透明人間たちのひとりごと

百年一日千秋の如くなり

 1914(大正 3)年、いまから100年前の 6月に、サラエボ
でセルビアの青年がオーストリアの皇太子夫妻を暗殺し、
それを端緒に世界を二分するような大戦争が勃発します。

 世に言うところの 「サラエボ事件」 と
第一次世界大戦WW1の始まりです

 戦場はヨーロッパから、瞬く間に世界に広がり、航空機、
戦車、潜水艦、機関銃などの新兵器と並んで、はじめて
化学兵器としての毒ガスが登場します

 開戦から100年を数える史上初の世界大戦ですが、日清
戦争や日露戦争は日本と対戦国との二国間の戦争だった
ので当然としても、なぜか、太平洋戦争と呼称される先の
第二次世界大戦(WW2) right 大東亜戦争と比べても世界
大戦の割りには日本人の関心はどうも今一歩のようです。

 それには、いろいろな理由があるのでしょうが、そもそも
第一次世界大戦をはじめて 「世界戦争」 あるいは
「世界大戦」 と名付けたのは何を隠そう、他ならぬ
日本人であるいう説もあるくらいなのですが、一般的には
1930年代までは 「欧州戦争」「欧州大乱」
などと呼ばれていたようで、いずれにしても「第二次」
が起こるまでは 「第一次」ではなかったわけです。

 日本もこの戦争に日英同盟 をタテに連合国の一員
として参戦を果たすわけですが、関心がうすい原因は戦場
がはるか遠い海の向こう(主戦場はヨーロッパと植民地の
ある地域)であって、日本は実質的な被害や大きな損害を
被ったわけでもなく、むしろ、長引く戦況による戦争特需と
いう恩恵に与(あずか)ったということが、逆の意味で興味
を失わせているのかもしれません

 しかしながら、

 近現代史のターニングポイント、あるいは分水嶺とされる
のは「第一次世界大戦」であって、ここから新しい
世界史が始まったとも言っても過言ではないのです。
 

 日本が明治維新という大変革期にあった19世紀後半に、
ヨーロッパ列強は他に先駆けて重工業化を成し遂げ、帝国
主義の触手をアフリカ、中東、アジア、太平洋の各地域へと
伸ばしていました。

 こうした海外航路の確保と植民地争奪戦のなかで、利害
の一致する国どうしが互いに手を結び、世界は「同盟国」と
「連合国」という二つの大きなブロックに分かれていきます。

 大戦に及ぶに至り、両ブロックともに中立国を味方につけ
ようと躍起になって互いの植民地に対しては戦後の独立や
自治を認めるという「餌」=「利」をちらつかせ自陣営
への協力を取り付けます。

 なかでも英国は、アラブ人に対してはトルコからの独立を
約束する一方で、ユダヤ人に対してはユダヤ国家の建設を
約束するという 「二枚舌」 を駆使して双方からの協力
を取り付けようとしました

 結果として、

 中東パレスチナは現在に至るまでアラブ(パレスチナ人)
とユダヤ人との争いの舞台となっていますase

 さらには、

 大戦末期に敗戦国ドイツでは皇帝が退位して共和制へと
移行し、戦勝国であるロシアも、大戦中(1917年)に皇帝が
追放されて帝政ロシアは崩壊します。

 レーニンが主導するロシア革命によって、5年後(1922年)
には史上初の社会主義国であるソ連ソビエト社会主義
共和国連邦
)が誕生するわけです。

 すでに この段階から「枢軸国」「連合国」とに
分かれて戦った第二次世界大戦とその後の米ソ二大陣営
による冷戦の萌芽が見てとれるわけですが … nose7


 それでは、もう少しだけ詳しく見てみましょう。

 第一次世界大戦は、

 「三国同盟」「三国協商」を締結
した国どうしが中心となって戦った経済戦争です。

 「三国同盟」と聞くと、「日独伊三国同盟」
が想起されますが、第一次大戦では、ドイツ、オーストリア
、イタリアの三国による同盟です。

 北アフリカにおける植民地争奪戦で、フランスに対抗する
「利害」で一致する関係にありました。

 ドイツは皇帝が新航路の開拓や軍備の拡張に積極的で、
他国の脅威となりつつある状況にあり、オーストリアも当時
はハンガリーなど東ヨーロッパ一体を支配する強国でした。

