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浅見松江画
10月とは言っても変に暑くなったりして大変ですね。何かの天地転変の前ブレでしょうか?心配です。でもあぁ~~🎵体調も良くなって、やっと大河ドラマ『光る君へ』が書けます。
当ブログを読んで下さっている方々は以外に思うでしょうが、シロガネは雅で華やかな平安時代が大好きなのですよ!
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・・・・何時も令和の皇后様の御(お)み御顔をアップをして、品性なく楽しんでいるばかりじゃありません。
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上皇后様の卒寿のお誕生日に行かれる皇后様。
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(公式写真)心臓が止まるほどの美貌の皇后様。何故こんな○○に?それが○○?
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「あわわわ・・・・何故?こんな恐ろしいお姿。きっとそれは・・・・」
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あっ!何時ものごとく品のない暴走をしながら書き進めます。
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荻生天泉(おぎふてんせい)《清少納言》戦前に出版された『教訓名画集』より
とうとう生ける”光る君“こと、一条天皇が崩御されました。
一条天皇のイメージは瀬戸内寂聴先生の和泉式部を主人公にした小説や永井路子先生の『この世をば』等でした。でもそのずっと後に山本淳子氏が書かれた『源氏物語の時代一条天皇と二人の妃たちの物語』を読みまして、目から鱗が落ちる思いでした。新たな視点でこの時代を書かれていてとても分かりやすかったです。その本自体は実家に置いたままになっていまして今読み返せません。(涙)
一条天皇が崩御して大河ドラマ『光る君へ』は事実上はこれでお仕舞いであります。だって式部と道長達の中年二人のアレコレを見ても、大して面白いとは思いません。それでも何故かドラマは続けるのです。だってそれは~~🎵
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・・・・ここからがシロガネの妄想劇場
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《あさきゆめみし》の桐壺帝と桐壺の更衣
一条天皇は崩御する前自ら起き上がり、側にいる中宮彰子に・・・・
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織田観潮(おだかんちょう)《かぐや姫》
藤原道長の《御堂関白記》
『露の身の 草の宿りに 君をおきて 塵を出でぬる ことをこそ思へ』
藤原行成の《権記》
『露の身の 風の宿りに 君をおきて 塵を出でぬる ことぞ悲しき』
そう遺詠を詠んで翌日に一条天皇こと・・・・
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“光る君”は月に帰り月明かりとなって後に遺される人々を見守っていったのです。
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“光る君”は月に帰り月明かりとなって後に遺される人々を見守っていったのです。
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講談社絵本 織田観潮 《かぐや姫》
それから最後の場面は・・・・60年以上の年月が夢の如く流れ、上東門院と呼ばれる女院となった80代の彰子。王家の長。この時代には斜陽とかしている藤原摂関家の事実上の長ともなっている尼姿の彰子が月を見上げながら、側に寄り添う弟の藤原頼道の嫡男・師実の正室となっている京極北政所こと姪の源麗子に・・・・
晩年の上東門院のイメージは故京マチ子さん。
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大河ドラマ『元禄繚乱』での京マチ子さん
「式部はな、一体誰が“光る君”なのだとは決して誰にも言わなかった。多くの者達はのこの方こそ、光る君じゃと、言うておったものじゃ」
「でもな・・・・わらわには一条院こそが唯一無二の光る君なのじゃ。麗子や、ご覧。今宵も月の光となられた院が、わたくしをお見守りになられておられる」
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・・・・月を見ながら麗子にそう語った、上東門院彰子は静かに眼を閉じました。以上大河ドラマ『光る君へ』完。・・・・現在なら三田佳子さんが適任でしょう。
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ところで源麗子って誰?でしょう。高松殿と呼ばれた道長のもう一人の妻、源明子の孫娘です。明子の末娘で藤原尊子の娘。ドラマでは最初は明子女王と呼んでいてそれは違うじゃないかと思いましたが。
