透明人間たちのひとりごと

パイオニアになろう

 魅力のあるなしだけでいえば、欠点のある人間のほうに
軍配はあがる。
 
 非の打ちどころのない優等生やすべてにわたって模範的
な常識人間ほど退屈でつまらない存在はないと思うのです。

 いい悪いの話ではなく、魅せられるか否かの判断です。

 現在、放送中のTVドラマ 『不毛地帯』 の主人公で
ある 壹岐 正は、一点の非の打ちどころのない模範的かつ
極めて有能な商社マンとして描かれています。
 
 俗に言うところの卑怯な手は使わず、正攻法で正々堂々
としたスタンスでビジネス戦争を戦っています。

 もちろん、そこには、競合や競争をする相手がある以上、
戦略や戦術の段階で秘密裏の行動や隠密・陽動といった
作術が展開されることは仕方のないことなのですが…

 シベリア抑留時代からの自己犠牲を厭(いと)わない
聖人のごとき振る舞いだけではなく、帰還後の商社マンと
しての行動においても、また、ひとりの人間としても自己を
律することはもちろん女性に関しても、据え膳などは断じて
いただくことのない模範的な紳士なのです。

  (まァ、好みの問題もあるし、そこは一概には言えないか)
 
 ただ、生身の人間として、殊に、女性の側からしてみたら
、はたして、魅力的なのだろうかquestion2 という疑問符
避けられないと思うのですが…。

 豈(あに)図らんや、それが モテモテ なのです。 

 凡人俗人の私からすれば、にもかかわらずなのに
、だからこそなのか、に対して心を寄せる女性は少なく
ないのですが、ドラマを観ていて、イライラしたり、じれったく
感じるのです。

 人間の醜さや男の嫉妬という前菜やスープは、競合する
ライバル社の鮫島や自社の里井副社長の一派が受け持ち
、メインディッシュに壹岐が、そのガルニ(付け合せ)には
女性陶芸家の千里、ワインに紅子、そしてスパイスに社長
の大門といったコース料理としてのレシピでしょうか。

 でも、冒頭の主旨からすると、どうしても消化不良になって
しまうのです。

 頭脳明晰にして情報分析能力抜群の上に男前、さらには
誠実で実直で出世街道まっしぐらとなれば、あたりまえだと
言われるのでしょうが…、そこらへん辺りが、なんていうか、

 課長 → 部長 → 社長 島 耕作

 人間としての俗っぽさとの違いなのかなquestion2

 その点だけが、どうしてもスッキリとしないのですが…

 子供時代から学生・青春時代を経て、だんだんと大人に
なっていった時期と重なる時代背景に加え、実在する企業
を彷彿とさせる内容の所為か、文句をつけながらもケッコウ
楽しんで観ていますので、余計なお世話とのお叱りを受ける
まえに、この話題はやめにすることにします。

 
 さてにとって、

 ティーンエイジから大人として社会に巣立つ時期でも
あった1960年代後半~70年代前半の日本は、歴史的
に見ても、おそらく空前にして絶後だと思われるほど
に恵まれた時代でした。

 先のTVドラマ 『不毛地帯』 がまさに、そんな時代に突入
していますが…。

 1973年秋の“オイルショック”では、トイレット・ペーパーや
洗剤を求めて、国中が大混乱のパニック状態に陥りました。

 スーパーなどで、血まなこになって右往左往する人びと
(買いだめに走りまわる主婦たち)を撮ったニュース映像
は、いまも折りにふれて流されることがありますが、妙に
生々しく思い出されて不快な気分になってしまいます。

 オイルショックの規模は現在と比較したらタカが知れた
ものだったのですが、それでもガソリンスタンドは日・祝日
の休業措置がとられ、電気や電灯の節約は当然としても
TVの深夜放送の自粛や石油製品の消費の抑制節約など
当時でもその影響は小さくなかったように記憶しています。

 そんな昭和48年(1973年)に社会人1年生となったのです。

 当時は、「モーレツからビューティフルへ」のスローガンの
もとに、60年代~70年代の凄まじい高度経済成長の傍らで
、それに反発し反省する気運が一方には共存していた時代
でもあったのです。
 
 明日への夢を貪(むさぼ)り、その美味に満喫するだけ
ではなく公害の防止策や産業廃棄物その他への法的な
規制や取り組みが遅ればせながらも始まったのです。

 同年10月の第四次中東戦争の勃発による原油の全面的
な禁輸措置に端を発した原油の値上がり騒ぎだけではなく
、 専門家の試算によれば、あと、20数年余りで産油国の
埋蔵量は枯渇するなどと声高に叫ばれた結果、原油の値段
が異常に高騰し、先の騒ぎとなったのです。

 あれから、40年近く経った現在、石油はまだ、枯渇しては
いません。もちろん、化石燃料としての地下資源が無尽蔵
にあるわけではなく有限なのは確かです。

 ただ何かにつけて、機に乗じて市場を操作しようと悪巧み
を謀る輩が跋扈するもので、それらに踊らされないだけの
見識は身につけていたいと思います。

 2010年2月15日 今日、いま現在の日付ですが…。 

 symbol2kirakira2 「モーレツからビューティフルへ」

 この一世を風靡したキャッチフレーズと、現政府の唱える
スローガン 「コンクリートから人へ」 は、どこか
似ている気がしますが、似て否なるものであると言わざるを
得ません。

