、インターナショナル、ワールドなどで「ミス日本」として
代表に選出される女性のほとんどが、自分自身の好みから
は程遠いという現実は「審美眼」に乏しいということ
の顕れなのでしょうか
はたまた、某(なにがし)かのフェチに由来する個別の
性癖がゆえの悲しい性(好み)=悲劇なのでしょうか
そういえば、子供の頃に
『モナ・リザ』 を初めて観た時も、何とも言えない
妙な嫌悪感につつまれたものでした
美術史上最高傑作と称えられ、おそらくは世界中で最も
知られている肖像画であり、レオナルド・ダ・ヴィンチ自身も
死ぬまで手放すことがなかったという有名な微笑の持ち主
は、単に気味の悪いおばちゃんという印象でしかなかった
のですが …
一旦、その謎めいた微笑を知ればその虜になってしまう
ともいわれていますが、本当なのでしょうか
「永遠の微笑」などと評されて、どこか不可思議で
魅惑的で魅了されるといいますが、本気(マジ)ですか
要するに、ボクにとっては、
“趣味じゃない”という限度を通り越して、できれば
見たくないという絵画のひとつでもあるのですがねぇ
実は、個人的にはフェルメールが好きなのですが、
のっぴきならずもダ・ヴィンチについてあれやこれやと
考察せざるを得ないという事情が生まれてしまったのです。
それというのも、
『最初と最後の2つの晩餐』というタイトルで
ダ・ヴィンチの“最後の晩餐”の大いなる謎に迫ると
意気込んでいた1号さんでしたが、
突然に、「やめた やめた」
そう言って、ほぼ完成間近な状態にまで仕上がっていた
ブログの内容を破棄すると言い出したのです
その理由を訊ねると、なんのことはありません。
同じ趣旨のより優れた解説が、いくつかのWebサイト
にあるのだそうで、はるかに要領を得た手法で、真実に
切り込み真相を抉(えぐ)り出すテクニックにも長けた
同じような推理構想をもつ、ページをいくつも見つけて
自信を喪失してしまったようなのですが …
「見立てが同じでもそっくりそのままというわけじゃないの
ですから、それでいいじゃないですか」
そう促しても、プライドが許さないのか、投稿の順番を
譲ると言う始末 …
こうして、またもやボクにお鉢が回ってきたというわけで
1号さんも2号さんもホントに勝手なんだから
そこで、
それらのWebサイトを紹介しながら推理を展開させた方が
手っ取り早いと思い、ブログ内容の再構築を始めたまでは
よかったのですが、否応もないままに、あまり好きではない
ダ・ヴィンチの生涯にメスを入れ、彼や彼の作品にも言及
しなくてはならないわけで …
レオナルド・ダ・ヴィンチという人物は、
個人的趣向で言えば、苦手な部類に属する人でもあり、
ルネサンス時代の芸術家では、ミケランジェロ、ラファエロ、
ボッティチェッリの順で、漸(ようや)くその次に来るのかな
~ というくらいの感じで、強いて挙げるとするなら2枚ある
『岩窟の聖母』の両方と真贋が不明のままの
『アイルワースのモナリザ』などの作品は
嫌いではありませんが、他の作品にはほとんど興味もなく
、また、あまり好きでもありません
もちろん、画家としての天才性については言うに及ばず、
ここでは単に好き嫌いのレベルでの比較であって、芸術家
としての才能や実力とはまったくの別物です。
魅力的な「アイルワースのモナリザ」
(レオナルドによる1503年の未完成作品説あり 個人蔵)
さて、最近になって …
もうひとつの『モナ・リザ』として脚光を浴びることに
なった「アイルワースのモナリザ」の存在を
知るに及び、もし、この「モナリザ」がルーブル美術館
にある『モナ・リザ』と同一人物で、その若き頃の姿
を描いたモノであるとするならば、その真贋の鑑定を
待つまでもなく深刻なダメージを受けてしまうのです
この落胆とショックの度合いは尋常ならざる複雑怪奇
な様相を呈することになります。
かれこれ、500年も論争されているようですが、この場合、
『モナ・リザ』のモデルが誰かは問題ではありません。
これが同一人物で、ダ・ヴィンチ本人の手によるものだと
したならば、ルーブルの『モナ・リザ』がアイルワース
の彼女から「わずか十数年先の姿とは言え、女性の容色
とは何と悲しく、まったく正反対の感情的イメージを抱かせ
かねないほどに残酷なものなのか」 ということに
なり、同時にそれはダ・ヴィンチの天才性にあらためて舌を
巻き、思い知らされることにもなるのですが、