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市川森一脚本での『花の乱』。主人公日野富子役の三田佳子さんも素晴らしかっです。当時リアルタイムで見ていた旧き良き時代の大河ドラマです。足利義政の母、大方様こと京マチ子さんの演もまことに素晴らしかったです。
当時世界的な大女優とは全く知りもしませんでしたが、とにかく言葉も袿姿で座る姿も、装束のさばきかたも美しくて、目を見張りました。ことに長袴姿で歩かれる姿。当時から綺麗だなと思っておりましたが、CSで再放送された時、改めてそう見ました。
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お茶を飲まれる姿も美しい
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狂気に駆られたお姿も見事。このお方は第一話でも思いましたが、長袴姿で地に付かず宙で歩かれているんじゃないかと思うほどの舞を舞うような美しい歩き方でした。
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そのお姿・・・・
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こういう美しき時代言葉をつかう俳優さんも女優さん達は令和の大河では想像も出来ないでしょうね・・・・。
今参局を罠に嵌めるお大方様
物狂いになる大方様。
若い役者はこうゆう時代言葉や目で語るようにした方がいいです。
源麗子と名を読まれた方であ!とピンときたら貴方は相当な源氏物語のファンです。同じく源氏物語のファンだった従一位京極北政所こと源麗子が自ら源氏物語を書き写していなかったら、間違いなく源氏物語は後世残っていなかったでしょう。麗子が源氏物語の写本を書き終えた後の歌
「源氏の物語を書きて奥に書き付けられて侍りぬ
『はかなき 鳥の跡とは 思ふとも わがすえ\\は 哀れと見よ』」
と詠んでいます。つまりはこの源氏の写本はどうか、わが子孫まで伝えて欲しいと願っております。実はまだ当時は女性の書く物語は「女子供の手慰み」等と思われて、その地位は高くはありませんでした。
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橘小夢《夕顔》
その為に当時多く書かれた物語は題名だけが残って散ひつして、かなりの長編物語も全く残っていなかったり、又『夜の寝覚』や『浜松中納言物語』も一部が残っていません。
『源氏物語』もその運命にあったのですが、麗子が写本を残してくれたお陰で平安時代の後半には聖本と言われるくらいの地位を確立したのです。
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三田佳子さんのナレーション
「・・・・京極北政所こと源麗子様が書き写された源氏物語の写本は、後に『従一位麗子本』と呼ばれ代々藤原摂関家に大切に伝われて参りました。しかし、かの応仁の乱のおりに、写本は焼失してしまい、現在は“その名”のみが伝われているばかりでございます」
『花の乱』のテーマソングは大好きです。応仁の乱の火付け役の一人、日野富子役を演じられた三田佳子さんが語るとなると感慨深いものがあります。
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宮田雅之氏の切り絵
ドラマの最後に必ず切り絵が出て来るのでこれも毎回楽しみでした。ところで、現在大河ドラマでは数々の雅な装束のせいで、衣装代がとんでもない額になっているようですが、仕方がありません。
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復元模写《源氏物語絵巻・宿木二》
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復元絵巻のなかでもっとも華麗な場面です。
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仕方がないことですが、華麗な色彩はましてや装束は金がかかるのです。
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《ふぶきの部屋》のふぶきさんも書かれていましたが、一条天皇と定子と彰子軸にした大河ドラマでも良かっと書かれていました。リアル源氏物語そのものですからね。シロガネも同感です。
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浅見松江 画
一条天皇は光源氏・皇后定子は藤壺 ・中宮彰子は若紫(紫の上)・敦康親王は光る君
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浅見松江 画
後半の主人公達は・・・・一条天皇の長女修子内親王は浮舟・道長の嫡男藤原頼道は薫・道長のもう一人の妻、源明子の長男藤原頼宗は匂宮・敦康親王は今度は浮舟の弟の小君?
