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小田急線の新百合ヶ丘駅から歩いて3分ほどのところに、川崎市アートセンターという施設があります。以前、ここに「マダム・イン・ニューヨーク」というインド映画を見に来たことがあります。落ち着いた雰囲気のいい映画館です。
ロビーに今村昌平監督が、カンヌ映画祭でもらったパルム・ドールが飾られていました。「楢山節孝」と「うなぎ」の2本の映画での受賞です。やっとカンヌ映画祭が巨匠今村監督を発見した1983年と1997年のパルム・ドール(カンヌ映画祭最高賞)です。私が「赤い殺意」(1964年)を見て、なんてすごい監督だと思ったのが、たぶん1968年ごろ、「赤い殺意」に先立ち今村昌平は、「豚と軍艦」「日本昆虫記」などの傑作を作っていて、その後も「エロ事師たちより 人類学入門」「人間蒸発」「神々の深き欲望」「復讐するは我にあり」とパワフルな映画作りを続けていましたが、やっとカンヌが、世界が今村を発見したのか、遅いよ!、と思っていました。
今村監督は二度の受賞ともカンヌ映画祭には出席されていなかったように記憶しております。映画人なら一度はカンヌのソワレで観衆の拍手に包まれたいと憧れるものでしょうに、我らが今村、そんなことにはとらわれていなかったようです。金色に輝くパルム・ドール(「黄金のシュロ賞」)は思っていたより小さく、金色の綺麗な光を放っていました。
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その川崎市アートセンターで、藤井知明監督の「どうすればよかったか?」という記録映画を観ました。記録映画とはなんだか、すごく古めかしい言葉に感じます。ドキュメンタリー映画と呼んだほうがわかりやすいですね。
しかし私は、あえて記録映画としてこの映画を紹介したいと思います。「どうすればよかったか?」は、自分の家族の隠されていた真実、外部には出せなかった面をじっと見つめ、あまりにも辛すぎるその現実をカメラを構えることでしか対することができなかった一人の青年の記録であり、一つのある家族を20年にもわたり撮り続けた優れた記録映画作品として、映画史の中で屹立していると思います。
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北海道に暮らす藤野家の24歳の長女が1983年、統合失調症の症状を発したのに、医師であり研究者である両親は精神科で治療を受けさせることをしなかった。面倒見がよく、絵がうまくて優秀な長女だったのに医学部に進学した彼女がある日突然、事実とは思えないことを叫び始めた。統合失調症が疑われたのに、両親はその事実を確認することなしに自宅で過ごさせることを選んだ。納得がいかない8歳下の弟は、両親に説得を試みるが解決を見ることはなかった。わだかまりを抱えながら、北海道の実家を離れた弟、監督の藤野知明は東京で映像制作を学び、カメラを手に入れる。
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このままでは何も残らない、監督の藤野知明は姉が発症したと思われる日から18年後、帰省のたびにカメラを回し、家族の姿を記録しはじめる。一家そろっての外出や食卓の風景、会話する両親や姉の姿を記録し続けるが状況は好転せず、姉の症状は悪化していき、とうとう両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになってしまう。かつて、日本のあちこちで統合失調症に限らず、障害や病にいる家族を外に出さず、座敷牢と呼ばれた空間に閉じ込めて隠蔽してしまうことがあった。まさに座敷牢状態に藤野家は陥ってしまった。
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20年にわたってカメラをまわし、家族との対話を重ね、社会から隔たれた家の中と姉の姿を克明に記録し続ける弟、医師として研究者として社会的に認められている両親はなぜ姉を精神科に診せず、自分たちで囲い込んでしまったのか? 孤立した家族の周りに別の視点からのアドバイスをくれるような他者の姿は見えない。時がどんどん過ぎ、両親も老いてくる。そして母親に認知症の症状が見え始め、ますます家族は追い詰められていく。
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最初の発症の時から25年が経過した2008年5月に、やっと姉は精神科に入院して統合失調症の治療を受け3か月の入院生活を送った。母親の認知症や父親の老いからの衰えによって、はじめて治療にアクセスできたのである。その後、母親の死、姉自身のがん発病とその死、残されたのは、老いた父と弟の二人だった。カメラを回しながら、長い間問うことができなかったことを弟は父に投げかける。
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「どうして姉を精神科に診せなかったのか?なぜ早く医療につなげなかったのか?」
母親が統合失調症に対する差別意識から隠そうと判断して、自分もそれに従ったのだと答える父親。カメラの前で対話する親子には、確実な答えは用意されない。「どうすればよかったか?」 この稀有な記録映画をどさりと差し出された我々観客にも答えは明示されない。重い、重い現実と長い、長い時間が横たわるだけである。そして一人ひとりが、つぶやくしかない、どうすればよかったか?と。
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