ボクとしては別人であることを願いたいのですがねぇ…
どう見ても同じ人物を描いたという結論になりそうです。
もしも、「アイルワースのモナリザ」が、
弟子たちの作品ならば、ダ・ヴィンチの技量の高さゆえに
好みの違い以上の趣味の悪さ(ストライクゾーンの問題)が
露呈してしまうのですが …
それは、ダ・ヴィンチが最後まで自分の手元に置いていた
作品 つまりモデルの女性を愛していたのではないか
と、考えられるためで、個人的な趣味でのセンスの違いは、
先に述べたような嫌悪感で相殺できるほどに単純な話では
ないのです。
それほどに、「アイルワースのモナリザ」は、
チャーミングで可愛いということです。
その証拠に
現代風にアレンジした髪型の彼女を見てみましょう
まるで、滝川クリステルか、トリンドル玲奈 のようにも
見えるではありませんか
見方によっては、ダレノガレ明美という少数派もいるかも
しれませんが …
それはそれとして、
『モナ・リザ』 同様に気味が悪く感じて目を背けたく
なるのが、『洗礼者ヨハネ』なのですが、これもまた
ダ・ヴィンチが生涯にわたって手放さなかった作品のひとつ
なのです。
【洗礼者聖ヨハネ】 1513年-1516年 ルーブル美術館蔵
どこか『モナ・リザ』のモデルのようにも、悪魔的にも
見えてきませんか
若い頃のダ・ヴィビンチは美男子で今風に言えばイケメン
だったといわれていますが、彼の晩年の自画像を見た印象
は「怖っ」というひとことに尽きます。
【ダ・ヴィンチ「自画像」】 1512年 トリノ、王立図書館蔵
『モナ・リザ』のモデルがダ・ヴィンチ自身という説も
あり、晩年のダ・ヴィンチの自画像を左右反転させると顔の
各パーツの位置や構図など、共通する点が多々あることは
確かですが、さすがにそれはどうでしょうか
★ダ・ヴィンチが手元に置いていたという最後のひとつは
『聖アンナと聖母子』という題名の下の絵ですが、
ここにもきっと何らかの秘密が隠されているはずなのです。
【聖アンナと聖母子】 1500年 パリ、ルーブル美術館蔵
なんだか謎解きが面白く愉快に思えてしまったボクは、
上手く1号さんに丸め込まれてしまったようにも、見事に
罠に嵌められたような気がしないでもないのですが、幼い
イエスが子羊をいたぶっている様子に「イジメちゃだめ」
とたしなめる聖母マリアとその傍(かたわ)らで「大丈夫よ」
と微笑んでいる聖アンナが静かに見守っている、といった
シチュエーションでしょうか
それとも …
いやあ、すっかりとハマってしまいましたね
そうなると、『モナ・リザ』のモデルは誰なのかという
ことが気になるところですが、定説ではフィレンツェの商人、
デル・ジョコンドの妻、リザ夫人なのですが、ボクとしては
『イザベラ・デステの肖像』を見るかぎり、彼女
ではないかと疑っています。
【イザベラ・デステの肖像】 1500年 ルーブル美術館蔵
『モナ・リザ』に似ているように見えませんか
… というわけで、1号さんが書いた記事のほとんどは
消えてしまって、残ったのは下の画像だけになってしまい
ましたが、近々に2号さんがリメイクすると言っています
ので、それを待つことにしましょう
バルトロマイ 小ヤコブ アンドレ ユダ ペトロ ヨハネ イエス トマス 大ヤコブ フィリポ マタイ タダイ シモン
『最初と最後の2つの晩餐』という題名からも
推測が可能ですが、『最初の宴と最後の晩餐』
(仮称)に変更する予定だとか …
内容を知っているボクにはリメイクするという2号さん
のアレンジに期待が膨らむのですが、
それにしても、
1号さんプライドの高さは“ダ・ヴィンチ”も真っ青
になるくらいの“ザ・ピンチ”な状況です
そこで今回のタイトルを
『最初のモナと最後のリサ』にしようとも思い
ましたが、正直に言ってそれはかなり意味深です。
“モナ”ってだあれ “リサ”ってだあれ
… と、あらぬ誤解や、よからぬ詮索をされる恐れが
ありますので、ここは何分(なにぶん)無難なところで、
『最初で最後のモナリザ』 と
しますけど、レオナルド1号さん、それでいいですね。
えっ、「困(クマ)っちゃう」って …
“レオナルド熊”さんじゃないんだから、
ラッキーパンチはありません
残念 !! … でした
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