個人的には、「紲星あかり」このキャラは問題ない、と言う判断で。
だから、何かのフラグシップが欲しい、というとこのキャラを選んでしまう、が。
「意味が解らない」が、何処まで問題を抱えているか?ではある。
アメリカと言う国では?人の生死さえ微妙さは、実際はある。
実際にメディアで死んだと報じられた人が生きていた、と言う「操作」があった、と言う話も有り。メディアに映っているモノそれが何処から虚構で何処から真実か、不意にハッキリしない事に…ちょっと驚く感覚はある。目的を達成するなら如何なる手段も肯定される、如何にもアメリカらしい倫理?の先に、アメリカと言う国が、不意に幻想になっている様な感覚。
そんな中で、アメリカは何を目指せば良いのか、それは良く解らない。
似た様な事例?は、日本と言うか、以前にも経験はしている。”何か”は、人の女性、それの独裁性を求める、訳だ。イギリスの真似、だろうか?アメリカもまた、基本的にはイギリスからの移民ではあり。結果、キャラの「中の人」を執拗に探そうとする、そう言う感覚は不意に有った。これは、良くも悪くも「王の権威」そこへ逃げ込むかの先で、彼?はその先を或いは「テレビゲーム」に帰結させる訳だが。それでも、「誰が創った?」を問われる先で、問題を起こす事が少しあって。
結果ではある、「萌えキャラ」それは、非常に何か、”単一的なそれ”でしかない。
「この女性がガンダムなんです」実在はガンダムですけど、そう言う。
確かにアメリカが、”これ”に統制される、と言うのはどうもイメージが違う。それではまるで、日本がアメリカの統治者みたいではあるまいか。アメリカは、アメリカ自身としてのフラグシップ、未来を紡ぐ何か、”それ”を求めねばならない、と言う道理の先に、しかし。その該当が居ない、そう言う事態はある。
結果、負けを認めない?先で、何かの邪が選択されてしまう…それは事例としては。
現状、アメリカは、アメリカとしてのフラグシップ、”それ”を求めているが、それがどうも、まあ日本の言い方だ、「役不足だ」と言う事ではあるのだろう。もちろんそれを、人に求める事に無理は有る訳だが。そこで名乗りを上げた存在を、愚か者と断罪すべきか或いは、ではある。
ジェンダーフリーを肯定すると言うのも、愚かな選択ではあるとは思うが。
神とは、特に性別は持たないのだ。
追い込まれて、”そこ”へ踏み込む人々を断罪できない。増え続ける”それ”は何かの対価、病魔、そう言う物、だろうか。
アメリカは、負けられない国家ではある。
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