<「復興? もういいでしょう?」は本当か? 津波で被災した一階部分はいまだ通電せず>
「復興、復興、復興。でも、1年半も経つと、被災地以外では『復興? もういいでしょう』となってしまうんでしょうね……」
そうため息を漏らすのは、宮城県気仙沼市で印刷業を営む阿部孝市さん。阿部さんはこの地で昭和元年から続く「阿部印刷」の3代目だ。震災前の同社は、地元商店街の人々の名刺や年賀状、新聞折込チラシから公共機関の印刷物まで、手広く引き受けてきた。
「高台にある自宅は物が倒れた程度ですみましたが、3階建ての自社ビル1階部分は全てやられてしまいました」
2011年3月11日午後2時46分。阿部さんは気仙沼市の同社ビル(鉄筋3階建て)の1階事務所で、いつもの金曜日と同じように当座決済の確認作業をしていた。
小刻みな横揺れが始まると、そのうち立っているのもやっとの大きな揺れがきた。机の上に置いた飲みかけのコーヒーはこぼれ、机を汚した。揺れは1分ほどで収まったが、街中が停電するのがわかった。防災無線から「6メートル以上の津波」に備えて避難するよう放送があると、阿部さんは社員を高台に避難させた。
「ところが高齢の社員さんが1人だけ逃げ遅れていたことに気づき、私はその社員さんと会社に留まることにしたんです」
気仙沼の中心商店街にある阿部印刷は海から1キロほど離れている。阿部さん自身、当初は床上浸水程度の想定しかしていなかった。
ところが水が流れてきたのは海とは逆の方向。下水のマンホールを押し上げた水が先に事務所に押し寄せると、あっという間に海から流れてきた水と合流し、一瞬で2mほどの高さまで浸水したという。
「津波は1階事務所のガラスを破って、印刷部、製本部がある1階部分をすべて飲み込みました。印刷機や断裁機は重い大型機械なので、ほとんどが1階にありました。6年前に工場を拡張したばかりで、印刷機4台、断裁機2台、製本機10台、コンピュータ6台、車2台など、総額3億円ほどの設備が津波に持っていかれたんです」
パニックになった阿部さんは、古い売上帳、決算書、完成したばかりの印刷物とレジにあったお札2万円の4点だけを持ってビルの3階まで駆け上がった。しかし、当座決済や未払金の支払い用にかき集めた現金はカバンごと流された。私物でいえば、YMOのレアなDVDやクレージーキャッツの映画パンフレットも失ったという。
裏の駐車場に停めていた愛車・ティーダが津波で流されていくのも見た。1階店舗のドアが破壊され、書類ケースや机が流れていくのも見た。セコムのアラームがけたたましく鳴り続け、自動車がクラクションを鳴らし続けながら流されていくのも見た。
20分ほどして津波の水が引いてから阿部さんが1階事務所に降りると、印刷機の中からは生きた魚が出てきた。6年前に購入し、ローンの返済がまだ残っている高額な4色印刷機も完全に水没していた。
「一番驚いたのは、事務所から1キロメートルも離れた場所から大きな畳が流れ込んできたことです。重くて片付けるのが大変でした。どこからか位牌も流れてきましたし、封筒に入った100万円も流れてきました。お金は封筒に名前が書いてあったので、無事に持ち主に返すことができましたけれど……」
阿部さんはその日、自宅にはどうやって戻ったのか、あまり記憶がないという。ただ、自宅について一息ついた頃、海の方から爆発音がし、煙と油の燃える臭いを嗅ぎ、夕方の気仙沼湾が赤く染まったことは覚えていた。
あの震災から1年半。阿部印刷の前に立つ街路灯は、いまだにビルにもたれかかったままだ。ドアを入れ替えた事務所1階部分の窓には「2階にて営業再開しております」「気仙沼市復興祈願グッズ ホヤぼーやステッカー」などの大きなポスターが貼られている。そのため表通りから見る分には、ある程度の復旧が進んでいるかのように見える。
でもね、と阿部さんは言う。
「このポスター、ガラス全面に貼ってあるでしょう? 目隠しなんですよ。表通りから復旧が済んでいない事務所の様子が見えないように貼っているんです」
阿部さんの案内で事務所1階の内部を見せてもらうと、壊れた印刷機や流れてきた瓦礫はすでに片付けられ、作業用の机が新たに置かれていた。しかし、床にはまだ津波で流れてきた泥の跡が残っている。1階天井部分に目をやると、天井の板がところどころ抜け、むき出しになった電気の配線コードも飛び出していた。
現在、倉庫兼作業場として使い始めている1階には扇風機が置かれていた。しかし、よくみると電源は1階のコンセントには刺さっていない。電気が復旧した2階から、20mの延長コードドラムを伸ばして引いているのだった。
震災からすでに1年半が経つが、いまだに行政から修復工事ための補助金は下りていない。申請は去年から何度も行なっているのに、だ。
津波で破壊された一階部分を復旧したくても、いまだに手を付けられない。それは行政の都市計画として道路を嵩上げするという話があり、阿部印刷がその地域に入るかどうかもはっきりしていないからだ。そのため今現在も1階部分は通電していない。照明もない。空調もない。
「2階で話しましょう」
阿部さんにそう言われて階段を上ると、天井部分には津波がここまできたことがはっきりとわかる跡が残っていた。
そこそこ週刊・畠山理仁 「Vol.052 「復興? もういいでしょう?」は本当か?【前編】」より
http://news.nicovideo.jp/watch/nw370064