意識とは遍満し浸透しているブラフマン(至高の神)の至福に満ちた平安。
見つめあい、同じ方向を見る心理的必然性はないにもかかわらず、母親と赤ちゃんとは恰も一体のものであるかのように行動する。
知性が未発達で自分の行動を客観視できない赤ちゃんが、母親と見つめあうことが出来るのは、人間は生まれながらにして肉体や心を越えて意識を拡げ他者の意識と融合することが出来る能力を有しているからだ。
私の身体とか私の心とか、あなたの身体とかあなたの心とか言うのは身体や心は所有物だからだ。
然し、意識は何者にも所有されない。
生命も何者にも所有されず、神性も何者にも所有されず、アートマも何者にも所有されない。
愛とはそのようなものとして理解されるべきものだし、意識もまたそのようなものとして理解されるべきものだ。
それは、エゴが介在する余地の無いものだし、欲望を持つことも無いものだ。
母親と赤ちゃんは、意識が至福であることを予見させる良い例だ。