気仙沼復興印刷隊

震災で失った街を再生するために、

復興に向けて印刷会社ができること

印刷物発注を被災地にパート2!!

2012-09-24 23:10:34 | インポート
印刷物発注を被災地にパート2!!

選挙を目前に準備をする、
全国の議員候補の新人及び現職の議員の皆様!

選挙ポスター、名刺、チラシ、DM、名簿、看板等の制作承ります!!

震災地を通して印刷物を発注していただくことが復興につながります。

印刷物発注支援をお願いします。

Print order to the disaster area!

気仙沼復興印刷隊 こと ㈲阿部印刷
abeprint@alpha.ocn.ne.jp
宮城県気仙沼市八日町2-4-1
電話0226-22-0430
fax 0226-24-1929


支援という仕事をください。印刷物発注を被災地に!

2012-09-24 22:28:56 | インポート
全国の企業経営者の皆様、NPO他団体の皆様、デザイン事務所の皆様。

支援という仕事をください。印刷物発注を被災地に!

被災し、復興を目指す宮城県気仙沼の印刷会社です。名刺、封筒、伝票、パンフレット、DM、チラシ、包装紙、パッケージ、シール、ポスター他なんでもやります。お客様と設備を失い、会社の運営が厳しいのです。解雇した社員を戻したいのです。
当社で発注後は、全国の印刷会社が協力していただき製品を完成する仕組みはできています。地元の同業者ができる仕事は、地元に発注します。データ持ち込み大歓迎!!

震災地を通して印刷物を発注していただくことが印刷業の復興につながります。

印刷物発注支援をお願いします。

気仙沼復興印刷隊 こと ㈲阿部印刷
abeprint@alpha.ocn.ne.jp
宮城県気仙沼市八日町2-4-1
電話0226-22-0430


写真は震災後の昨年7月、神奈川県トラック協会から注文を頂いたステッカー。
<ahref="http://abe0430.blog.ocn.ne.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2012/09/24/268142_134184386667916_7882543_n.jpg" onclick="window.open(this.href, '_blank', 'width=720,height=264,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false">268142_134184386667916_7882543_n
小さく「このステッカーは気仙沼復興印刷隊で作成しました」と説明書きを入れさせてもらいました。




ニコニコニュース後編がダイジェスト公開

2012-09-21 04:34:08 | インポート
ニコニコニュース後編ダイジェストhttp://news.nicovideo.jp/watch/nw371912
280059l

2011年4月末。阿部さんは気仙沼で被災した印刷会社4社(双葉印刷株式会社、有限会社愛隣オフセット印刷社、有限会社須田印刷、菅原印刷)に声をかけ、無料の地元情報紙『週刊気仙沼復興マガジン』を創刊することを決めた。この頃、ようやく新聞折込が再開された時期だった。

(中略)

「そんなにお金にならないことをしていて大丈夫なんですか」

 インタビューの途中、筆者はたまらず阿部さんに聞いた。
 
「お金の面で言えば、正直言って苦しいです」

 阿部さんは机の引き出しから書類の束を取り出すと、筆者に見せてくれた。それは県に対して出す補助金の申請書だった。

「いろんな補助金制度の申請を出したんです。だけどすべてはねられちゃったんですね。従業員を一人雇用すると220万円の補助金が出る制度の申請も出しましたが、それもだめ。申請を出すときに『他のなんらかの補助金制度を通っていますか?』と聞かれるんです。『ないです』と答えたら、『それじゃあダメですねえ』と通りませんでした」

 国が行なっている「中小企業等グループ施設等復旧事業」への申請も何度も行なった。この制度は被災した業者がグループを作って申請するもの。施設の復旧にかかる費用の4分の3を国の補助金でまかない、残りの4分の1を事業者が負担するというものだ。

「何回も書類を作りなおして申請したのですが、すごい競争率なんです。結果的に通ったのは、自動車関係、水産関係、お菓子屋さんのグループ、観光関係と4つの業種だけでした。それ以外の一般事業所や小売店は全部はねられちゃったんです。その書類の作り直し、申請のし直しで、まるまる一年かかってしまいました」

