だいたい、想定通りというような結果になった、参議院選挙ではある。
色々な意味で、”それ”に対抗した人々が落ちた・・・そこに是非はあるかも。
個人的な感想としては、あまりいい結果、とは言えないのかもしれない。”自分”の領域というかは、結局また後回しになった、感じもする。なんというか、「やっかいもの」という存在として扱われている状況、”それ”はまだ続きそう、そんな。個人的な把握だ、自身に過失はほぼないのだ。それ以外の思惑で、自分の人生やら生活、そういうのは色々と、略奪や否定、そんな余計な話の中にはあって・・・「普通」にさえ程遠い状況ではある。
とは言え”これ”を我慢しろ、その中で抜け道を見いだせなかったあなたが悪い、そういえばそんな事を書いた、記憶もある。自分の把握するシステムで言っても「市場管理者」それが居て、”それ”の思惑を無視して状況は変わらない。ゲームセンターは今も、復活、というには程遠い有様、だ。”当時”許されていた?物が許されなくなって、それは今もまだ、退廃の中にはある。ゲームが背負う反社会性、それは今も、何かの懸念と共には有る。
参院選の結果にも不意にその、「市場管理者」その思惑?それは強く現れた、感じもあって。
もちろん結局?「紛争解決機構」具体的にはガンプラバトル?それは、公式なそれとしては前にない。昭和の黄金期を目指すなら、”それ”は最終的には存在しない「それでいい」訳で。どこかの一存に世間は総じて従う事、それでうまく行ってしまったそれは、やっぱりその「成功例」を求めていく先で、やっぱり、誰かが貧乏くじを引いている、気はする。
「牢陽帝」自身で言い出したそれは、自助努力でどうにかなるのか、それは少し考える。
無理が出来ない状況ではある。売春の否定、それは今の経済対策としては最優先に近い、が。事態としては対案がないまま法令が先行して・・・結果、突然にか、「壁」が具体性を持ってしまった、気もする。高橋和希氏も、安倍元首相も、そんな「壁」の先を目指したか、或いはそんな先で不幸に見舞われたのかも。特に安倍元首相のそれは、「無理の先にある具体例」として、ちょっと象徴的でさえある。
「出来ない理由を考えるのではなく、どうすれば出来るか考えるべきなのです」
安倍元首相の、それは自問だったかもしれないが、その果てに、或いは扉の先が無かった。
今もまだ、微妙に些細な穴、それは開いたままだ。自分の様な状況を耐え忍ぶべきか、それとも「売春婦の楽しさ教えます」とかいう漫画を描かされても、漫画家を志すべきか。自分が考えるからか、どうしても何らかの抜け道が見えてしまうが。結果的に「じゃあ自分の妻を売春婦にしてもいい訳だ?」とか、作品が”それ”を語り出す時、その作者には何が始まるのだろうか。
選択を間違えたとは言い難い。そんな暮らしを耐えるよりは、売春婦の方がよほどマシだ、もリアル。
当然その時、「仕事に徹する」それは、要求もされてない。自分の意志で、自己責任で、その決断をしてくれる人材をこそ、その領域は求めているのだ。そこにあなたのやりたかった仕事がある時、選択とは。
”世間”はまだ、売春婦、生贄?それを求めていて、その上での発展、それを目指している?
自身の想定する「理想的な社会」とは、果たして理想的な”それ”なのだろうか。
今まで通りは、相変わらず、今まで通りを求めるし、選択をしていく。
「無理です」
そういう物を、自分は世間に要求している、そういうのは有るのかもしれない?