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「ええーっあっ敦康様が浮舟の弟の小君?!では空蝉の弟の小君と同じ役割に?つっつまり敦康様は愛する女性の形代として二人の貴公子に❤️」
かの大河ドラマ『平清盛』みたいに・・・・
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頼道(藤原頼長風に)
「おいで・・・・敦康様。せめて あなただけは 側にいておくれ」
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頼道(藤原頼長風に)
「あのつれない人のかわりに・・・・」
そして敦康親王は頼道と同居生活に。(史実です)
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敬宮殿下
「はぁ~~❤️もう~~ヤバイ ヤバイ」
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セリフは『あさきゆめみし』より。
恋する女性がつれないのでその代わりにその面影を宿す弟を愛する。そんな腐女子が喜びそうな話が『源氏物語』にはガッチリ書かれています。
源氏物語の冒頭
「いづれの御時にか、女御更衣あまた 侍ひ給ひかけるなかに、いとやむごとなき きはにはあらぬが、すぐれて時めき給ふ、ありけり」
(いつの御代でしたか、女御や更衣が賑々しくお仕えしておりました帝の後宮に、それほど高貴な家柄でもないのに、誰よりも愛され、優遇されていらっしゃる更衣がありました)
瀬戸内寂聴訳『源氏物語・桐壺』それをまさに地でいった一条天皇と皇后定子夫婦の忘れ形見なのです。源氏物語並みに何があってもおかしくありません。うん!リアル『宇治十帖』の完成です。
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だって一条天皇が亡くなる時は修子内親王は15歳位。当時は結婚適齢期です。敦康親王の立場を考えれば道長の嫡男である頼道の元へ、修子内親王を降嫁させれば良いのにそれをしなかったのが謎ですよ。
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柿内青葉《みどり葉のかげ》(柿内青葉のこの絵の題名は長い事分からなかったのですが『鏑木清方の系譜―水野年方から清方の弟子たちへ―』の本でやっと分かりました\(^-^)/)
いくら当時は高貴な姫宮は独身を通すのが慣例でも、立場が立場ですし(母方の後見が弱い)万一敦康親王が天皇となれなくても、修子内親王が頼道の正妻となっていれば、道長達が当然後見人になってくれるでしょう。普通ならそうするべきだったのにそれをしなかったのは、実は修子内親王は・・・・
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《あさきゆめみし》の浮舟と匂宮
高松殿腹の頼宗のことが好きで二人は相思相愛の仲であったかも知れません。だって、父一条天皇が崩御してすぐに叔父の藤原隆家の自邸に移ってしまうし。
頼宗は一つ上の兄頼道への対抗心もあり又美男で歌人でもありましたが、女性関係も激しかったようです。紫式部の一人娘、藤原賢子も関係があったようです。
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《あさきゆめみし》の中の君
それと、没落した藤原伊周の長女、名は“伊子”らしいのですが、その伊子を正室として迎えています。ということは修子内親王とはかなり関係が近くなったということに。この出来事は八の宮の次女、中の君がモデルと言われる所以です。
(ただ正室の伊周の長女との仲は良かったようで、二人の間には6人の子宝に恵まれ、正室として重んじられます。三人の娘はいずれも長女は小一条院の妃となり“院の上”と呼ばれます。他の二人は御朱雀天皇や後三条天皇の女御になっております)
・・・いくら美男で和歌も上手くても、女性関係が酷く、近眼で夜内裏で転んでしまい周りから笑い物の種となった頼宗を何故?あの才気活発で学識深い皇后定子と一条天皇の一の姫宮である修子内親王が惚れ込むなんて。
まさに平安ラブサスペンス劇場。
二人の秘密の関係は父である一条天皇始め清少納言達も理解出来なかったでしょう。でもそんな理解出来ない出来事は千年の後に嫌と言うほどシロガネ達は見聞きしました。あえて書きませんが。それはもうトラウマ級。
「コムロさ~~ん」
「止めるんだコムロさ~~ん」
・・・・現在の大河ドラマの中では、育ての親である中宮彰子に対して光る君ばりに敦康親王が恋心を抱いている様子ですが、低レベルな脚本家が書きそうなことです。
平安時代ものはその時代が大好きで、もう専門家並みの知識力がある人が脚本を書けば良いのです。全くどうせなら一条天皇の死後は修子内親王と頼道と頼宗との道ならぬ三角関係を軸に『宇治十帖』風に描けば良いのに。
相思相愛の姫宮と頼宗でありましたが、頼道の方も何かの拍子に修子内親王を垣間見て恋心を抱いてしまうのです。
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浅見松江《女三の宮》
しかし当然ながら姫宮はつれない。
