要するに、「アダルトビデオを”管理”してるのは何処?」って、そう言う話だ。
”それ”に対して、「アダルトビデオは禁止です」そう言う、その面倒さ、だと。
結論で言えば、今のアダルトビデオ、それはもちろん売春であり、そしてその許容それは、その肯定でもある。国として、特に罰していない…という事はまあ、公営ギャンブルと同じような感じ、だ。今までの歴史や経緯としても、”それ”をただ禁止しても、禁酒法時代のアメリカの如く、むしろ悪化する、ので。「ある程度」の許容がされていた…が。その許容が結局は、「過剰」それの容認でさえ有った、訳で。
暴力団とは、何故存在するか?と言う、事の原理はそこにある訳だが。
”それ”に対して打開は出来ているのか?が、今の面倒というか、問いではある。
話は単純だ。
「我儘は言わない様に」
と、
「負けたら下がりなさい」
その徹底ではある。
昨夜の企画が、如何に良い話だ!とか個人的に盛り上がっても「いらない」と言われたらそれで終了である。現在?”それ”は「大賀さん」その神判に寄る。それで「いらない」と言われたら、どれだけ不服があろうと”ダメ”だ、それは例え天皇陛下だろうとこの場合、”同じ”である。理屈の上では「期待される」その倫理を徹底し得る時?売春への要求、そう言うのは薄れる。更に言えば、”それ”を嫌がる存在へ無理矢理にか強要する、そう言う存在へも、その需要は下がる訳だが。
最終的には、”その”増幅が最後には戦争に成るのだ。
「売春」その抑止は、戦争の抑止にさえ繋がっているのだが。
前々から語る話だ。100人の中の一人が反発してるなら見えるが、100万人の中の一人が反発してても見えないし、声も聞こえない。”それ”でも、その999999人が動く時、その一人が売春婦を強要されるとしたら?”それ”は「ダメ」だ。今までは、独裁者の断行が”これ”を動かしてしまった。その結果で、どれだけの不服や理不尽がそこに残ったか?ではある。平成は良くも悪くも、”それ”を忘れていたと言うか、考えずにただ、何かの理想を進めようとしてしまった、そう言うのは、ある。
現状はまだ、ロシアとウクライナの対立、それは決着が付いていない。
世界は今も、「大賀さん」その決定を無視し、何かの我の張り合いを続けてる訳だ。
アメリカ国内でも、日本国内でも?一応「大賀さん」それは、一つの結果は出している、(とは思う)が。今回はその外ではある。ロシアに関しては強力な独裁性を選択していて、事情はともかく、”それ”は衰退する国内経済を前に、何かの剣呑を高めていたのも間違いはない。ウクライナにしろ、”それ”に対して対案の様な物は提供し得なかった、と言うのは或いは有る。太平洋戦争へ進んだ過去の日本、そのどっちが日本?と言うのは少し気になる視点ではある。
場合によっては、”その”構図が、そのまま日本の中に有って、”それ”をどう打開するか?が、この戦争の打開に繋がるかもしれない、訳だが。
日本においてか、「カウンタ数値がおかしい」その原理は何処?と言えば、最終的には「何で俺の作品は人気が無いんだ!」その、単純な憤怒から、だったのかもしれない。”自分”の作品を高評価させ、ムカつくそれは低評価にする、と言う事が出来たパワーの、その後は果たして、ではある。
想定が正しいなら?”それ”は今、重篤な資金難に陥っている、感じはある。
そして、或いは死刑判決も受けているのだ。
問題は、その先に可能性は有るか?ではある。
話は単純で、そして複雑だった?