心を癒す聖書の言葉 ~ 足立花畑キリスト教会ブログ ~

心が疲れてしまったあなたへ、聖書の言葉をお届けしたい… そんなブログです。

神のリズムで生きる

2024年04月09日 | ◆聖書の言葉
詩と賛美と霊の歌により感謝して心から神をほめ歌う時、あなたが神のリズムに合わせて生きる時、私たちの過去の自分の発言に縛られた思いは消え去ります。神のリズムで生きるのは嫌ですでも祝福だけはくださいでは、本当の意味での聖書の中にある祝福、喜び、楽しみ、恵みと平安には、おそらくたどり着けないでしょう。神のリズムは、次に何をすべきかにあなたを集中させます。それは時に難しいリズムほど過去を考えている暇をあなたに与えません。そうです神のリズムはあなたの心を、未来へと向けさせるのです。「夢の国」ディズニーランドは子どもたちを熱狂させます。でも出口を出て、家に帰れば、そこにあるのは現実の世界、夢の国は、永遠には続きません。しかし「神の国」Kingdom of God、「天の国」kingdom of heaven、天国は、単に死者の行く世界ではありません。そうではなくそれは「神が統治する国」という意味でもあるのです。それは十字架の上でイエスさまを信ずる者に『あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。』(ルカ23:43)とお答えになった事と同じ事が、イエスさまを信じるあなたにも、今のこの世で、永遠の御国として、あなたに与えられるものであり、家路につけばやがて霧のように消える夢のような楽しさではないのです。ですからさぁ! 今日から始めましょう。一年のサイクルを、一ヶ月のテンポを、そして一週間リズムを、そして一日一日を、しっかりと、「たーん た たん」と、神のリズムに合わせて、共に生きてゆこうでは、ありませんか。
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憎しみの向かう先

2024年03月04日 | ◆聖書の言葉
『アンネの日記』が何か所もの図書館で破られてしまった事がかつてありました。いろいろな意見はあると思う。でもそれを表現する時には何よりもやさしさが大切だと思う。はじめから喧嘩をしたいのか、それとも本当に相手にわかってもらおうとしているのか。もしもはじめから喧嘩をしたいと思っての事ならば、その人の心の中にあるのは絶望的な悲しみだという。だから気づいてほしい、憎しみの向かう先は滅びであり、たとえ相手を打ちのめしたとしても、それがあなたの悲しみの心を癒したりはしない事を。『主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助けだされた』(詩編107篇20節) ひとりでも多くの人が、神様のことばによっていやされ、憎しみから助け出されますように。
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見えていますか?

2024年02月05日 | ◆雑

神はあなたのその悲しみを、あなたのその辛さを、そしてあなたの罪を私が背負うからこちらによこしなさいとあなたに語りかけ、そしてあなたのそれらすべてを十字架に背負いゴルゴダへの道を歩まれました。その人は生きる者の悩みを知っていました。その人は虐げられている者の痛みを知っていました。その人は友なき人の友となり、その人は貧しき者を訪ね、敵を愛し、そしてその人はあなたのすべてを引き受けて、十字架を背負い、苦しみの道へと進んで行かれたのです。そうです、この人こそ、人となりたる生ける神、主イエス・キリスト。あなたにはその方が見えていますか?。
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父なる神の愛

2024年01月07日 | ◆聖書の言葉

俯いていた心の目を上げ、前を見てみてください。そこにはあなたを迎えようと両手を広げ、そしてあなたに走り寄ってあなたをしっかりと抱きしめてくださる、父なる神がおられるのです。『こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。』(ルカの福音書15章20節)。すべての物を失っても残るものがあります。それはいつでも、それはどんな時でも、それはいかなる場合でも、それはあなたがどこへ行ってしまったとしても、あなたの帰りをずっと待っていてくれる『父なる神の愛』なのです。
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イエス様を、喜び、楽しみ、祝おう

2023年12月09日 | ◆聖書の言葉

紀元前165年、シリア軍によって蹂躙された自分たちの神殿をユダヤ人たちが取り戻し祓(はら)い清めた時、神殿の聖なる油はたった1日分しか残っていませんでした。ところがなんとこの燭台の火はその1日分の油で8日間も燃え続けたのです。この出来事を記念して行われる別名「光の祭り」とも言われているこのハヌカの祭では、「ハヌキア」と呼ばれるこの九枝の燭台に毎日一本づつ火を灯して8日間の間みなで喜び祝うのです。この祭りは新約聖書では『宮きよめの祭り』(ヨハネ10:22)として登場します。イエス様もきっとこの『宮きよめの祭り』の時に宮にいたわけですから、ユダヤの伝統としてこの祭りを守られたていた事でしょう。それは闇に光をもたらすイエス様ご自身を現す祭りの予表として、楽しく喜び満ち溢れた時としてイエス様もきっと子どもたちと一緒に過ごされた祭りだったことでしょう。ろうそくで灯す光り、甘いパン、それはクリスマスケーキや、聖なる静かな夜に灯るろうそくを連想させます。ユダヤ人の祝うハヌカと異邦人の祝うクリスマスには直接の関係は無いと言う学者もいます。でもやはりこれだけ二つの祭りのイメージが近いことからもまったく関係ないとするには無理があるように私には感じられます。さあ私たちも今月、そんな楽しい喜び満ち溢れた光の祭りハヌカの祭りを、そしてクリスマスを通して、人々を救うために、天からこの地上に、人となって来てくださった、暗闇を照らすまことの光、イエス様のご降誕を、ご一緒に心から喜び楽しみそして祝う者となろうではありませんか。
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