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でもすでに正妻もありながら、浮気者の頼宗より誠実な頼道に対して何時しか、姫宮の心の中には恋が芽生えてしまうのです。もう・・・・浮舟状態。
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《あさきゆめみし》の浮舟
頼宗を思いながらも・・・・頼道もどこか我が胸の内に恋心として思ってしまう姫宮。そんな姉宮達の恋に巻き込まれた弟の敦康親王の悲劇とその若き死。
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高畠華宵 画
最愛の弟を喪いながらもそれでも・・・・
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《あさきゆめみし》の浮舟
頼道と頼宗との道ならぬ三角関係を続けてしまう修子内親王。
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詠み人知らず
『世の中は 夢の渡りの 浮橋か うちわたりつつ ものこそ思へ』
(世の中というものは、夢の中で浮橋を渡っているようなもの。その橋を渡りながら、絶えず思い悩む)
しかしとうとう良心の呵責に絶えられず、自ら手で三人の恋を終わらせる為、ある日突然、出家してしまうのです。
「もう・・・・このような罪深き関係を終わらせなければ・・・・。父上様、母上様、御許し下さい。御二人があれだけ御心を御残し遊ばした、敦康をわたくし達によって苦しめさせ、儚く世を去らせてしまった事は、どんなにお詫びても詫びきれるものでは御座いません」
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《あさきゆめみし》の浮舟
もしかしたら姫宮も浮舟同様に苦悩の末、自邸の竹三条の宮の池に身を投げたかも。
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清少納言始め女房達に助け出された時
『生き出でたりとも あやしき不用の人なり 人に見せで 夜この川に落とし入れたまひてよ』(源氏物語原文)
『生き出でたりとも あやしき不用の人なり 人に見せで 夜この川に落とし入れたまひてよ』(源氏物語原文)
意訳
(わたくしは生きていても不用な人よ。又川に流して)
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友近老少納言
「宮様・・・・」
「宮様・・・・」
(内親王が28歳で突然出家しまうのは史実です)
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《あさきゆめみし》の浮舟
突然の姫宮の出家を聞いて、頼道は一度話し合いたいと敦康親王の忘れ形見で今は自分の手元で育てている源子女王に手紙を持たせ、叔母の姫宮の元にゆかせるのです。しかし姫宮は涙ながらも、最愛の弟の忘れ形見である女王との対面を拒否した上で、
「ただここにいるのは、名も無き尼で御座います」
と言って伝えた上、女王を帰宅させるのです。
頼道はもしや弟の頼宗がそうさせているのではないか、まてよ、知らない男が出来てしまったのではと・・・・姫宮を疑うのでした。
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以上終わり。
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平安ファンも多い世の女性達はそれらの展開に最後の最後まで大河から目が放せないでしょう。
冗談は置いといて、彰子と敦康親王の間は間違いなく、紫の上と明石な姫君との関係そのものだったでしょう。血の繋がりを超えた母と子そのものだったとシロガネは考えています。
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鰭崎英朋《生さぬ仲》
山本淳子氏も書かれていますが、彰子が本当に辛い時期にずっと側にいたのが・・・・敦康親王なのです。
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講談社絵本 布施長春《阿新丸(くまわかまる)》
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二人の立場も将来どうなるか分からない状況でしたし、不安定な立場で互いに身を寄せ支える関係であったでしょう。何せ12歳で入内して約一年後にまだ赤ちゃんの幼い若宮、敦康親王の母代わりとなって育てるのです。敦康親王の方も物心付いた時には母代わりの彰子がずっと側にいた状態でしたが、何時しか自分の母親は別にいて、もう亡くなっており、どうも自分の立場というのは結構複雑らしい。
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講談社絵本・布施長春《阿新丸(くまわかまる)》
その様な悩みを抱えるのです。一方彰子の方は周囲から崇め奉られながらも、皇子誕生を強く望まれるのです。そのプレッシャーの中で、彰子19歳の時に母の源倫子は43?歳位で何と末娘の嬉子を出産。
父の道長は日記に『中宮が母親の出産祝いを贈るなど前代未聞』てな感じで嬉々として書いておりますが、娘の彰子の心中はどうであったのでしょう。母親の源倫子の方も彰子に対して身の置き所のない複雑な心境だったのではないのでしょうか?