 このうちイタリアはオーストリアとの領土問題で「害」
表面化して以降、袂を分かちますが、この空席にトルコが
加わり、さらにブルガリアも参加します。

 かつてオスマン帝国として栄華を誇ったトルコは国力の
低下が著しく、南下してきたロシアに対抗する必要性から
ドイツに接近するという「利」を選択したわけです。

 一方の連合国側は、「三国協商」を結んだイギリス、
フランス、ロシアが中心で、植民地の再配分を求めるドイツ
を包囲するという第二次大戦前夜の日本に対して行なった
ABCD包囲網 のような出る杭は叩け式
「利害」で一致をみることになったのです

 それまでどことも同盟を結ばない「栄光ある孤立」
(非同盟政策)の道をひたすら歩んできたイギリスも、遂に
は日本との同盟を皮切りに、フランスとの協商を成立させ、
日露戦争後にはロシアとも手を結ぶことになります。

 そこで、すでにフランスとロシアとは同盟関係にあったこと
から、「三国協商」へと進展していくわけですね

 この2大ブロックというか、2つのグループどうしの対立に
火をつけたのが、冒頭の「サラエボ事件」です。

 当時のバルカン半島では、スラブ系を主とする多民族が
入り混じり、キリスト教(カトリック)、ギリシャ正教、イスラム
教などの国々で領土をめぐっての争いが絶えなかったこと
から「ヨーロッパの火薬庫」などと呼ばれていました

 ここに、後発工業国だったドイツは領土を拡大する野心を
抱いてオーストリアとともに進出します。

 セルビア民族主義の青年は、その「害」の象徴である
オーストリアの皇太子を襲撃し、オーストリアはセルビアに
宣戦布告、こうしてオーストリアの対セルビア戦争が始まる
とドイツはオーストリアを援助したので、セルビア人と同じく
正教系のスラブ民族であるロシアは戦いの狼煙(のろし)を
あげ、ドイツを恐れるイギリス、フランス、ロシアなどを中心
とした世界戦争に発展していくわけです。

 前述したように、日本も日英同盟を口実にドイツに宣戦を
布告しますが、その狙いが中国や南洋諸島にあるドイツの
権益にあったことは自明です。

 日本の特需の背景には、戦争が予想以上に長期化して
物量戦となり、大量の兵器や物資の供給という大きな需要
に恵まれたからですが、いよいよもって工業力が問われる
時代に突入したわけで、史上初の 「経済戦争」 でも
あったのです。

 戦況は短期決戦を想定していたドイツの目論みが外れ、
対ロシア東部戦線、対フランス西部戦線ともども膠着した
持久戦で海上でも一進一退の攻防戦が続くなか、1917年
にアメリカがドイツに宣戦すると形勢は一気に連合国側に
傾き、翌18年にはトルコ、オーストリアが相次いで降伏し、
11月にはドイツも連合国と休戦協定を結びます。

 こうして、1919年6月、ベルサイユ条約 の締結に
よって、1500万人以上ともいわれる犠牲者を出した未曾有
の大戦が終結したのですpeace

 しかし、これはつかの間の安息でしかなかったのです


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 「第一次大戦後、間もなく、深刻なデフレ経済が発生した
 ので、当時の先進工業国は市場拡大を求めて、さらなる
 領土の拡大や植民地の争奪戦に走り、武器生産の拡大
 によって内需が刺激されます」

