”その”部屋に入ると、しかし大きな失望には包まれる事には成る。
「お金ください」に、「働いてください」”相手”は、結局はそれしか言わないので。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力、翻訳して出力
「あの山の頂上に神が居るのか!」しかし、行ってみると誰も、居ない時。
「神の部屋」そう言える領域は、ある。一応「売れたハード」その根っこにある一つの共有だろうか。”そこ”には極端な事を言うと「人類全て」の意識が集い、その雑多な意見を露わにしていて最終的には±0、自分の意向も含んで、そこでは声が無い。しかし、自分の声に対して?”相手”はそれでも反応は返す。そこに有るのは「理想的な民主主義」だ。一人一票、黙っている相手の意見は侵害出来ない様に、”そう言う”人々の意見が集い、等価な意向を表明し、それが衝突、変質しつつ、最後の結論を返してくる。
御免、何言ってるか解らない。
大概は、まあそんな返答でしかない訳だが(/・ω・)/。
「俺は”ここ”まで来た偉い奴なんだ、だから俺を偉い奴にしろ」ある程度のスキルの先にある人の、しかし悲しい現実では、ある。兎も角「この先に神が居る!」的な探求の先に有るのが、まあそんな光景でしかなくて、そしてその返答はそっけない。ともかくまずは、プロトコル?議題を合わせる必要はある、困った事、要求したい事などを、対話できる内容で提示する必要がある訳だが。
「お金ください」「なんで?」
応答の仕方では、その後に有るのは一種の説教でしかない。理由が無い、貴方の作品は面白くない、そこにお金を払う意味が解らない。そう言うモノばかり作って居れば、お金が無くなるのは自業自得と言う物だ。
駄作を遊ばされた人々には、或いは溜飲の下がる”声”かもしれない。「こんなもん売れる訳ね―じゃねーか」時々、しかし声の”強い”人?の、その神に等しい言葉は相手に、異様な敵意を向けられる事には成る、訳だが。もちろんか、それはそれで主観でしかないと、まあ実際に攻撃を受ける、事も時々現実ではある。
”そこ”は近年の幸い、かもしれない。プログラムの領域では、自分の提示に対してダメ出しするのは機械その物である…エラーですよ。しかし、そのエラーを出す機械の「作者」原案者が何を考えてその機械を創ったか?は、割と面倒な事態を造ったりはする。Aのハードは自分には夢の具現だったかもしれないが、人気が無い。Bのハードは使い難くて嫌いだ、なのにヒット作って、どういう事だ。人々には良いモノなんか解らないのだ、俺はAの方が良い。
この時、Aの方には作者の「私は神だ」位のそれがあり、Bの方には「神とは」その理解があったり、する。
「その神の領域を知っている」という、自認は時々疑問には成る…ともかく?Bの方は売れて、Aの方はどんなに「良いハードですよ!」とPRしても結論では、お寒い。そしてしかし、Aの方はその作者から徴用される存在に成れる、かもしれない。単純な目的を考えたらAは良いハード、かもしれないがともかく、それは続かない。利益が発生しないから、だ。
「理想的な民主主義」を棄てて、私が神だ!とか言い放った所で、神は態度を変えないので。
結論では、今のところも結果は「利益」そこでしか、”この”現象は発生しない、現実は或いはある。「利益が出た」ハードには、その「理想的な民主主義」がある、売れなかった、利益が出なかったハードには、無い。結局?現場はBのハードにあるその壁を超えて行かないと、その先に利益は無い訳だが。そんな求道者をやるよりも、「先生」にゴマすった方がマシだ、それはそれで一つの自由ではある。
形而下の多数決は、やっぱり後者の方が多い、それはまあしょうがない話、そう言うモノだろうか。
AとBのハードの「違い」を認識できる?というのは、一つの境界ではある。利益を目指すなら、Bのハードにある”それ”を越えねば成らない。「理想的な多数決」個々の表現では「大衆」その意向である。彼らが求める物を提供しないと利益は無い、が。評価は時々指数関数的で、妥当な数値に収めるのは非常にか、面倒だ。
物が悪くて売れなかった、場合も、支払い限界を超えてしまったから払う奴が居なくなった、場合も、どっちも「売れなかった」という、それはまあ、一緒ではある。
「妥当」というのが、そこにはある。