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口がさない女房達は40代のでも母君はお子をお産みになってたのに、うちの中宮様は未だに・・・・等と言われて、かなり苦悩していたのではないのでしょうか?そんな苦悩を抱えていた彰子の側に、
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講談社絵本 荻生天泉《菅原道真》
何時も一緒に寄り添う敦康親王。
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《あさきゆめみし》でも源氏の君の恋心に悩む紫の上にとって、明石の姫君の存在がどれ程なぐさめになったことかと、書かれています。
紫の上は心の中で・・・・
(・・・・明石の御方(おんかた)からこの姫をおあずかりしたのは・・・・まだ中宮が三つのころだった・・・・ああ・・・・まだはっきりと覚えている、 母を求めて泣く幼子の重さに その子をわたくしに託した母君の心の重さを感じたことを・・・・どんなにわたくしはこの子を愛したか そしてどんなにこの子の存在がわたくしをなぐさめてくれたことか・・・・)
実際に源氏物語でも紫の上の最後を看取るのは源氏の君でなく明石の姫君(このときは明石の中宮)なのです。
紫式部は多分、彰子と敦康親王との関係を、藤壺と光る君との関係ではなく、血の繋がりを超えた母と子の関係となった紫の上と明石の姫君として描いたのではないでしょうか?
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伊藤小坡《紫式部》
紫の上と明石の姫君と同じ位、深く結び付いた母と子の関係。だからあれだけ彰子は、一条天皇譲位の時に父道長に対して、大激怒したのです。
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勿論彰子も状態は理解してはいたとは思いますが、それでも母として、妻として自身の元で育った息子の思いや夫、一条天皇の本心を代弁しなければならない。
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それが出来るのは自分しかいない。それだけの強い思いや又父道長への反発心が、彰子にはあったのだと思います。
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そんな強い姿に成長した彰子を見守る紫式部。
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シロガネの紫式部のイメージって現在の三笠宮信子妃殿下。あのふんって感じに観察していて気位が高くて。でも実際は・・・・
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「ふふふ。あたし、一って言う漢字も知らないわ❤️」
こんな感じでおっとりと。中宮彰子も紫式部には、
「あなたと心を割ってお付き合い出きるとは思っていませんでしたけど、不思議なことに、ほかの方々よりずっと仲良くなってしまいましたこと」
折に触れて、そんな声をかけてくださったりもするものです。
山本淳子訳《紫式部日記》より。《紫式部日記》も面白いです。有名なのは、
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信子式部
「あの清少納言は、実に得意顔をして偉そうにしている人。あれ程利口ぶって、漢学を書き散らす様子も、良く見れば、未熟なことが多くあります。このように、人とは違って優れた様子になろうと思いたがる人は、必ずいずれは見劣りして、将来は悪くばかりになっていくものです・・・・以下略」
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徹子の部屋にご出演の彬子女王殿下。母宮についてはノーコメント。
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松本一様《鵺》
母と娘の関係は果たして修復出来るのでしょうか?男女の恋よりも難しいのは母と娘の関係なのかも。
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・・・・彰子も段々大人になるにつれて、さまざまな悲劇のうちにまだ幼い宮達を遺して世を去った定子の思いへの哀れみ、その原因は間違いなく、父道長であることに対して、
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講談社絵本 織田観潮《かぐや姫》
かなりの罪悪感と嫌悪感を持ったのではないでしょうか。
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彰子が待望の、御一条天皇を出産して宮中に帰ったときに『源氏物語』を美しい写本にして一条天皇への土産とするのですが、道長は紙やら筆やらを用意して、協力します。大河でもその様子は描かれていましたけど、その巻は《初音》を始め源氏が栄華を極める迄だったようです。
《初音》の巻で正月に明石の姫君の実母、明石の君が娘の明石の姫君へ歌を送ります。
『年月をまつに ひかれて 経(ふ)人に 今日鶯の 初音きかせよ おとずれもない 里から』
(長い間 ご成長を待っている私です 初のお便りを下さいまし)
明石の姫君の返歌
『ひきさかれ 年は経(ふ)れども 鶯の 巣立ちし 松の根を 忘れめや』
(長い間お別れしても 鶯は生まれた松の根を忘れません)
例え我が子を産んでも私は決して若宮・・・・敦康親王のことは見捨てません。という彰子から一条天皇へのメッセージだったのかも知れません。あぁ明石の姫君の返歌は実は敦康親王の自身の歌だったかも。
「式部、若宮がこんな歌を読んだの、この歌を物語に入れてくれない」
なんて中宮様から言われて式部は物語に書き入れたかも。でもその歌は式部の一人娘でちょうど明石の姫君と同じ年頃の賢子だったかもしれない。色々と妄想が広がりますね。
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上村松園《伊勢大輔》