 この 「コンクリートから人へ」 という鳩山政権のスローガン
に対して、マスコミ各社は総じて好意的に扱っているように
感じます。

 その理由のひとつは耳ざわりのよさと共感、つまり
それまでの政策に対する国民の反発反省のうえでの
政権交代劇が、「モーレツからビューティフルへ」の時代を
彷彿とさせる「コンクリートから人へ」のスローガンのなかに
偽装・擬態(カムフラージュ)化されているからです。

 同じく、キャッチフレーズとしての 「国民の生活が第一」
がありますが、これもどこか矛盾しています。

 コンクリートとは、建設産業の代名詞です。

 ここで公共事業の是非を論ずるつもりは毛頭ありません
が、土木国家日本での建設関連の従事者は五百数十万人
と言われ、家族を含めれば千数百万の人々が、建設産業
で生活している ――― コンクリートで生きているのです。

 万人に支持され万人を幸せにする政策・施策があるとは
思いませんし、最大多数の最大幸福もはたして、物質至上
の市場原理のなかで、どこまで可能なのか疑問ですが…

 もっと不思議なのが、その点(国民の1割以上を占める
人々の生活)を指摘しないマスコミの論調です。

 もちろん、すべての報道に耳目を集中しているわけでは
ないので、そうした指摘はあるのかもしれませんが…

 ブログに政治色を持ち込みたくないので、この話題も、
この辺にしておきましょう。

 どうも横道に逸れてしまう癖がなおらないようで、一向に
タイトル(パイオニアになろう)に近づけませんnose4ase2

 先の、万人についての幸せも突き詰めれば個人個人の
幸せの集合、積み重ねです。

 生きることは、ストレートに言えば、夢を掴むことであり、
希望を胸に抱くことであり、最終的には個人個人が自らの
幸せを獲得するための 道程 だと思うのです。

 前稿 「嘘、うそ、ウソの話」のなかで 2号 から紹介の
あった 『 エイドクルー フィールド サービス 講座 』の中でも、
一枚の写真というよりは、むしろ、絵画的な構図のなかに
現在・過去・未来を凝縮しているのが…

 「僕の前に道はない。僕のうしろに道はできる」 という 

 フレーズです。   …… …… ……   として、
 
 高村光太郎 の第一詩集 『道程』 の中の同名の
詩の一節にふれています。

 僕の前に道はない。  右へ行く道と左へ行く道があって、
その岐路でどちらへ進もうか と迷うというシチュエーション
でもなく、完全に道がないのです。

 荒野の真っただ中、あるいは、背の高いトウモロコシ畑の
中やミステリー・サークルのできる麦畑の真ん中にポツンと
置かれたひとりの人間の姿が思い浮かびます。

 小さな米粒や点にしか映らない人間… ひょっとしたらその
姿さえ認めることができないほどの緑一色のキャンパスに
ヒューヒューと吠えるように風が波を打つ。

 一歩、また一歩と、歩みを進めるうちに麦の穂は倒され、
いつしかそこに、ひとすじの道らしきものが現れる。

 僕のうしろには、自分が切り開いてきた がくっきりと
残っているんだ。

 そんなふうに見え、そんなふうに聞こえるのです。

 ちょうど、ゴッホの黄色が陶芸で言うところの織部の緑に
象徴されるような色彩の中で描かれる油絵のモチーフです。

 それは、おそらく、作者の意図 したものとはかけ離れた
パイオニア精神”の発露とその魂の尊さを簡潔に表現して
いるものとなっています。

 No.9 パイオニアになろう
 「私たちのまえに道はない。私たちのうしろに道はできる」 より…

 さて、「昔は夢や希望があったが、いまはない!」という
ようなことを耳にすることがあります。

 高度成長を続けていた右肩上がりの時代と、いま現在の
日本とでは、確かに状況は違います。

 しかし、たとえどんな環境や情勢下にあっても収穫を得る
ためには種を蒔かねばなりません。

 「蒔かぬ種は生えぬ」のです。実りを期して蒔くのです。

 さあ、荒地であれ、なんであれ、開拓開墾 して

 先駆 を蒔きましょうfutabaitem2tomatocloverkabufutabatulipcherryitem2akakabucloveritem1

 ェ、オチがないって、だから タネ を蒔きすぎて

 ネタ 切れなのです。 っ、なんと、おそまつ nose3ase

 

コメント一覧

透明人間1号
昔の企業戦士となると、先輩にあたられるのでしょうか?
無いものねだりですか。今はとくに、そうかも知れません。
昨夜、悲しい知らせが飛び込んできました。
藤田まこと氏が「てなもんや三度笠」のままに旅立ってしまいました。
誰もが将来を信じて未来に夢を持っていた、頃のお茶の間に響いた「あたり前田のクラッカー!」は忘れられない子供時代の思い出です。
ご冥福をお祈りいたします。
昔の企業戦士
「モーレツ」に働いた結果の経済成長とその後の「コンクリート」に象徴される経済大国が有っての「ビューティフル」であり「人」なんだよね。人間は、常に無い物ねだりなんだよ。
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