あたりまえのことだけど、「我慢できない暑さ」ではない。
暑くない夏は夏じゃない。
そういえば僕はまともに勉強するのが嫌いでした。
まともというのはつまり学校教育(指導法)に従ってという意味ですが、そんなものは無視して、自分の知りたいことを追求しようとしていました。
あるときに「すべてを知ることはできないし、学者でもない」ということに気づき、「追及」はしなくなりました。
たしか50周年の年だったと思います。
家族での旅行ですが観光をかねて広島の記念館にいってきました。
記憶に残っているのは記念館の中の空気が異様に暗く。とても怖かったのを覚えています。
リトルボーイとファットマンの違いとか、残留放射線とか、そういうことはまったく覚えていないけれど、「影の焼きついた壁」とか、「止まったままの時計」とか、「ぼろぼろになった衣服」そういうものが強く記憶に残っています。
小学校のころは、原爆だけでなく、戦争そのものがとても怖く感じられました。
平和な時代に生まれてよかったな。と、改めて思ったりしていました。。
毎年、6日と9日と15日は黙祷をささげていました。
ふと今朝、入道雲を見ながら「はだしのゲン」のシーンを思い出しました。
うまく、想像ができません。
それはあまりにも現実離れしていて、まるで映画のようだったからです。
昔は、そうじゃなかった。
毎年の黙祷も、いつしかやらなくなり、今年が、終戦の何周年なのかも、あまり意識しないようになりました。
ああ、忘れてしまったんだなと、思いました。
平和あり方や、幸せというもの、その他諸々、経済も含め、いろんなことを考えていくと訳がわからなくなります。
追求しろとはいわないけれど、考えることをやめてしまったらいけないなと思いました。
たしか中学校の歴史の授業だったと思います。
学んだことの大半は忘れてしまったけれど、ある一つのことは深く記憶に残っています。
ふと、先生が言ったこと。
「権利の上に胡坐をかくな」
写真は昨日の空
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玲凜
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