あげちうのブロマガ

私は特別だという存在が平等を訴える

「大衆は神である」時、その信者は自身に対してのこだわりをあまり持たない。

「売れるネタ」それがつまり、多くが「自分の描きたい物」であってその時、そこに喜びは有る。

 

”それ”が、第三者的には不平等に見えたりする場合は、多々ある。個性の問題として「そうは思えない」そう言う人は居る、とは思う。作家なら、この思想か宗教、それに対してある程度の信仰か同意を持たなければ成り立たないのでは?とは、この信者の言う事かもしれないが。しかし、それはそれで、限度はある。

反発した存在に、或いはそれを殺してさえしまった相手に、今更同意は出来ない、それは奈落として。

原理の多くが「独裁創作は売れない」そこには帰結する。信仰が有ったとしてもこの現実には苦言を言いたくなるし、我慢し難い憤怒、それは有ったりする。その先に、個人としても理想は見えるのだ、しかし。その先にある声は、信仰に対して同意を要求はされる。

”神”にとって、貴方がそれ以上の力を持つのは不幸でしかありません。

人々は「好ましい世界」を求めているのだ、暴君を期待している訳じゃない。

最後の決定は”神”が決めるのだ、それに対して一介の作家がとやかく言う事は出来ない。

その状況は酷い、と言えばそう。作家を目指して四半世紀、その人は鳴かず飛ばずのまま、今も何の評価もされない作品を創り続けている。「カウンタ数値が制御されているんだ!」そう、それは事ある毎に訴えるが、同意する人々?はほぼ居ないまま、ネットのブログの片隅で、何かのしこりの様にあり続けている。そこは何かの牢獄か何か、だろうか。世界が窮乏していても、世界は彼の言葉に耳を傾ける事はない。大衆は神である、とは彼自身の主張だ、そうだとすると?彼は既に、神に見放されている。

その状況で、今も「大衆は神である」それを主張するのは、何かの愚者か狂気なのでは有るまいか。

しかし彼は、コロナ禍にあってもワクチンは一度も接種せずに、一切掛からず乗り切ってしまった、のだが。

その事実だけでも、ここに矛盾はある。

ともかく一応、今でも創作のネタは結構出る、そういう状況ではある。そして意識の中では「インターネットは私の書いた「黄昏の狩人」と言うシェアードワールドを足場にしているのだ」エヴァンゲリオンもそうだ、そんな認識でもあって。「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」は自分のネタを”問題ない状態で”使用した結果であって、「ダークソウルⅢ」は”美鶴さんの長い妄想”それを足場にした結果でのヒットである。

その事実を隠蔽するという、その人々が歪んでいるのだ。状況が悪くなるのはだから、である。

「見放されてますか?」と、個人の中では言えない状況と、「必要だったのはお金ですか?」そんな問いと。皮肉と現実と目的と、ともかくせめぎ合う中、とは言え今も、信仰に否定は出来ない、そんな中にはある訳だ。

結果でしか解らないし、まだ結果は出ていない。

のか?

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