物理的には、”それ”には100兆円の価値がある、として。
無人島の中で”それ”を換金する術は有るか?というと、無い。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
イマジナリーフレンドでも、一人ではないという事は何かの希望だろうか。
理解の経路が間違っている、が。それでも”それ”が本当に100兆円の価値があるなら?無人島で一人それを眺めていても、そこには100兆円があって、そこに居る人は”それ”を所有している事には、成る。この時?その人物は100兆円分の「叡智」そう言うのを得ている事にはなり。その中には「この極限状態で生き延びるには?」そう言う知恵も或いはある、訳だ可能性としては。
ただまあ、もちろん必要なのは「お金」である、こんな話をしている人々には、だ。だから、どうしても普通はか、恐慌状態に陥って崩れていく事には成る訳だが。しかし?実際に28年間ジャングルで、一人で生活し続けた日本兵、横井庄一氏、という人物も居る訳で。彼は、”それ”を持っていた可能性、それは結構高い事には成る訳だが。
それは何か?は、戦後の「文化」を語る上でも、結構重要な話なのではあるまいか。そして以前に考えた、「グレートマジンガー」をどうも否定できない理由、そこにも通じてくるのかもしれない。日本を護る、という点で、果たして当時、開戦以外に方法はあったのだろうか?
その時、横井庄一氏は、28年間も一人、無人島で生活し続ける事は出来た、訳だが。日本がその選択を出来なかったか?と、そこには少し、考える部分はある。
もちろん、今もか、グレートマジンガーは微妙な評価には成る訳だが。何故か?は、ちょっと解らない部分はある。造形か、展開か。「解らない」と言うそれは、価値の形成においてはやっぱり重大な失点には成る訳で、そう言う意味で、当時の作者らも?その辺には少し、失念はあったのでは、とは思う訳だが。
そう言う視点でも、「解らない」よりも「解る」方が、ともかく答えは設定してある方が、そこには「価値」そう言うのは発生する、とは言える。価値がないと、換金できない。お金が必要なら、まず「価値」それを形成する必要はある。とは言え、お金は道具に過ぎない、その元担保として「価値あるモノ」が無いと単なる紙切れと変わらない。その時、その「価値」には、その額面の価値が有るのか?ではある。
「ともかくウケた人気だった物をコピーしただけ」
そこに価値があるか?というと、それはまあ、ちょっと疑問しかない。
昭和から続くシステム?許容、そこには邪が入りやすい、という現実はまあ、ある。単なるコピーとそうでない物と、あまり区別がつかない訳だ、しかし。前者は価値が無く、後者は価値がある。後者を失うと、人は無人島で一人生き延びる事は出来ない、事には成る訳だが。
横井庄一氏も、もうずいぶん前に他界してしまっていて、結局彼は何を持っていたのかそれは、ちょっと解らない。
ジャングルの中で一人、彼は機織りを続けた、とは言うが。