感覚的な「立場」は、奇妙と言うべきか、増大している感覚は、ある。
吉と出るか蛇と出るか、ともかく次第に非力に成っている、その実感は深刻でもあるか。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
社長の前に立ちはだかるJK、それは。
一応、感覚論では求める創作領域の最上位、表現的には「裏の王」そこに入った、感じはある、のだが。一応、システム面も補正した、最上位の「上」を設定してなかった、かもしれないという場の問題は、今は打開されている、とは言えそう。良くも悪くも創作領域の「最上位」ではある、それはつまり、今後か、あらゆる創作の「責任」結果、そう言うのは全部”ここ”に集中する可能性がある、訳だが。システム上の深刻それは、少し残る。
「ストリード」と言う枠、無形のフィルタを用いて連携してください。
それ以外での利益性を期待する場合、「キングスブランド」そこにいる「牢陽帝」その記述を足場にしてください。
一応は、ストリードには英語版も設定はしたし、結果での他国言語への変換、それもそれほど面倒でもない、とは思うが。ともかくその時、利益性を求める領域には、他の可能性それは消える、訳だ。
その会社で販売する、全ての作品は最終的には「企画室の長」が、全て責任を持っている、のだ。
”これ”を、全世界に対応させる、そう言う事の意味ではある。
昔大日本帝国で?大東亜共栄圏、とか言う構想をぶちまけたが、”それ”にイメージが近くなっている、気もしないでも、無い。太平洋戦争への意見として「やるなら全世界を支配するつもりになるべきだったのだ、アジアでやめておくとかではダメだった」とか、書いた事があり。この話はしかし、その後に「ファミリーコンピュータ」その席巻として具現化する事には、なる。他にも様々なゲーム機それは幾らでもあったのだが、その時世界は、気づくとファミコンに支配されていた。誰も気づかない内に。
”それ”を、何だか再びやろうとしている?様な、つまりそれが、昭和だった、という視点もある。
マクロで言えば四則演算を統一して、計算方法を世界共通にしよう、という話でしか無い、しかし。「会社」と言う基本構造の”怖さ”は、不意に不安の原理には成る。一応「大賀さん」紛争解決機構、それは設置している、しかし。自身の信仰は、最終的に他者にも要求出来るのか?は、ちょっと難しかったらどうなるのか。
ストリードその物は、使える人物は何処にでもいる、のだが。求めているのは「普通」でしか無いのだけど。
「王の権威」最終的には大賀さんの決定によって決まる牢陽帝の候補もまた、単に「10年程度日記を付け続けている人」それは結構いる筈では、ある。
この座に求められているのは”その程度”の能力ではある、が。
次に”ここ”に座る人物はしかし、この構造を作ったか直したか、その人ではない訳で。
自身は何かの失意と共に同じ場所で停滞し続けている・・・現状のそれは、意味を持つのか或いは。
ともかくまだ、夢遊の中ではあろうか。