心が疲れてしまったあなたへ、聖書の言葉をお届けしたい… そんなブログです。
『この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。」こうして彼らはイエスにつまずいた』(マルコの福音書6章3節)。イエスさまの弟ヤコブ、彼もまたイエスは自分の兄じゃないかという「思い込み」からはすぐには抜け出せませんでした。そんな弟ヤコブは共観福音書によれば生前のイエスさまの行動についてまったく理解できなかったようです。しかし弟ヤコブはイエスさまの十字架刑の後に復活のイエスさまに出会い信仰の人へと変えられ、やがてエルサレムにおける初期のキリスト教会の中心的な人物へと成長しました。歴史家ヨセフスによれば紀元62年に処刑され殉教した弟ヤコブの殺害について「キリストと呼ばれたイエスの兄弟ヤコブが石打ちの刑に処せられた」とあるそうです。初めは自分の兄イエスを救い主として見てはいなかった弟ヤコブ、しかし復活のイエスさまに出会ってからの彼は、自分を捨ててイエスさまの十字架を負う者となりました。自分のそれまでの「思い込み」を捨てて、イエスさまを兄としてだけでなく、ほんとうに心からイエスさまを救い主として受け入れたのです。やがてそんな弟ヤコブはかつての自分の「思い込み」を捨てさり、その目はイエスさまの本当の姿を見る者となり、そして後に聖書の「ヤコブの手紙」を書き記す人となったのです。
足立花畑キリスト教会YouTube礼拝
https://adachihanahata.com/reihai-youtube/
よろしければチャンネル登録もお願いします。
※キリスト教葬儀司式無料で伺います(詳しくはホームページのお問い合わせまで)
https://adachihanahata.com/
本文内容と下記広告は関係ありません。
聖書の「種まきのたとえ」の話しはルカの8章、マタイの13章、マルコの4章に出てきますから、おそらくはイエス様のたとえの中でも、外すことのできないものだったのだと思います。ではこの「種まきのたとえ」でイエス様は何を言おうとしているのでしよう。私たちの人生にも水戸黄門のうっかり八兵衛が「てーへんだ、てーへんだ」と転がり込んでくるような事が起こることがあります。でも水戸黄門のドラマはほとんどがフィクションで、実際の黄門さまはそのような全国を回って、悪を退治したわけではないと言います。でもあなたの人生に起こる大変なことを、ほんとうに乗り越えさせてくれる方がいます。その方はその大変な時にあなたがその大変を乗り越えられるようにと、信仰の種をあなたの心に今も蒔き続けてくださっているのです。良い地になるとはイエス様のこころに似てゆくこころのことです。そこには愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制という、御霊の実、つまり神の実がなります。でも実のならない他の三つの土地も私たちの心の中にあるのです。そのあなたの心の中にある実を結ばない三つの土地を耕して、良い地の地境を少しずつ広げ神の実がなるようにすること、それが神様のこころへと近づいてゆくということなのです。そして主はあなたがそうしてくれることを期待して、今日もあなたのこころに聖書を通して、みことばの種を蒔き続けてくださっているのです。ならばいつから耕しはじめますか。そう「明日からではなく」今日からはじめてゆこうではありませんか。
足立花畑キリスト教会YouTube礼拝
https://adachihanahata.com/reihai-youtube/
よろしければチャンネル登録もお願いします。
※キリスト教葬儀司式無料で伺います(詳しくはホームページのお問い合わせまで)
https://adachihanahata.com/
本文内容と下記広告は関係ありません。
私たちはついつい主の働きでも人の上に立つような働きをする人が重要だと考えがちです。しかし神の基準は異なります。それはひとりひとりに神が与えられたその分量で行えば神の御前では十分なのです。『しかし、私たちは一人ひとりキリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。』(エペソ人への手紙4章7節)少ないからと言って卑下してはならず、多いからといって誇ってはならないのです。私たちは時にはその弱さのゆえに心が揺るがされることもあります。そんな弱さを私たちが支え合うために、神はひとりひとりに賜物を与えてくださったのです。それは自分のために与えられるものではなく、誰かのために与えられる神からあなたへの贈物なのです。
足立花畑キリスト教会YouTube礼拝
https://adachihanahata.com/reihai-youtube/
よろしければチャンネル登録もお願いします。
※礼拝メッセージ・結婚式・葬儀司式無料で伺います(詳しくはホームページのお問い合わせまで)
https://adachihanahata.com/
本文内容と下記広告は関係ありません。
悪を行なう敵に悪をもって報復する時、その報復合戦は永遠に続くことを私たちは世界の情勢を見て知っています。つまりその方法では平和は築けないということです。これは無条件に停戦せよと言っているのではありません。『しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。』(マタイの福音書5章44節)。神にあって私たちが聖書に示されている愛を行う時、そんな私たちを見て「そんなのなんになるの、ほんとバカな人たちだ」と馬鹿にされることもあります。それでもイエス様はすべての敵意を、そしてすべての人の罪を引き受け、それらすべてを持って十字架へと進まれたのです。『また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。』(エペソ人への手紙2章16節)。今ほんとうにこのことを、終わらない憎悪の世界にいる人々に知ってほしいと思うのです。
足立花畑キリスト教会YouTube礼拝
https://adachihanahata.com/reihai-youtube/
よろしければチャンネル登録もお願いします。
※礼拝メッセージ・結婚式・葬儀司式無料で伺います(詳しくはホームページのお問い合わせまで)
https://adachihanahata.com/
本文内容と下記広告は関係ありません。
足掛け九年という、ほんの少しの間でしたが、携わらせていただいたキリスト教葬儀。そこには必ずと言っていいほど、キリスト者としてこの地上を生きた方の、確かな証しがありました。召されたキリスト者一人ひとりの葬儀での証しは、地上の人生を見据えながらも永遠の御国への希望を掲げるとと同時に、今を生きることの大切さを遺された者に語りかけているようでした。それは、召された方一人ひとりの「いのちの遺言」と言えるでしょう。『主はその母親を見て深くあわれみ、「泣かなくてもよい」と言われた。そして近寄って棺に触れられると、担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは言われた。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」(ルカの福音書7章13-14節)』

*『いのちの遺言』イーグレープ刊(Amazon、楽天にて)
*キリスト教葬儀司式無料で伺います。
https://adachihanahata.com/
本文内容と下記広告は関係ありません。