池宮正信さんのピアノコンサートに行って来ました
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三年くらい前かしら・・・彼女と二人で初めて聴きに行って
いっぺんにファンになった池宮さん。
今回もまた、全然計画性のなさそうなマシンガントーク(@奈良弁?)と
お得意のラグタイム、それから素敵なシューマンとラフマニノフで
すっかり楽しませていただきました。
池宮さんのお話は、いつも愛に溢れ
信仰を持たない私にはくすぐったく聞こえるはずの内容さえも
抵抗なく体に染み込んでくる感じ・・・
これはきっと、「一生懸命」信仰に打ち込む人たちの姿とは違う、
彼の生い立ちから形成された、自然なお人柄がそうさせるのでしょう。
パンフレットにもあるように、
「愛と感謝がこの社会を満たせば、おのずと人々の心は
平和へと導かれる」そういう思いでいっぱいの方だと思います。
とにかく、池宮さんのMCはそんな中でさえ面白おかしく
たくさんの感動をいただきました。
ここに今、書ききれないことが残念ですが
後日、小出しに記事にしていきたいと思います。
コンサートの後、ピエ~ルのマイミクさんたちとオフ会がありました。
「ラグオタ」とも言うべき、愛すべき面々。
ラグタイムについては全く初心者の、何のウンチクもない私が
ご一緒させていただいたことは、まことに恐縮であります。
ここで特筆すべきは、そのマニアックな会話のひとつ。
とある曲が、ものすごい早弾きだった、という話の中で
「あれは本当は、楽譜には“早く弾かないで”と表記がある曲」だそうで・・
私はそれを聞きながら、
でもきっと、全てを知り尽くした人が、その上でわかっていてやることなら
きっとOKなんだろうな。。。。とぼんやり思っていた。
(子供の絵と見まごう抽象画が、正統な学びの上にあるように・・)
そして、思ったとおりのことを、次の瞬間誰かが口にしたので
「やっぱり
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いっぺん正確に作って、崩す。
それが許されるのは、基礎があってこそ。
私の崩れた音楽は、まだまだ遠すぎる(笑)。
今日、買ってきたCDを聞いた。
子供が発表会で弾くような、初級者用の曲もたくさん入ってた。
なんて優しい、あたたかい音色。
かつて、一枚も持っていなかったピアノ曲のCDも増えるにつれ
いろんなピアニストの、いろんな音色に出会う。
(固くて几帳面な、正確で若々しい、あるいは柔らかくてまとわりつくような・・・)
今まで、「声」は大切な楽器であり、もって生まれた「個性」で「才能」だと
何度もここで書いてきた。
それは、「多少ピッチが悪くても胸を打つ」声への羨望だったかもしれない。
ピアノは同じ楽器をたくさんの人が共有できるはずなのに、
弾く人次第でこんなにも、音色が違う。
「持って生まれた」声だけど、努力していけば
自分の思い通りに磨かれる日が来るのかもしれない。
・・・ひとすじの、光が見えた。
「極める」って、なんて素敵なことなんだろう
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マニアックな仲間たちの、弾む会話で夜が更ける。
私のまだよく知らない、ラグタイムの世界を
ちょっとだけ垣間見た。
それにしても・・・
前回に引き続き、またしてもクラシックな池宮さんのCDを選んでしまった私。
ラグタイムな一枚を選べばよかったと、少し後悔。