良くも悪くも現状、まだ「上意下達」が強い世相では、ある。
上の方から見捨てられた領域ならともかく、上の庇護下にある時、下は上の意向を待つしかない。
※ちょっとテスト、「タイトル」をそのままPixAIのプロンプトに使用したら?という感じ。枯れ木も山の賑わい、ではあり、というか・・・
”上”は、変わってきたのかどうか、まだ不透明は続いている。自分の法がそこにある、としても逆に「大賀さん」それは同時にそこにある、という事でもある。つまり、”相手”に戦力が残って居るなら?例えリーダーを失ったとしても、それはまだ抵抗勢力として残り続ける…という事でもある。状況が極端な変化、そう言うのを嫌う時、相手はまだ「今まで通り」を続けられる、訳だが。
ずるずると、そうやって「今まで通り」が続いている、現状ではある。相手はまだ、直ぐに次の王を立てるだけかもしれない。愚者は幾らでもいるのだ、そう言う感覚は、不意に面倒なモノとして意識はされる。
最悪、「物理的に無理だ」と言うのは、今の民主主義にとって何の抑制にも成らないのであって。
今までもそうやって、現場に無理を強いて潰して、”それ”を誰か何かの責任にして続いてきた、のだ。それが民主主義だった、というのもまあ、少し解ってきた部分ではある訳だが。
とは言え、「物理的な無理を超える」超えられないと負ける、そういう状況であることもまた、変わらないのかも知れない。ズォーダー大帝の乗った超巨大宇宙戦艦に、その1/100にも達しないような、半壊したヤマトが体当たりして何か意味が有ったのか?は謎である。物語はそれで、なんとなく感動的な雰囲気と共に幕を閉じた訳だが、しかし。
その後、何事も無かったかのようにリスタートしたのがヤマトではあるのだが。
「ストリードの中にはお金が入っている」それは、なんとなく要求し得る”理解”に成ってきた、気もする。創作者が「お金が欲しい」なら?ストリードを貰い、そこから”お金になるモノ”を引き出せばいい、或いは体感的に解ってきた何か、かもしれない。ただ問題は、”それ”を選択するという事が、「ズォーダー大帝に負ける」と言う絵にしか成らない、事だ。「話に成らないだろう」それは、意外と大事な問題にはなる。
「価値を護る」と言う事は、実は「そう言う面」を持っている、事には成る訳だが。
ヤマトは命を賭して地球をズォーダー大帝の魔の手から救ったのである、とか言う話だからこそまあ、意味があるというか…何かの「強制力」さえ発生させる、のだけども。「命を賭したけど無理でした」では、その物語は、その程度の話でしかない、という事でもある。いわゆる「古い」もうそんな時代じゃない、そう言う象徴みたいなモノかもしれない、のだが。ズォーダー大帝は、徹底した悪役に描いてしまった、ああまであしざまに表現した相手が正しかったです、というのはあまりにも何というか、愚者ではあり。
そんな想いが、何かの小さな物理的な無理に乗ってしまっている、気はする。
何もかも値上がりしていく中、戦争それは、不意に続いている。