省略
ご覧になられるのは皇后、秩父、高松、三笠の各宮妃。特別な照明も、音楽も、解説者もなく、光輪館の一隅で令嬢たちはドレスを着て歩かれると、『後ろを向いてご覧なさい』というように、お声をかけられたりして。
皇后さまはブルーのスーツにお帽子をかぶり、大変楽しそうになさっておいででした・・・・」
《このショーのスター、つまりもっとも義宮妃に相応しいお嬢さんはYさんだった。キラキラする瞳の明るさ、気品ある身のこなしは、皇后さまがその場でほとんど決心してしまうほどだった(略)ところが、義宮さまと天皇はこの令嬢が気乗りされない。それは「血続き」という、お二人がもっとも気にかけられた理由だからだった》(同日・読売新聞)
確かにYさんは美しい。だが彼女の母と義宮は又いとこ同士であった。
岡並木記者の取材メモには
《9月15日━━Yさん本命。ほか5人の候補者あり》
《9月19日━ー某侍従談。「決定は来年後半になりそうだ。ある程度候補者を絞ったが、打診までいかない」》
《9月22日━━これまでの調査が厳し過ぎたようだ。これからは点数を落として選考範囲を広げる。美人の方がいいが、白痴美は困る。
頭が良すぎても、かえってマイナス面が出てくる。聖心は避けたい》
《10月30日━━ある皇族談。「Yさんは本命ではなくなったようだ。しかし私はYさん以外ないと思う」皇太子さまが積極的に動かれている》
「結局、お妃選考は暗礁に乗り上げ、一時タイムになってしまったのです。38年の秋になっても、決定が見えて来ない。こちらも業をにやし、“お妃取材班”は、解散ということにしたのですよ」
岡並木記者は、そういって肩をすくめた。その頃選考委員の東園侍従は、記者たちの前で口ぐせのようにいった。
「適当な方はいませんね」
紫の紋縮緬地に菊と桐文様の絞りの訪問着姿の華子様
《義宮さま、津軽華子さんとお見合い!》
昭和39年2月21日朝刊。朝日新聞は他社を押さえ、この事実を書いた。スクープだ。
「じつはある情報綱をキャッチしましてね・・・・」
岡並木記者は、そこで口をつぐみ、やがて、
「もう亡くなった人だから、差し支えないだろう」
と呟いて語ってくれた。
「あれは当時の首相、池田勇人氏が、社の幹部にそっとささやいてくれたネタなんです。“義宮妃は、津軽さんのお嬢さんに決まったよ”ってね・・・・」
解散していたお妃取材チームは、緊急命令で麻布のホテルに集合。
「津軽の令嬢?それでは華子さんか?!」
白地に枝垂れ桜の訪問着姿の華子様
候補者カードを出して見ると、津軽華子さんは“D”のマークが付けてあった。A=有力 B=かなり有力 C=普通D=万が一。
この順番だったのだ。
読売新聞社では、お妃候補どころか、華子さんをアルバイトとして使って、お妃候補者の取材をさせていたという。
津軽家には男子がなく、姉妹ばかり。三人のお姉さんは他家に嫁ぎ、末娘の華子さんが婿をとって津軽家を継ぐものだと思われていた。それでどの新聞社も、有力視していなかったわけである。
“朝日”のスクープから8日目、皇室会議は正式に義宮と華子さんの婚約を決定。翌29日に華子さんはご両親ともに各宮家に挨拶にまわった。
午前10時25分、まず東宮御所へ。この日、美智子さまはイランから買ってこられた、あのビーズのハンドバックを約束通り、“義妹”になる華子さんに贈った。
それはイランで買った日から、じつに4年に近い年月が流れていたのである。
紺のノースリーブのワンピース。
~プリンセス・モード~
森英恵
ご婚約発表以来5ヶ月、洋服をお作りしましたが、華子さんの明るい健康さ、気品あるお人柄がにじみ出るよう心がけました。シンプルなものがお似合いで、ご自身の魅力を知っていらっしゃる。着こなしが楽しみです。
ご婚儀を前に最後の墓参へ行かれた華子さま
華子妃殿下と同じシンプルなデザインなのにちっとも評判が良くなかったのが皇后様ご婚約のお召しもの。
不思議だな~~。
まあいいや。それより、華子妃殿下はまるで『花の子ルンルン』です。
『花の子ルンルン』 堀江美都子
ルルルン ルンルン
ルルルン ルンルンルンルン
幸せをもたらすと 言われている
どこかで ひっそり咲いている
花を探して 花を探しています
コスモスは 帽子が似合い
タンポポは お昼寝まくら
アカシヤの アーチ抜けて
歩いて行きましょう
私は花の子です 名前はルンルンです
いつかは あなたの住む街へ
行くかも しれません
ルルルン ルルルン
ルルルン ルンルンルンルン
七色をめじるしに 今日もまた
知らない街から 街をゆく
花を探して 花を探しています
カトレシアは おしゃれな婦人
ひまわりは いたずらさかり
菩提樹に 祈りを込めて
歩いて 行きましょう
私は花の子です 名前はルンルンです
どこかで あなたとすれ違いがう
そうゆう気がします
ルルルン ルンルン
ルルルン ルンルン
ルルルン ルンルンルンルン
白バラは 優しい悪魔
ひなげしは おしゃべりが好き
ねむの木に おやすみ告げて
歩いて 行きましょう
私は花の子です 名前はルンルンです
もうすぐ あなたの友だちに
なれると 思います
ルルルン ルルルン
ルルルン ルンルンルンルン
常盤松の御所に到着された常陸宮両殿下
久子夫人
「まぁこれで親の務めを果たしたという安心感が・・・・」