 パソコンも復旧のための設備としては認められなかったという。

「他に流用できるものはダメだと言われるんです。たとえばうちは倉庫にしている一階をまちづくりのコミュニティスペースにしたいので、家具を買いたいと言ったらダメだと却下になりました。『他に転売できるようなものは該当しない』と。県でも同じような補助事業があったので、印刷をするための機械の購入資金を申請したんです。ところが『購入しようとする機械は以前あった機械と同じものですか?』と聞かれたんです。でも、数年前に購入した機械と全く同じでなければならないなんて無理ですよ。もう売っていない機械もあるんですからね」

 さらに問題がある、と阿部さんは指摘する。

「設備を購入するための前金が出るわけではないんです。まずは自分が払って立て替えて、その領収書の金額に応じて補助を出す仕組みです。その上、見積書も請求書も、すべて最初に提出した見積書どおりのものでないと申請も通らないんですね」

 補助金を受けとるためには、被災者が自己資金を用意しなければならない。しかし、銀行から融資を受けようにも、津波によって流された設備のローンがまだ残っている。6年前に設備した1階工場の設備のローン残高は8千万円。震災後は「払える時でいいから」と返済猶予を認めていた銀行も、この9月からは「利息だけでも払ってほしい」と言うようになった。そんな状態では簡単に新規の融資をしてくれないのが現実だ。

「実際のところ、自己資金がいくら用意できるかを設定して、その資金×3で予算を出さなければならないんですね。申請書にしたって、データを事細かくエクセルのデータにして下さいと言われます。一緒に申請したグループのメンバーのなかには、わざわざパソコン教室でエクセルの講座に通ってまで申請書を作った人もいます。それでも申請が却下される。補助金制度は国が復興予算として捻出したものであることはわかるし、ありがたいです。けれども、被災地の事業者は『必要なもの、欲しいものが買えない』状態なんですよ」

そこそこ週刊・畠山理仁 「Vol.053 「復興? もういいでしょう?」は本当か?【後編】」より







ニコニコニュースの取材

2012-09-17 09:20:08 | インポート
<「復興? もういいでしょう?」は本当か? 津波で被災した一階部分はいまだ通電せず>
Photo
「復興、復興、復興。でも、1年半も経つと、被災地以外では『復興? もういいでしょう』となってしまうんでしょうね……」

 そうため息を漏らすのは、宮城県気仙沼市で印刷業を営む阿部孝市さん。阿部さんはこの地で昭和元年から続く「阿部印刷」の3代目だ。震災前の同社は、地元商店街の人々の名刺や年賀状、新聞折込チラシから公共機関の印刷物まで、手広く引き受けてきた。

「高台にある自宅は物が倒れた程度ですみましたが、3階建ての自社ビル1階部分は全てやられてしまいました」

 2011年3月11日午後2時46分。阿部さんは気仙沼市の同社ビル(鉄筋3階建て)の1階事務所で、いつもの金曜日と同じように当座決済の確認作業をしていた。

 小刻みな横揺れが始まると、そのうち立っているのもやっとの大きな揺れがきた。机の上に置いた飲みかけのコーヒーはこぼれ、机を汚した。揺れは1分ほどで収まったが、街中が停電するのがわかった。防災無線から「6メートル以上の津波」に備えて避難するよう放送があると、阿部さんは社員を高台に避難させた。

「ところが高齢の社員さんが1人だけ逃げ遅れていたことに気づき、私はその社員さんと会社に留まることにしたんです」

 気仙沼の中心商店街にある阿部印刷は海から1キロほど離れている。阿部さん自身、当初は床上浸水程度の想定しかしていなかった。

 ところが水が流れてきたのは海とは逆の方向。下水のマンホールを押し上げた水が先に事務所に押し寄せると、あっという間に海から流れてきた水と合流し、一瞬で2mほどの高さまで浸水したという。

