「借金がある」というそれは、どれだけの強制力があるモノか、ではある。
貸元は、銃を持った債権者相手に取り立ては可能か、或いは。それは良く考える話。
個人的経験で言うと、お金を持ってない人からお金を回収する事は、出来ない。これは最終的には「諦めるしかない」という結論では、あるが。ただ、契約上か、払わねばならない額を払ってもらえない、という場合も、この例に相当する事が結構、ある。自分の場合、積年かの懸念、だ。明確に相手から、払ってもらいたい額を回収できない、場合がかなりある。「お金は創れる」という感覚は尚更、自身の前方に壁を作っては行く。
貸してる側に対抗し得るのは、「返さない限りはもう貸さない」そういう態度でしかない訳だが。
G7に「借金踏み倒しに向けての決起集会か?」は、我ながら良い皮肉だ、とは思うがしかし、ある種の悪夢へのルートの一つ、ではある。また、自身の「お金は増やせる」それは、あくまでも自身の思想による理解でしかない、それも自覚する所だったりは、する。少し前に盛んに?話題になった「ベーシックインカム」も、自分の思想、理解それからしたらハイパーインフレ一直線の愚策ではある、が。民主主義の結果としてか現実に試験も行われた?し、そして今も、明確に何が悪いのか、それは語られていない。仕事の対価としての供給でなければ、それは「価値」の足場のない金であり、担保なしに紙幣を刷っている様でしかない。それは「通貨」への信用を唐突に喪失する結果、インフレからハイパーインフレという破綻へと雪崩を起こしていく訳だ、が。
それは経済学として認められた理屈なんですか?
今の経済学が如何に信用に値しない物でも、認められてない話というのは、まあそんなもんではある。
そんな認められてない(個人的には隠蔽されてる、とは言うが)理解としては、価値とは「人々の同意の束」ではあり、それが集う物こそが「お金の担保」を形成し得る、訳で。言うと「国への信用」が、その国の通貨その発行額に等しい、のが理想な訳だ。前者が低いのに後者だけ刷りまくると?100万円の担保を前に一億円を刷る様な結果、一万円札は100円の価値しかない、状態になる、これがインフレ(これではほぼハイパーインフレだが)。「同意の束」一人一点、で集めるにしても、「その個人を生かす為に必要な事」として個別に集めれば?国民一人をネタに「一億円の値打ち」みたいな視点は出来る、その国の政策はその一人を生かす事が出来るという主張、そこに高い同意が有れば?国民×一億円を担保にしてもいい、事には成る訳だ、が。
同意がないと、その担保は形成し得ない、訳で。
「創作」は、そう言う同意を非常に小さな物に対して作る事が出来る、そんな行為ではあり。その発展が単純に国の経済への貢献になる、この国は良い国、という理解は意識を安定させてくれる訳だがしかし。その「創作」の土台は何処に?というと、国の現実的な政策、体制、そういう物だったりは、する。その土台は、視聴者にとって「自分は暮らしていける」そんな安心を提供し得るのか?ではあり、”それ”に基づいた創作か?そうじゃないなら、それを如何に高い技術で描こうと、「100人の中の数人は生贄として喰います」と、それを拡声器で言う様でしかない訳で。
売れる、評価を得ようとするなら、ここは「そんなのは間違ってる」を言わねばならない、が。ただそれを言うとその先を当然か、要求される。それを問われる時に、ただ「私は出来ると思う!」では困る、訳で。多くの創作者のそれが、結論でグダグダに成っていくのもそれが理由としては大きい。「貴方は、世界経済を救えるんですか?」それを問われて返答し得る人は、はたしているのだろうか?だ。
単純に「お金ください」を要求される時、作者の返答は如何に、だ。
良くも悪くも高額になる創作は、”それ”に対して額面に相当する位は「出来る」を言えるし同意もされる、そう言うのを背にはしている、筈ではある。そう言うのが無ければ、創作は高額にならない。だから、「大ヒットした!」という絵は、状況に対しても希望になる、筈ではあるのだが・・・。ただそれを政府が?受け入れない限りは、それは絵に描いた餅でしかない、そう言うのは、ある。
ともかくこの理屈に正論が有る時?その「土台」は無限のお金を発生させ得る原理を持っている、訳だ。逆に今の世界は、お金に異様に困っている状況であり、維持されているのは何処かから借りているから、そう言う面は「道理としては」重くある。税金もまた、国家に対する報酬、対価という視点で見れば?十分な額が無い、という事は国が十分な仕事をしてない、という事でもある。現在の状態で、借金は返済し得るのか?つまり経営破綻してるんじゃないか?それは、ハイパーインフレへの引き金か、それともな訳だが。
”貸元”は、債権者からお金を回収できない時、…何が出来るのだろう?