あげちうのブロマガ

お年玉かの責任の行方

新年あけまして、ブログも書き始め、という事になりますが。

気持ち新年感のないまま、状況は変わっては行く、感じではあり。

 

感覚の一部は金貸しだが、生か死を前にしての無意味を前に、本年の「ロードオブロード」進捗。


「ロードオブロード」3r 第11回目

前回の状況
 スコア22、要求111、借金最大ー58

1.領域パーツ選出

本日のダイス
本日のダイス
白:6,3:9
黒:6,4:10

黒10 6463

「要求」111+10=121

パーツ
123456
━┃┏┓┛┗

6463
┗┓┗┏

2.領域形成

    ┏━━┓          ┏━┓
   S┛  ┃          ┃ ┗┓
       ┗━━━━━┓  ┏┓┃  ┃
             ┗┓┏┛┗┛  ┃
              ┗┛    ┏┛
                    ┗┓
                     ┗┓
                      ┗┓
                       ┃   ┏━┓
                       ┗┓ ┏┛ ┃
                        ┗━┛ ┏┛
                            ┃
                            ┗━
                              ┗

                               
3.不足補填

5,4(┓、┛)不足、形成
5:1回
21235 34:7回

4.報酬選定

 不足補填あり、報酬査定、1D6→3

コスト消費 22-8=14
スコア 14+3=17

5.現在の結果

借金最大 ー(58+6)=ー64

スコア17、要求121、借金最大ー64

新年早々、あまり良い感じの流れじゃない?


ともかく、紅白歌合戦も歴代ワースト2の視聴率、それ以外の年末特番はみんな見てない?みたいな話もある中で、自分の意識は不意にか、少し変化?はあって。

「アルカディア」というゲーム機を売れる様に出来なかった、事で、「グラディウス」は、何かのフラグシップ的立場を失った。その時そこに有った「権威」それは、”売れるようにした側に”移動してる。

今、「グラディウス」の”作者”は私である。

・・・なんか、どんどん壊れてる気もする(-_-;)。


ともかくそういう変化は、意識の中での「誰が悪いんだ」それをこっちに持ってきてくれる、というのはまあ、ある。今までは、ゲームに対する、だろうか、「どうすれば良いんですか?」その問いは、グラディウスの作者に向いていたのだ、それが今、一応は「こっち」に来ている。

ただ、”それ”に対して明確な返答が出来ているか?というと、それは大いなる疑問はあって。

最大の問題は、価値観?ともかく今までタブーになってきた部分への抵抗、だろうか。「それは出来ない」というそれが相変わらず、重い壁として前にはある、感じ。独裁創作への執着は、今もまだ重大な起点だ。良くも悪くも?理解ではグラディウスは、「昭和天皇のオーダーを超えた絵を」描いてしまった、という経緯はあるのかもしれない。その結果、「それ以上」を基幹の感覚にする時、最終的にその権利を持つ存在は「神」をも超えた意識になる…訳だが。

それはちょっと行き過ぎてませんか?とは、思う。

”そこ”が結局は、「昭和天皇のオーダーなくしては成功は無かった」というのが何かの物理的な絵、それとして現れた結果、そこまでの増長?が出来なくなった、訳だ。ちょっと、その椅子?への執着は残ってる、今までゲームの領域に対して、”そこ”の声を無視して先には進まなかった部分を、王としての存在を、今は無視しても良い感じには成った訳だ、代わりに居るのが”ここ”にいる自分ではある。方向性は変化してもいい、筈だが。「今まで通り」それは、昨日の「ゴジラ対ガイガン」そのファンムービーにも、ちょっと出ている。

許される範囲の、小さくシンプルなテーマなら良い?

多分、そういう訳でもない。

「個人創作は利益性に乏しい」少なくとも怪獣映画の視聴者が求めてるのは、そんなプライベーターの呟きではない。費用対効果の悪い絵も、視聴者には不安しかない、「評価されない」事が逆に安堵感になる位だ。マクロな視点では、視聴者に「こういう感じを」そんな同意を求めてる様ではある?200万円投入してリターンが10万円も行かなくても、楽しかったからいいや、そんな訳にはいかない。

「怪獣映画なんて対戦格闘みたいで良いんだよ」

を、あえてこのコストで語らねばならない事か?も、それは大いなる疑問ではある。

採算度外視で、自分の描きたい物を描く、という行為の是非ではある。自分の主義主張の問題もある、「創作が売れないと、経済は回復しない」「大衆は神である」神に評価される物でなければ、それを。今までは或いは?「グラディウス」それが神を名乗ってしまってた結果、無視してたというのは少し、可能性としては。今後は漸くか?言い難くなった、とは思う。

とは言え、今もまだ、ウクライナはまだ抵抗している。マスコミも、日本さえもまだ、支援傾向だ。「大賀さんでの決着を」それは今も、もちろん表立っての話ではない。その時、是非は相変わらず平行線だ。

最後にあるのは「お金は?」借金取りの視線ではある。その視線の先に居る存在は、でも、それを用意できない”それ”も解っている。そこにあるのは理不尽だ、そして「どうしようもなさ」でもある、金はない。その借金取りの視点からしたら、目の前の”それ”が居なくなる事が一つの結末ではある、が。それは倫理上許されるのか?だがそれは、視点では重犯罪人ではある。

紛争解決機構の決定に逆らった、それは万死に値する。

金を返さないので無期懲役、それは果たして是か非か。

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