「津波は1階事務所のガラスを破って、印刷部、製本部がある1階部分をすべて飲み込みました。印刷機や断裁機は重い大型機械なので、ほとんどが1階にありました。6年前に工場を拡張したばかりで、印刷機4台、断裁機2台、製本機10台、コンピュータ6台、車2台など、総額3億円ほどの設備が津波に持っていかれたんです」

 パニックになった阿部さんは、古い売上帳、決算書、完成したばかりの印刷物とレジにあったお札2万円の4点だけを持ってビルの3階まで駆け上がった。しかし、当座決済や未払金の支払い用にかき集めた現金はカバンごと流された。私物でいえば、YMOのレアなDVDやクレージーキャッツの映画パンフレットも失ったという。

 裏の駐車場に停めていた愛車・ティーダが津波で流されていくのも見た。1階店舗のドアが破壊され、書類ケースや机が流れていくのも見た。セコムのアラームがけたたましく鳴り続け、自動車がクラクションを鳴らし続けながら流されていくのも見た。

 20分ほどして津波の水が引いてから阿部さんが1階事務所に降りると、印刷機の中からは生きた魚が出てきた。6年前に購入し、ローンの返済がまだ残っている高額な4色印刷機も完全に水没していた。

「一番驚いたのは、事務所から1キロメートルも離れた場所から大きな畳が流れ込んできたことです。重くて片付けるのが大変でした。どこからか位牌も流れてきましたし、封筒に入った100万円も流れてきました。お金は封筒に名前が書いてあったので、無事に持ち主に返すことができましたけれど……」

 阿部さんはその日、自宅にはどうやって戻ったのか、あまり記憶がないという。ただ、自宅について一息ついた頃、海の方から爆発音がし、煙と油の燃える臭いを嗅ぎ、夕方の気仙沼湾が赤く染まったことは覚えていた。

 あの震災から1年半。阿部印刷の前に立つ街路灯は、いまだにビルにもたれかかったままだ。ドアを入れ替えた事務所1階部分の窓には「2階にて営業再開しております」「気仙沼市復興祈願グッズ ホヤぼーやステッカー」などの大きなポスターが貼られている。そのため表通りから見る分には、ある程度の復旧が進んでいるかのように見える。

 でもね、と阿部さんは言う。

「このポスター、ガラス全面に貼ってあるでしょう? 目隠しなんですよ。表通りから復旧が済んでいない事務所の様子が見えないように貼っているんです」

 阿部さんの案内で事務所1階の内部を見せてもらうと、壊れた印刷機や流れてきた瓦礫はすでに片付けられ、作業用の机が新たに置かれていた。しかし、床にはまだ津波で流れてきた泥の跡が残っている。1階天井部分に目をやると、天井の板がところどころ抜け、むき出しになった電気の配線コードも飛び出していた。

 現在、倉庫兼作業場として使い始めている1階には扇風機が置かれていた。しかし、よくみると電源は1階のコンセントには刺さっていない。電気が復旧した2階から、20mの延長コードドラムを伸ばして引いているのだった。

 震災からすでに1年半が経つが、いまだに行政から修復工事ための補助金は下りていない。申請は去年から何度も行なっているのに、だ。

 津波で破壊された一階部分を復旧したくても、いまだに手を付けられない。それは行政の都市計画として道路を嵩上げするという話があり、阿部印刷がその地域に入るかどうかもはっきりしていないからだ。そのため今現在も1階部分は通電していない。照明もない。空調もない。

「2階で話しましょう」

 阿部さんにそう言われて階段を上ると、天井部分には津波がここまできたことがはっきりとわかる跡が残っていた。

そこそこ週刊・畠山理仁 「Vol.052 「復興? もういいでしょう?」は本当か?【前編】」より

http://news.nicovideo.jp/watch/nw370064






ホヤぼーやカレンダー店名入予約開始!

2012-09-07 17:26:38 | インポート
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名入れカレンダー申込み希望の方は、添付してあるPDFをダウンロードして下さい。Photo


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