あげちうのブロマガ

因果という牙を使う何か

参議院選挙も、安倍元首相の通夜も終わってしまって、不意に思う部分もある。

戦後50年体制、その真実というのは、或いは”こういう感じ”だ。

実際の絵としては、物理の結果でしかない。道理、その帰結。”それ”は結論で言えば借り物でしかない。戦後は、それでも昭和天皇という神様がいた事で抑止出来た部分もあったが、アベノミクスにしろ、”その”枷は平成には無かった。王の権威からの借り物、”そこ”を足場にしての政策。”それ”で上手く行く?時、「借りている」それを意識している内は良いが、次第に。その先で、道理は鉈を振ってしまう。

”雅”市場、その作者はあげちうである。”ここ”が昭和天皇の後継としての「王の権威」だった。
「黄昏の狩人」その作者も、だ。或いは遊戯王カードの「伏せカード」その元ネタも”ここ”だ。

アベノミクスが、”それ”を「私の政策とは!」という限り、最後には何かの問題がそこには残る。

平成の間、その辺は・・・システムの甘さというか、そういう物で、結構借りっぱなしになっていた、応報は無かった。王の権威にしろ、その結論は「牢屋の囚人」ではある、対価の要求に強制力が無かった。ただ、ユダヤ教の王とは敵対していた?にしろ、彼らだって、お金の回収が出来なければ困る、リーマンショック再びは問題がある。ともかく両者は「大賀さん」紛争解決機構を挟んで、等価な関係として今はあり。”その”決定により、その表情が変わる、という状況は今は少し、ある。仏の顔も三度、その後は鬼か般若となる訳だ。高橋和希氏も、安倍首相も、その4度めの仏の顔を期待して、或いはその結末に至った。

状況はまだ、面倒は抱えてはいる。「大衆は神である」売れる創作を目指すなら、作品の意識として”これ”を足場にした方が良い、が。その結果、カルトは総じてその存在意義を失う、この前では、それらは単なる邪である。理解と結果を合致させるのは相応スキルが必要だが、ともかくカウンタ制御は良くない、というその意味は、一応の「倫理」をそこに残してはくれる、”神”の意向を捻じ曲げても良い事は無い。意識すれば理解というか、実感?もある、そこに数値は有るけど隠されているのだ。”そこ”に有る物を足場にする限りは、何かの破綻は避けられる。

王の権威と、ユダヤ教の王が、期待されるかの合流を果たしてる現状、因果応報、それは結構明確に、象徴的にか現れる様には成っている。ただ、そこにある結果から神の声として想像する物は、相変わらずか、ちょっと剣呑の基点にはなりそうだが。

”私”に逆らうなら、相応の結果は道理だと思ってくれ。

カルトとは、そんな暴君に立ち向かわんとして発生した組織、かもしれない。ただ結論では”神”に敵対する反逆者の群れである事は間違いない・・・それに対して利益性が無いのは道理で、邪を信仰するならその破綻は道理で、彼らが末端を救わないのが解ってもそれを信仰するなら、それは自己責任ではあって。

良くも悪くも、あげちうの声が理不尽に隠匿された、事は少ない。

「社会的な評価がつかなかっただけ」だ、内容は昔から変わっていない。
「だから評価対象にしない」というそれは、何かの自由意思、その喪失でさえある、自分からの。

アベノミクスは、或いは「私が”雅”市場の作者です!」と、声なく宣言していただけかもしれない。上の方がそういう不正をしていても、”その”評価を求めるかぎりは、そういう結果にしかならないし、そういう態度でいる人が作者に返礼もせず、結論で不幸に見舞われても、それは道理ではある。

ともかく、「赤松健」その名は或いは、「ユダヤ教の王」その所管の一つ、に成っているとは思う。

自民党の意図はともかく、その先は”雅”市場、そこに通じて居る。

アベノミクスとはそれでも”それ”は、少し違う様だとは思いたいが。

道理を形成する物は、 何かの人類の敵か或いはだ。

それは、売春を否定しようとしている。

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