 「ソ連、日本、ドイツは、アメリカとヨーロッパ戦勝国を軸と
 した大戦後の覇権体制に歯向かう姿勢をみせます」

 「戦後、間もない時期なので、領土や植民地争いの戦争
 は、世界や国内から非難され、また総力戦の支えになる
 国民の総意を得られないので戦争の名目が必要でした」

 「アメリカの名目は、ウイルソン主義による自由で平和な
 世界の創造であり、ソ連はレーニン思想に基づく世界の
 労働者の解放にありました」

 「日本は白人支配の秩序を打ち破って、有色人種による
 大東亜共栄圏の建設を目指し、ドイツは古代ローマ帝国
 や神聖ローマ帝国を復活する第3帝国の創設です」

 そして第一次世界大戦後、わずか20年そこそこで
 第二次世界大戦 の火蓋が切って落とされることになる
 わけなのです


 「中西寛氏(京大)によると、第二次大戦は4カ国による
 世界制覇の準決勝であり、米ソ両国が決勝に残ります」

 「四十数年間の米ソ冷戦は、アメリカの圧勝劇に終わり、
 1990年代には、アメリカは一極支配体制を確立し、自由
 主義を守る世界の警察官として地域紛争を解決したが、
 紛争国のイデオロギーまで変えるのは無理でした」

 「アメリカはイスラム教国でこの無理な試みを繰り返し、
 断固たる覇権国の地位を失ってしまいます」

 「冷戦が終了して10年を経過すると、中国は西太平洋の
 覇権を目指し、ロシアは石油価格の上昇によって、軍事
 力を回復し、アメリカは海外派兵の失敗が続いたので、
 徐々に内向きの国へと変貌して行きました」

 「世界が多極化して、どの地域でも宗教と民族の争いが
 激しく燃え上がり収まる兆しはみえません」

 「チェチェンやグルジアでは、イスラム教徒がロシア軍と
 戦い、ウクライナでは、キリスト教徒とロシア正教徒が
 支配権を争っています」

 「中国ではイスラム教の新疆ウイグルや、仏教のチベット
 で独立運動が激しくなりました」

 「中東やアフリカではイスラム原理主義者による内戦や
 テロが繰り返され欧米諸国や中国もテロの対象ですし」

 「イギリスやスペインでは地方の独立運動が活発になり、
 フランスやドイツの反イスラム世論は強まる一方です」

 「世界は、米中ロの覇権争いの上に宗教と民族の厳しい
 対立が重なり、100年前と同じ危険な状況にあるのです」


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 上記のsymbol2 印の 「 」内の文章は、静岡県立大グローバル
地域センター長 竹内 宏氏による 6月5日付けの静岡新聞
『論壇』 に掲載された記事をアレンジしたものですが …

 なるほど

 人間は100年経っても少しも成長をしないものです

 一日千秋思い平和安息日々
 祈願 しても、十年一日百年一日如く
 何も変わりはしないのです。

 つまるところ、

 宗教 こそが 平和 にとっての 大敵 であり、

  そのものであるとしか思えません。

 なんとも悲しい現実ですが … nose3ase

コメント一覧

江戸川ドイル
3以降がなければ、1が最初で2が最後・・・

そう言えるのは、人類が滅亡する刹那の一瞬だけですが!
透明人間1号
それは、それは、どうも … 「あ」「り」「が」「と」「う」

いずれにしても、「第三次」なければ、「第一次」、「第二次」は
それぞれに、最初と最後の世界大戦ということになりますが …

えっ、くどいって … そりゃまた失礼いたしました!
おいら
http://sin-sei.at.webry.info/
「第二次」が起こるまでは「第一次」はなかった。・・・「な」「る」「ほ」「ど」

オイラ、こういうロジック大好きですわ。
若き特攻隊員
準決勝で敗れたとしても、ベスト4だったわけね。
きのう始まったばかりのワールドカップもグループリーグを突破して、決勝トーナメントで2勝すれば、第二次大戦前の日本と同じランクってことだよね!
そうありたいところだけど、ちょっとムズイかなあ。
ところで、ドイツとの3位決定戦はどうだったんだろう?
日本は勝ったことになるのかな?
ルート1/2
第1次世界大戦から、まだ100年しか経過してなかったなんて、ずいぶん昔の出来事だと思っていたのに・・・
だけど、核の抑止力はホンモノだ!
第2次大戦からは70年になるもんな。
餃子ライス
たしかに、イデオロギーというよりも、宗教的なトラブルや対立の方向にベクトルが働いているとしか思えない。
韓国船沈没事故の影にも新興宗教の呪縛があるわけだし、金に憑かれた亡者の醜い争いの犠牲者はいつも名も無い弱者と相場が決まっているわけよ!
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